うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

誰かと共有することの素晴らしさ

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8月11日土曜日。しばらく新潟を出ていました。観光地には行かず、カフェや食堂へ行ったり、美術館でゆっくり鑑賞したり、海で遊んだり。

 

日常生活で「ご飯を食べる」「買い物に出かける」が当たり前に行われている中、誰かと一緒にご飯を食べる、誰かと一緒に買い物に行くってことは、愛おしい時間。もちろん、気の合う人や気の置けない人であることが条件だけれど。

  

たしかに一人でいることは気楽だし、自由で楽しい。部屋が多少散らかっても文句を言われない(いや、お掃除しましょう)。気を使わなくてもいい、誰かにうるさく言われることもありません。 

その反面、目の前にあることを共有したい時に一人でいることが、一瞬寂しくなるもの。「こんなおいしいもの食べているのに」とか。SNSはそれを満たしてくれるツールなのですが、やはり生身の人間と共有することの楽しさにはかないません。

 

かといって毎日顔を合わせていたら自由さがなくなって、次第に窮屈…なんてこともあるので、要はバランスなのでしょう。既婚者の友人から「いいわね、独身で」と言われることもあれば、「結婚も悪くないわよ」とも。

結局どっちやねん、と思うけれど、結婚してもしなくても、一緒に同じ時を過ごすこと自体を幸せに感じられたらきっと、争い事も少なくなるし、ポジティブな雰囲気が増えるかも。