うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

一朝一夕では身につかない質問力

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8月10日金曜日。やや否定的なタイトルに合わせて、暗めの写真を、というのは冗談。

なかなか会えない友人と日本酒を飲みながら語らいを終え、「じゃあまたね」と別れた後に撮った一枚。海の上にお月様が光っていました。

 

先日、同じ聴覚障害の20代の若者たちとご飯を食べに出かけました。

初対面の方から「聴覚障害者はコミュニケーション障害と言われているんですけど、どう思いますか」と質問されました。最近、仕事関係も含めて、聴者との付き合いが多かったので「自分はこう考えているんですけど、どう思いますか」という、当事者の質問は久しぶりでした。

 

20代の頃を思い出してみると、「私はこう考えているんですけど、どう思いますか」と教授や先輩たちに聞いていました。「自分の意見がないなら最初から質問するな、自分で考えてから聞いてこい」と投げ返されることもありました。でも、きちんと向き合って話してくれる人たちだったので疑問に思ったことは自分で調べて、考えてみるけれど、それでも聞いてみよう!ということで、数時間話し込んだり、朝から夜まで、同じ場所でずっと話して帰ったこともありました。

 

当時は、本当に怖いもの知らずでした。厚かましくも(?)質問しながら、話をしながら適切な言葉の選び方、物事の見方、判断をするための情報の集め方などを学んだように思います。そもそも、質問という言葉の対照に「答え」があるけれど、答えは一つではなかったし、逆に「私はそう考える。君はどうなの?」と聞かれて、うーんと考え込んだこともありました。

 

質問したい要点はまとまっていたけれど、でも適切な置き換えられなかったことが多かったように思います。 その度に、先輩たちからは「つまり、こういうことなのではないか」と話を整理し、論点を明確にした上で、話をしてくれました。この作業が、鬱陶しい、面倒臭いと思うことはあっても、結果的には自分のモヤモヤしたことが少しでもすっきりできたことに快感を覚えました。なんでいつまでも、そういうことについて話し込んでるの?と友人に呆れられたけど、この対話の積み重ねがあってこそ、言葉に対する感受性が育ったのかも。

 

先輩たちに質問しながら学びを深めたのは大学時代。当時は、聴覚障害を持つ学生が多く入学していた大学だったこともあり、手話を使って情報交換したり議論する一つのコミュニティが出来上がっていました。ほとんどの学生が入学後に手話を身につけていたにもかかわらず、建設的な話し合いができたのはもともと備わっている言語力(日本語力)が特段と高かったからかもしれません。当時は、私を除いてほとんどの学生がインテグレーション育ちだったので、自分の生き方にシビアな人ばかりでした。一生懸命付いていかないと置いていかれちゃうとプレッシャーを感じたほど。

 

先ほどの若者に「なぜ、そういう質問をしようと思ったの」と聞き返し、そこから私なりの解釈も含めて説明してみました。私の話を聞いて「いや、やっぱり違う」とあらためて本人なりに考えを深めることができたとしたら、嬉しいし、疑問に思って他者に聞くという行為は尊いこと。大学生からの質問はよく受けていたものの、同じ障害を持つ当事者からの質問があったことは、とても良い刺激に。

 

考えて、聞くことは対話の積み重ねがあってこそ、初めてできる。対話を楽しんでいきたいです。