うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

生きる術は知らないうちに

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「相手が戸惑っていると、ついフォローしてしまう」。

 

ろう者の友人と話していたら「やっぱり、初対面で相手が戸惑っているのを見るとどうしても、具体的なアクションについて助言してしまうよね」。

 

お店で買い物をする時、何かを注文する時、耳が聞こえないことが分かると「え?」と戸惑いの表情を見せる人とそうでない人に分かれます。外見上、あまり気付かれないので口の形が読み取れてしまえば、向こうも終始「いつも通り」の状況になります。

まさか、さっき対応していたお客様、耳が聞こえないなんて!ということもあります。

 

聴者(耳が聞こえる人)が戸惑った時、「あ、大丈夫ですよ。紙に書いてください」「あ、大丈夫です。ゆっくり話して」「あ、大丈夫。スマホに打ち込んで」とろう者の方がフォローする。

こちらが聞こえないことを察して(知って)、「書きますね」「手話分かりますか」と向こうからアプローチを変えてくることもあります。でもそういう人はそう多くなく、大抵は「あ…どうしよう」という空気が一瞬、醸し出てきます。

 

ろう者が口の形が読み取れてその場を何事もなかったかのように対応できてしまうと、聴者にとっては「まさか!耳が聞こえないなんて」ということになります。かといって、ろう者たちがわざわざ「紙に書いてください」とか、「スマホに打ち込んでください」と申し出なければいけないわけではなく、何も申し出ることなく聴者が気付かないうちにスムーズに対応できていたこと自体が不思議に見えてきませんか。

 

聴者からアプローチを切り替えてくるたびに「おお!」と感動するのは、やはり日頃の生活の中で戸惑ってしまう姿を多く見てきているからかもしれません。

 

なので、どうしても「紙に書いてください」「スマホに打ち込んで」といった具体的なアクションについて助言をする。これは誰かに教わったというよりも、聞こえなくて困るのは自分なのでそういう行動を取らざるを得なくなる。

 

生きていくために必要な術。困ることを無意識のうちに知ってしまったから。

 

仮にこの世の中を生きるマジョリティ(多数派、聴者)が、マイノリティ(少数派)になったとしたら?

 

以前、YouTubeで街の人々が手話を使って話す人ばかりで、手話ができない人がポツンと彷徨った動画がありました。

街に出てみると、道行く人が全員がASL(アメリカ手話)を使っていて、一人の聴者が「Excuse me」と声で話しかけても街の人々は「What's?(なんだって)」と手話で答える。聴者は他の人に話しかけてみるものの、他の人も手話で答える。それで困ってしまう、というような内容。

 

現実的にはありえない話だけれど、逆のバージョンは現実的に起きています。それも毎日。

 

聞こえなくて困るのは自分、ということを無意識のうちに知っているから、生きる術として「書いてください」「口を見ればなんとなく分かります」となります。(ほんとは、口の形だけでは断片的な情報しか得られないけれど、口の形を見れば分かります!と胸を張って言える人もいるので誤解されやすいかもしれません)。

 

相手の「戸惑い」がやがて「自然体」に変化していって初めて、やっと対等に話ができる!この喜びは、聞こえない人なら誰でも感じたことがある感情です。

 

フォローされたらフォローしつつ、お互いにその場を気持ちよく過ごせたらいいですね。

今日もごきげんよう