うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

韓国語を学び始めてみて

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9月20日木曜日。

고기,오이,모자,,,,

これが読める人にとっては「何?それがどうしたの?」。

これが読めない人にとっては「何?意味わかんない〜」。

(肉、きゅうり、帽子)

 

今月から韓国語を始めました。ちょっと前に独学でチャレンジしたことはあったけど三日坊主に…。韓国語とハングルの違いも分かっていなく、ハングルで書かれている文字が謎解きの迷路のような文字に見えて、これは一生かかっても読めるわけがない!と別世界の暗号のように見えていました。

それに、韓国の映画といえば「シュリ」くらいしか観ていなく(この作品は、好きな映画の一つ)。韓国の文化にそこまで深く興味を持つ機会がなく…。

 

周りが韓国語を勉強してて、韓国語スピーチコンテストで優勝したり、韓国に短期留学したり、韓国の友人とカカオトークしたり。次第になんだか韓国語が気になってきて。でも、韓国語使う機会ないし、難しそう!

でも、読めたらどんなに気持ちがいいんだろう!

でも、難しいから覚えられない!

でも、「でも」の堂々巡り。

 

最後のトドメは、職場で韓国料理を教えてくれた韓国人の先生が「私、手話やってみたい!」と話していたこと。

うむむ!日本人ならまだしも韓国人の先生が「(日本の)手話を学びたい」と言っているのではないか!それならば、私も負けまい!ということで、韓国語を学び始めました。一人では絶対続かないので、友人の紹介で韓国人の先生に教えてもらっています。

 

先生からは「聞こえない人に教えるのは初めてだから、分からないことは何でも聞いて」と繰り返していました。もちろん、分からないままでは次のステップに行けないので質問せざるを得ないのですが、先生の日本語が堪能、流暢なので日本語、英語、そして手話も織り交ぜながら確認をして進めています。言語を学ぶ時、学習言語をダイレクトに学ぶ方法もあれば、自ら理解できる言語(母語とも呼ばれる)を介して学ぶ方法もあります。

 

今は初心者なので、謎解きの迷路みたいな文字を一つずつ、発音を確認した後に書き込むという方法でやっています。音と文字の組み合わせでやっと覚えられるくらい、頭がそんなに良くないので…(発音なんて要らない、文字さえ覚えればよし!という人がいたら学び方を教えてほしい)。

 

この発音の時間が、私にとっては懐かしい時間でもあります。先生が発する声は全く聞こえないので、口の形を見ながら自分で発声してみる、の繰り返し。単調にも見えるやり方は、子どもの頃に日本語の「ア、イ、ウ、エ、オ」を繰り返して練習した時と似ています。「サ」なら息がかかる、「ナ」なら鼻が響く、「ラ」なら舌を動かす…

 

先生から「声をもっと大きく出して」と言われた時、無意識に染み付いていたものって本当にあるんだなぁと実感。耳が全く聞こえないので、声の大きさ(ボリューム)の調節が難しく、「静かに!声が大きい!」と子どもの頃に怒られたことが何回かあります。そのせいか、最初からあまり大きな声を出さないで「普通に」声を出す音量が、思いの外、先生にとっては小さかったようです。子どもの頃の経験を話したところ、「ええ?知らなかった。でも韓国人ははっきり喋るから、気にしなくていいのよ」。

 

発音の練習を最後に終えたのは、中学時代(だったと思う)。あれから約20年の間に、「この文字は、こうやって発音する」と言われて練習するという機会はほとんどありませんでした。成人向けの口話練習ができる施設があるらしいのですが、必要性はほとんどありません。通じなかったら言い換えてみたり、筆談したらいいし、手話通訳を使うとか、スマホに打ち込むとか、いろいろな方法があります。

 

仕事で手話を使う環境にいるから日常生活の中で全く声を使わないのかというと、案外そうでもなく、聴者のスタッフに対しては適切な指示や意見交換ができるように声と手話を併用することもあります。

 

ただ、この約20年間、声を出して発音を使い分けて話すトレーニングをせず、常に実践してきたせいなのか、緩やかに機能低下しているのでは?と感じました。スポーツで言えば、走るためのトレーニングを行わず、常に試合で走りっぱなしの状態。基本中の基本って何事においても大事なはずなのに。今回のレッスンで、「あれれ?」と思うように発音ができないことがいくつかありました。韓国語は母音の種類が日本語より多く、聴者の友人でも「難しい」というのでそんなものかも。

 

発音のスキルはともかく、仮に発音の使い分けができても、おそらく韓国人とは筆談でのやり取りが中心になるかも。日本語と同じく、口話口話なりの限界があるので割り切りながら、ハングルが読めるようになるためのステップとして発音、発声と上手に付き合っていきます。

ということで、冒頭の文字くらいは何とか読める、書けるようになりました。

 

まだまだこれから。

アマゾンで買ったアマゾンの料理人

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9月15日土曜日。早朝は土砂降りだったけれど、正午は写真の通り。人生も恋愛もおんなじ。そして、食べる料理も。

 

料理といえば、どちらかというと食べる方が好きです。作れないことはないけれど、人様に「美味しい!」と言わせる自信はありません。でも、美味しく食べる自信はあります。ということで、今回読んだ本はこちら。

アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所

アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所

 

Amazon(フレッシュアマゾン)で野菜や生鮮品を運ぶサービスがありますが、そっちのアマゾンではなく、南米のアマゾン。そのアマゾンに惹きつけられた著者が料理人として今までどのような料理人生を歩んだかが書かれています。

 

はじめに そうだ!料理人になろう

第1章 冷たいシャワーとパスタ修業

第2章 マフィアのボスが愛するウェディングケーキ

第3章 世界一予約の取れないレストラン

第4章 対決「プラダを着た悪魔」in MILANO

第5章 現代"ピッツァ"百珍

第6章 南米初上陸に野犬の洗礼

これが第12章まで続きます。特に、第4章は本タイトルとかけ離れているように見えますが、これも面白かったです。アマゾンの話は何処へ?と思いつつ読み進めてみると、イタリア、フランス、キューバ、ペルーなどの国名が出てきます。その地域でしか見られない市場の様子や厨房に関わる人たちの行動がリアリティに書かれています。

 

どういう作り方をすればいいのかという風にレシピを単になぞるだけでなく、オリジナリティを取り入れてみたり、本当にこの作り方でいいのかと根本的なことを問うてみたりと著者の葛藤、希望、計画なども書かれていて読み応え抜群です。

 

そして世界的に公平なビジネスを展開していくという話もあります。

世界各地を旅しながらの料理の道を10年以上積み重ねてきた著者だからこそ、伝わってくる言葉がありました。肝心のアマゾンは?というと、ちゃんと取り上げられていました。想像を絶するまではないものの、暮らすってこういうこと?と今までの固定観念を覆されます。

アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所

アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所

 

 

 

60年ぶりの再会

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9月10日月曜日。今日も雨。このまま秋になっちゃうんじゃない?と思うくらい。

 

今の仕事は20代(中には5歳くらいの子どもを相手にすることも)〜80代のクライエントと関わっていますが、たまに「感動の再会」ともいえる場面に遭遇します。本人たちがどのくらい感動されたかは分かりませんが、今日はなんと60年ぶりの再会でした。

 

同じ時間に来られた二人が目を合わせた途端、「ん?あれ?もしかして…」「あ、◯◯さん!?」。

 

かなり久しぶりとはいえ、昔の記憶がいっぺんに蘇ったかのように「あの頃、バスの中で眠っていた君の隣に僕は座っていたんだよ」という話も。まだ34年しか生きていない私にとって、60年ぶりって実感できません。理解はできても、実感がなかなか。

 

でも、当の本人たちが話されていたことは「この歳になると友人や身近な人が亡くなってしまって悲しくなるし、寂しくなる。でも、久しぶりに会えるなんて、本当に嬉しい」。

 

私にとって実感ができない60年という時間の長さを、本人たちが感じている。人生って、生きていることがどうしても当たり前になりがちだけれど、なかなか会えない人に再び会えるって実はとても素晴らしく、幸せな瞬間でもあるのかも。

 

写真は、先週プレゼントにいただいたもの。

映画『シェイブオブウォーター』を彷彿させます。

 

経験値が上がると変化がある

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9月9日日曜日。葡萄がおいしい季節になりました。

ここ数日、雨が降っています。そんな中で昨日、車を走らせていたらヒッチハイクしている若者を見かけました。一人で『山形方面』とマジックで書かれたボードを持っていました。

 

むむう、今日は山形は行かないのだよ。すまん。

と心の中で謝りながら通り過ぎたのですが、バイパスの入り口に近かったので停まりづらい場所でもありました。もう少し下がっていたら、きっと停めてくれるんじゃないかなと、バックミラー越しに要らぬ心配をしてました。

 

それにしても、SNSが普及している現代でもヒッチハイクが見られるとは思いませんでした。あの後、無事山形に行けたのかしら。

 

最近、海外から帰ってきた学生スタッフに会いました。数ヶ月ぶりだったとはいえ、顔付きに変化が。「おや?ちょっとカッコよくなってる?」という感じ。海外で何をしたのかと聞くと、現地の人たちと現地の言葉でコミュニケーション取りながら交流したり勉強したとのこと。現地で日本人以外の友達ができた!と喜んでいました。どうりで自信がつきますね。

 

経験値が上がるって、一つだけでも「あ!できた!」という小さな成功体験を積むこと。この小さな成功体験って、小さな失敗も含まれていると私は思います。失敗して恥ずかしい思いした後の先に、成功体験が待っている。

 

その積み重ねが経験値を上げるということであって、ヒッチハイクの若者も経験値を上げている段階なのだろうと勝手に思うことにしました。

 

年齢を重ねることは、経験値を上げるチャンス。ということで、韓国語の勉強を始めました。どうなるやら。

 

緊急災害支援に寄付

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9月8日土曜日。台風21号に続いて北海道の地震関西空港が閉鎖されただけでも衝撃的だったのに、広島・岡山での災害も含めて身の危険をリアルに感じる出来事が続いています。気をつけて、と思っても気をつけようがないですが「自助・共助・公助」が機能できる状態にしたいですね(ああ、備えあれば憂いなし)。

 

自助・共助・公助の三助の意味をひとことで言うと、「自助」は災害時に自分自身の命は自分で守るということ。「共助」は町内会や学校区くらいの顔の見える範囲内における地域コミュニティで災害発生時に力をあわせること。「公助」は公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決することを言います。

引用先:自助・共助・公助の三助とは?その意味と防災対策 | 災害に備えるための防災メディア | 防災テック

 

テレビや新聞だけでは知り得なかった災害ボランティア活動がSNSを通して紹介されている中、何かできることはないだろうかと思う方々は少なくないはず。実際に活動に参加されている方は本当にすごいと思うし、被災地の方々にとっても心強く感じていると思います。

 

それでも「私なんか行ってもいいのだろうか」「行きたいけど、家族の都合もあるからなかなか…」「仕事があるのに休みが取れるのだろうか」等、被災地のことが気掛かりでどうしようもできないという方もいらっしゃると思います。

私もその一人であり、事業を運営している立場で今すぐにアクションを起こすことは物理的に難しい(新潟に来て実感していることの一つが、アクセスの利便性。東京や名古屋から日帰りで対応できる地域にあっても、新潟からとなると移動だけで丸一日)。ということで、ほんの少ししかできないことだけれど支援基金に寄付しました。

 

 

今回はこちらです。

peak-aid.or.jp

 

熊本地震発生後、被災地テントの活動を行った野口健さん。

今回も岡山の総社市長と協働しながら取り組んで北海道で活動されているそうです。

 

クラウドファンディングでの寄付もできるようになっています。

熊本地震が発生した時は、ここから寄付させていただきました。

camp-fire.jp

 

支援の形はいろいろ。寄付すればいいってものではないのですが、事業を運営している立場で痛感することの一つに「どんなに熱い思いを持ったとしても、活動資金がなかったら難しい」。今の私にできることはこれくらいですが、何よりも被災地の方々が一刻も早く「ほっとできる空間に居られること」を願うばかりです。

 

 

 

 

過酷な状況でも果敢に挑む人たち

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9月4日火曜日。台風21号(チェービー)が上陸しています。韓国語で「燕」と呼ばれている21号、かなりの勢いなので、燕のように柔らかく最小限の被害で済むようにという願いが込められている名前だとか。

 

しかしながら、各地の被害状況を見ていると「台風って一時的だけれど威力がある」と感じます。今日の夕方、外に出てみたら風がいきなりヒューッッ!!という感じで強く吹いていました。この勢い、いつになったら治るのだろうと思うくらい、久しぶりに「台風」を感じた日。新潟はあまり台風が通過しないので、今回の規模の大きさに驚いています。

www.huffingtonpost.jp

皆さんは無事、帰宅できたでしょうか。足止め食らってしまった人も大勢いらっしゃるようなのでどうか無事でありますように。

 

 ところで最近、読み終えた本がこちら。

マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

 

友人たちから「何これ、ちょっと怖いじゃん」。メインタイトルを見れば確かに…。でも、サブタイトルが重要。「メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々」。

 

 

どんな本でも、その本を読むきっかけというのは、誰かの紹介だったり、本屋さんでたまたま見かけたりと色々あります。

今回は「BIG ISSUE」で知ったのがきっかけ。著者は工藤律子さん。「女性として足を踏み入れた渾身の取材ってどんなものだろう」と興味があって。

それに、工藤さんのルポ「雇用なしで生きる」を数年前に読んだことがあり、雇用関係での仕事が当たり前にある中、助け合いのコミュニティからお金を介在させない取引の仕方が書かれていて衝撃を受けました。

 

 

今回の本は、トランプ大統領の「壁を作る!」発言で話題を呼んだメキシコが舞台。

一般市民たちを巻き込む犯罪組織、地元警察、役人のリアルな現実が書かれています。

2016年の殺人発生件数が、シリアに次いで2位。

 

理不尽な要求を突きつけられ言いなりにならざるを得なかったり、幼い時に親を殺された子供たちの実態についても書かれていました。読むにつれて、国内ではあまり考えられない残酷さもあって終わりが見えない国の行方に、ため息が出そうに。


でも、どんなに過酷な環境でも果敢に「改善する」ことに取り組む人がいたのです。国の腐敗だけでなく、一般市民たちの活動もいくつか紹介されていました。その中の一つは、社会福祉士や医者、看護師たちが連携を図り、医療や心理ケアを行ったり、ワークショップを通して「暴力とは何か」「真の平和とは」と若者に議論する場を提供したり、被害者家族の支援に取り組んだり。

 

最も驚いたのは、その活動に携わっている人が20代〜30代が多いこと。中には元ギャングのリーダーだった人もいること。暴力の中に居場所を見出せず、親友の死をきっかけに足を洗い、地域の将来を考えて支援する側に回るといったケースも紹介されていました。

 

日本人の視点を織り交ぜながら数年間に及ぶ取材活動が生々しく、でも、どんなに過酷な状況でも一つのコミュニティを作り、人脈を広げ、次世代を育てながら戦略的に非暴力のやり方で改善を試みていく人が何人もいるのだという事実。これはテレビニュースではあまり報道されない部分。

工藤さんはそういった人たちの取り組みを発信したく、本を出版されたと思うと命懸けの一冊でもあるように思います。

 

この国では、何もしなくても、連れ去られたり殺されたりするんです。だったらいっそ、意味のある殺され方をしたい。おかしな社会を変えるために声をあげ、闘って死にたいのです。(「マフィア国家」より引用) 

 

天気予報に出てくる地図は今ここにいる地域

f:id:syuwakoushi:20180831224711j:plain8月31日金曜日。何気に長いタイトル、しかも何を当たり前な?的なタイトル。

出張や旅先で、テレビの天気予報を見ると「ああ、今ここにいるのね」と小さく感動します。全国の天気予報ではなく、地方の天気予報で。

仙台なら東北エリアの地図が出てきて、青森県岩手県秋田県…と。

鹿児島なら九州エリアの地図が出てきて、福岡県、長崎県大分県…と。

 

 

普段、何気なく見る天気予報は、自分がいる地域がテレビの真ん中に出ています。違う地域が出てくると、もう新鮮な感じがします。特に海外での天気予報を見ると「日本は?」とつい探してしまいそうな。

真ん中にあるってことは、無意識にそれが当たり前と思っているから。

 

良い例が、世界地図の中の日本。子どもの頃、イギリスが中心になった世界地図を見て「どうして日本が真ん中じゃないの?」と衝撃を受けてました。

無意識に当たり前と思っていることは、誰にでもあります。

 

今日も、初めてお会いした方から「全く聞こえないの?ど、どういうこと?」と聞かれました。なんとなく私にとって当たり前に思っていることを聞かれる度に「ああ、当たり前ではないんだなぁ」と。県外で天気予報を見たときと似たような感覚になります。これにも小さく感動しつつ、では、どうしたら分かってもらえるのか。

 

聞こえる世界について私が質問する度に相手(聴者)は「え?何を当たり前な?」と戸惑いの色が。セミの声ってうるさいんですか?とか。

 

それでも、常に真ん中にあることを、夕焼けを眺めるように見ながら教えてくれるのでありがたいです。

そんなわけで、ぜひ旅先とか出張先で天気予報を見てみてください〜

 

止められるものなら UNSTOPPABLE MY LIFE SO FAR

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8月26日日曜日。怒涛の8月がまもなく終わろうとする中、一冊の本をようやく読み終えました。

今まで読んだ中で一番、時間がかかったけれど夢中になった一冊。

マリア・シャラポワ自伝」、英語では「UNSTOPPABLE MY LIFE SO FAR」。 

マリア・シャラポワ自伝

マリア・シャラポワ自伝

 

テニスといえば、不思議なことに周りのスタッフの半分はテニス上手。今もオフに試合をやっているとか。前に一度練習に交じってもらったけど、その日からジムに通うことを決意したのはいうまでもなく。

 

シャラポワといえば、美人で強い選手というイメージしかなく、あまりよく知らなくて。むしろ、2016年、ドーピング疑惑で記者会見を行ったときの表情がとても印象的でした。一種の過ちはあったものの意図的ではなかったこと、テニスができるチャンスをもう一度いただけることを願っていることを話された時、とてもまっすぐ見つめる強い意志を持っている素敵な人だなと。

 

 

でも、その裏にある壮絶な過去や故障した時のメンタル面、試合に臨むための過酷な生活など、私たちはどのくらい知っているのでしょう。よほどのファンでない限り、私たちが知りうるのはテニスコート上の活動のみ。そういうこともあって、シャラポワってどんな人なんだろう、とますます引き込まれました。

すごいのは、試合の流れだけでなく、対戦相手の表情、仕草までの記憶(あくまでもシャラポワの目線)が細かったこと。ボールを追うだけでなく、本当に勝ちたい!という気持ちからくる相手への観察がよくできています。また、テニスコートだけでは分からない小さな楽しみも書かれていました。

 

テニスには興味がなくても、マリア・シャラポワという人間がどんな人生を歩み、どんなことを感じていたのか。同じ30代として、とても良い本に出会えた感じです。

 

「声めぐり」から見た皮膚の記憶

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8月15日水曜日。写真にある建物は、バスの中から撮った沖縄市那覇市ではない)。

沖縄市アイデンティティと米軍との歴史を残すために作られた「コザ十字路歴史絵巻」。何の予備知識もなく偶然、通りかかった時に撮ったもの。マッカーサーの絵もありました。

 

次はここに降りて歩き回ってみたい(数年前に沖縄市で子ども達に芸術活動を教えていた友人を訪ねたことがあったけれど、この歴史絵巻はそのあとに完成したもの)。

 

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/userfiles/oki036/files/kozajyuujiroemakikaitaisinnsyo.pdf

外に出かける時は下調べをほとんどしない(不器用ですなぁ)ので、コザ十字路歴史絵巻のように「あ!これは何だろう」と偶然出会うことが幾多ある。これが、本を読むときにもあります。

 

 

今回は、「声めぐり」。写真家の齋藤陽道さん。

声めぐり

声めぐり

 

 20歳の頃、「あなたと同じ年で、写真やっている人いるよ」と友人に言われて、書店の写真集コーナーで名前を見たことが。齋藤さんもろう者で、耳が聞こえない。そして、偶然にもSNSだったか、この度出版したというお知らせがあり、「あ!あの齋藤さん」ということで早速購入。

 

この本に書いたことは、自伝でもなく、エッセイでも、写真論でもない。声めぐりの旅へ踏み出す一歩を支えてくれた現象についてである。(本の帯より引用)

 

当然、齋藤さんご自身が書いた内容なので言葉一つ一つにすっかり魅入られてしまった。もっとも驚いたことは、経験したことを自分自身がどのように捉えて、どのように感じたかを精密に言語化できていたこと。

 

ろう者、難聴者、聴者、手話、口話聾学校、難聴学級、といった見慣れた言葉が羅列されている中、内面にあるものを一つ一つ取り出して、時には比較し、時には戸惑いを覚えながらも、当時をあたかも目の前の出来事のように振り返っている。

 

ろう者が書いた本はほとんど読んだけれど、齋藤さんのような書き方は珍しく、写真を撮るという行為と似たような部分がありました。

 

そして、「ああ!分かる!」と思わず膝を打った文章も。学生時代のアルバイト先でリーダーの言っていることが分からず、しまいには怒られて差別されたという内容。

 

ぶつけられた悪意に怒ったり、悲しくなるよりも、何を言っているのかわからずにいたリーダーのことばが初めてわかったことに「喜び」を感じてしまっていた。その「喜び」は、悔しいことに暖かくさえあった。

(悪意のことば、から引用)

 

すごい剣幕で怒られた時に限って口の形が読み取れてしまう経験があるけれど、齋藤さんはそれを見事に言葉に置き換えて表現ができている。さすが!と驚くのと同時に、この書き方はとてもいいなぁ、とまるで写真を眺めているような気持ちに。

 

そして、生まれてきた新しい命との出会いを通して「声」とは何かを綴っていた文章もまた、「ああ、この感覚はとても分かる」と共感を覚えました。

 

鼓動、体温、重み、匂い…視覚や聴覚に限らず、触覚や嗅覚で伝わってくるものも、やはり「声」として聴くべきものなのだという思いを新たにする。

(皮膚の記憶、から引用)

 

好きな人と抱擁し触れ合う時に感じる鼓動、体温、重み、匂いも同じであって、その人が持っているものに触れて初めて、言語を通した言葉によるコミュニケーションだけでは気付けなかった新しい発見がある。触れ合ったときの皮膚がそれを記憶し、それを「声」として、見えなかったものを、言葉として紡ぐ。

 

あまりにも素晴らしくて、時には共感し、時には嫉妬?し、一晩で読み終えてしまいました。とても良い本です。

手話が分からない人にも読みやすい内容なので、おすすめです(うぐぐ、私の言葉が拙くて申し訳ないです)。

 

 同時刊行された本があるということで、お知らせです。

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 

 

一歩踏み外したら誰でも同じ

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8月14日火曜日。最近ちょっと涼しくなってきたと思ったらまた暑くなってきました。

旅先で、「そういえば、猫さん見かけないですね」と聞いたら「昼間は本当に暑いから夕方まで待ちな」。どうりで夕方に出てきたわけだ。猫さん、こんばんは!

 

この日に撮った時間は、確か午後6時頃。でも、猫さんぐったり(撮る前、一瞬生きてるか?心配になって近づいたら、ちゃんと動いてました)。

 

今年の夏は本当に暑くて、冬が待ち遠しくなっています。冬になったら、雪積もるのを見て嫌だ!とわめきそう。でも、でも!本当に早く冬になってほしい気分(なんとわがままな!)。

 

雪国の冬といえば、県外生まれ育ちの身にとってはさすがに堪えます。もう何百回も吐いたこのセリフ、新潟の皆さん、ごめんなさい。

私が住んでいる街は山間部と比べたら全然大したことないって分かっているけれど、毎年「ああ〜雪のない地域に逃げたい」と思いますもん。で、太陽が出ているピカーンな日が少なくて、どんよりした曇りが続きます。

 

一方、冬は空気が冷たく澄んでいて、海の表情が夏と全然違って「沖縄の海とはえらい違うなぁ!」と写真におさめたくなります。雪と海。いいじゃないですか、この構図。

ちなみに新潟市からだと佐渡が見えます(夜、島の灯りが見える時も!)。佐渡からも見えるとか。

 

景色が同じ場所だとは思えないくらいガラッと変わるのが、雪国の魅力。

 

と、ここまで書いてて思ったことは「今年の冬は雪国の魅力を感じる余裕が無かったな」です。

 

実は6月あたりに体調に異変を感じていました。いや、正確には4月〜5月のあたりでおかしいなと感じていました。あんなに好きだった仕事が、嫌になったのです。もう仕事したくない!人に会いたくない!という気持ちが起きていました。

 

一方、この気持ちは単なるモチベーションの低下であって時間が解決してくれるから大丈夫、と軽く見ていました。当然のことながらスタッフの中には「大丈夫?休んだほうがいいのでは」と気づいた人もいましたが、それでも仕事をこなし、常に時間に追われる日々。

 

今年のお正月には「6月末まで予定が入ってるから7月以降に休もう」と思っていたので時間に追われる覚悟で乗り切るつもりでした。それもあってか、6月に入った頃には「ああ、もうダメかも」と弱気モードに。急に気分が沈んだり、小さなミスが立て続けに起きてしまったり、ぐっすり寝れなかったり。

 

このまま異変のサインを見逃すと本気で倒れるかも、ということでカウンセラーに連絡しました。かつて多忙を極めていた方から「僕は結果的に倒れてしまった。今は仕事のペースを落としている。君もそうならないように気をつけなさい」という助言が頭の片隅にあったので、カウンセリングを受けることに躊躇いはありませんでした。もともと、日頃から身近にカウンセラーがいる環境下にあったことが大きかったです。友人や知人の中に燃え尽き症候群になってしまった人がいることで、まさかとは思いつつ、話をしてみました。

 

 

結果的にしばらく休養を取ることになり、6月末の仕事が終わった時はホッとし、7月に入ってから休みました。最初はかなり戸惑いを覚えました。まず、自分の中にある「音」が急にピタッと無くなったのです。もともと、「音」は聞こえないけれど、感覚的に静寂の空間が。あんなに毎日、人に会っていたのに、急に一人になった静けさ。あんなに忙しく動いていたスマホが、急におとなしくなった静けさ。

 

 

組織を運営する立場としての孤独は感じていたけれど、物理的に独りになる状況は初めてだったので焦りの気持ちもありました。まだ数日しか経っていないのに、休んでいいのかって。予定のない休みの日の過ごし方がうまくできなくて、自分を休ませる方法を学んでこなかったなと反省。

 

そこからは、掃除したり、昼寝したり、映画を見たり、散歩したり。日常生活の何でもないような行動が、とても貴重な時間に思えて徐々に休養を受け入れられるようになりました。限られた時間の中で会ってくれる友人たちの存在も心の支えになり、今後の生き方を考える良い機会に。

 

予定のない休みの日があってもいいじゃない。適宜休みつつ、バリバリ動きながら人生を生きようって。仕事をしたくてうずうずしている、人に会いたくなっている。これが本来の健全な状態。この状態をキープできることが、今の自分の目標に。

 

幸い、理解のある職場と経済的な余裕があったことで休めました。働きやすさを追求する上で、組織を運営する立場としてこの経験は、必要な経験だったかもしれません。

 

数年前に働きやすい環境を整えることまで頭が回らなかった私を見切って去っていったスタッフの気持ちが痛いほど分かる今、自分にしかできないこと、周りができることをトータルで考え、スタッフたちが「一緒に働けて良かった!」と少しでも思えるように環境を作っていこうって。きっちり休めたかなんて分からないけれど、少しでもいつもと違った環境に身を置いたことは正解だったと思います。

 

今、苦しいなぁ。今、しんどい。

という思いは、ふた通り。

 

一つは、あくまでも目の前にあるものに対する思い。

もう一つは、自分の体に対する思い。

 

前者なら、もう少し本気になれば乗り切れるかもしれない。

でも後者なら、身体を蝕んでいる。休みを必要としている証。

 

カウンセラーに言われた言葉で「自分で気づけた人は少ない。自分の状態を無視し続けた結果、手遅れになった人の方が多いから」。少しでもおかしいな、と感じるこの直感を大事に。

 

一度きりの人生。楽しく人生を生きていきましょう。説得力はありませんが。