うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

日本語が分かるということ

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今月はゲストスピーチが2本。パワーポイントを作るたびに過去に講義したことを振り返ってみる。

「あなたはどうして日本語が書けるのですか」

「どうして日本語が分かるのですか」

といった質問を受けるけれど、この訓練を行ったから身につけられた、と容易に答えるのもどうかなぁと自問自答。同じ集団行動をしても、個人差はあり、そのバラツキが微妙な違いだけに留まらないから。

 

もし日本語が分からないまま育っていたら、きっと世の中の情勢に全く関心を持たず、他者との関わりも持ちたくなかったかもしれない。

でもそれはそれで、アートを究めていたかも。

 

日本語が分からないまま、日本で生活していたら。時々、想像してみるけど、難しい。

去年、フランスの空港に降り立った時の衝撃さ(フランス語が全く読めず、英語表記もなかった)が旅行という非日常的なものではなく、日常生活の中にあったとしたら。

 

日本語が分かることは、日本で生活を送る上でどんなことをもたらすのだろう。

と考えてみるのも、良い機会ですね。

 

今日もごきげんよう