音と文字のセットで覚える言葉
7月29日月曜日。韓国語を学び始めてもうすぐ1年。亀の歩みのようにコツコツとやっては、途中で休んだり。飽きっぽいとはいえ、なんとか続けられていることに驚きつつ、懐かしい気持ちにもなっているこの頃。
韓国語を学び始めたきっかけは、韓国ドラマでもなく旅でもなく、何となく新しきことを始めたいという思い。そして、周りがやっているからということで悔しさ半分、分かりたさ半分で。
今は韓国生まれの先生と話したいという動機で継続中。SNSで見る、ろう者の友人は普通に韓国語が使えていて感心してしまう。私のはまだまだ初心者マーク。
嬉しいことに、文字はほとんど読めるようになった。発音の正しさはともかく、私の身体で感じた音と文字が一致するまではかなりの量で書いた。
発音に関しては先生から正される。音が聞こえないからどうしようもない部分を先生に伝えているので、許容範囲内で文字+音をセットにして覚えるようにしている。というか、その方が私にとってはしっくりくる。手話で覚えたら良いかもしれないけれど、先生は手話ができない(私と話しながら所々、覚えようとしているのでお互い、ハングリー精神が出ているのかもしれない)。
ということもあって、時々懐かしい気持ちになる。日本語を覚えたばかりの感覚にとても近いので、今は言葉(文字)が何となく身体との距離がある。数メートルというよりは、数センチ程度になってきた。
それでも、まだしっくりこない。身体にフィットしていない。
韓国語が話せるようになりたいというよりは、すんなりと書けるようになりたい。音声で話すことは諦めているけど、韓国手話で話せるならやってみたい。
私の中で日本語が身体の中でフィットしたのは大学に入ってからだと思っていたけれど、高校時代に書いた作文を見たら自分でも驚いてしまった。小説ばかり読んでいた時期だったので感化されてしまったかのように言葉を並べていた。その言葉一つ一つが、表面的には真似ているように見えても、当時の感情が思い出せたのでびっくりしてしまった。
韓国語と日本語は違うし、出発点が違うのだからどれくらいのスパンで続けられるか、どれくらいで書けるようになるかは未知数。英語は止まったままだけれど、不思議なことに韓国語を学ぶに連れて英語も少し分かるようになってきている(とはいえ、まだ初心者マーク)。
身体と言葉がフィットするあたり、手話を学ぶ人たちの中にも同じことが起きているのだろうか。今度聞いてみよう。
身近なこと、外にあること
7月28日日曜日。30度を超える暑さが続くので久しぶりに何かを書こうか、という気になった。気まぐれ。県外から遊びに来た友人と雑談した中で、選挙で話題になっている障害者のことも出てきた。友人は手話ができる。私と違う点は、耳が聞こえること。
ろう者が話す、聞こえなくて困っていること。聞こえなくてもできること。
聞こえないことに関するあらゆる話題について「共感はするけれど、少なくとも同意というようなものは難しい」というような話に。実感できないから、というのが理由の一つ。
その人が置かれている立場を理解すること、考えることはできるけれど、実感として「うん、そうだね!そういうことだよね!」というところまでは言い切れない、と。すごく当たり前のことだけれど、なかなか気づきにくい部分かもしれない。不利な立場に置かれている側から「私のこの境遇を分かってくれるよね」と求める声は、ろう者だけに限らず誰にでも起こりうることかもしれない。
実感として分かって欲しいところまで求めているのか。
それとも、こういうことがあったという事実を分かって欲しいところまで求めているのか。
ろう文化、日本手話のキーワードも出てきた語らいの中で「やはり、身近な人や身近なことであれば実感として湧くかもしれないよね」という結論(?)になった。一般論として知っていること、と身近なこととして知っていること、の二つは似ているようで似ていない。後者の方が、説得力が増すほど自分の中での知識が昇華されていく。それを増やし続けていくことでしか、実感を持った理解に到達することはできないのかもしれない。
そこまではいかなくてもあらゆる話題について忌憚ない意見や感想を投げかけてくれること自体、ありがたいこと。耳(目)が痛いことも言われるけど、聞こえる側に対する理解を深めていくためには避けて通れない。
きっと冒頭の話題はしばらく続きそう。
耳が聞こえないことと軽音と音楽の話
4月28日日曜日。各地で「令和」の文字が出ているので、もう5月になったような気分に。手話表現も公表されましたが、一部では物議を醸しています。確かに、平成、昭和、大正、明治、の手話に比べてみればやや分かりづらさがあります。平成なら「平らな」という意味での表現。今回は、なぜそういう表現になるのか、一瞬では分かりにくい。これからどう変化していくのか、はたまた浸透していくのか、楽しみ。
ブログが全然書けなかった4月、怒涛の日々でした。何でこんなにも忙しいの?と不思議なくらい、ゆっくりできなかったようです。でもそんな日々の中で、ハッとさせられることが。
4月といえば、入学シーズン。大学生なら、新歓という言葉が一番よく使われるシーズン。新入生を懸命にサークルに入れさせようと営業する。営業の手腕が問われる時期でもあります。
私もかつてその一人でしたが、そこまで懸命になれなく、混雑した廊下でたまたま肩がぶつかったので「あ、すいません」と声を出したら、相手方が「ごめんなさい、大丈夫でした?」と手話で返ってきました。一瞬、「え?今のは手話?」と驚き、その場を去っていった相手を追いかけて「あの、手話できるんですか?」。
という流れで、サークルに入ってもらいました。彼女は今も手話を続けており、公務員として仕事しています。
ところで、「軽音部って何?」。
大学時代に見かけたことがある文字で、懐かしさを感じていた私に向かって「どういうサークルなの?」とその方は聞いてきました。「軽音部ってのは、ジャズみたいなものかな」と答えたものの、「ジャズって何?」と返ってきました。
彼は耳が聞こえない。大学の敷地内に入るのもこの日が初めて。
「軽音部があるのなら、重音部っていうのもあるの?」と真顔で聞いてきました。音楽の話はよくわからないので、その場にいた聴者に話を振りました。
漢字を見れば、確かに「軽い」「音」なので、対照的として「重い」「音」もある、という認識になったのでしょう。
でも音楽の世界では、「重」という漢字は「重い」ではなく「重なる」の意味合いが強いのかも。典型的なのが、重奏という文字で、二重奏とか三重奏とか。でも、私にとってあくまでも想像でしかできなく、音が重なる、ということがイマイチ理解しにくい。耳が聞こえなく、補聴器をつけていても一つの音として入ってしまうので、よく聴者が混乱しないなぁと勝手に感心するくらい、ピンとこない。なので、この説明が合っているかどうか。
そして、先日はリコーダーとピアノを聴くという機会がありました。音楽をやっている方から「聞こえないので楽しめるかどうか分からないけど良かったら来てください」とお誘いがありまして。チェンバロという見慣れない楽器があったので「触らせていただいても?」とお願いして、鍵盤を弾いてみました。偶然にも、演奏していた方が元聾学校の音楽の先生を務めていたとのことで「聞こえないなら、触ってみていいですよ」とにこやかに応えてくださいました。クラシックピアノより軽やかなタッチ感がして、「これ本当に音出てるの?」とびっくりするくらい不思議な感覚に。
時々、「聞こえない人に対して音楽の話をするのはタブーだと思っていた」と言われます。私はどちらかといえば、音楽を聴くよりも楽器を触ってみたい。大学時代はしょっちゅう、ギターを抱えていた後輩に「お願い、触らせて」とねだっていました。感じる方法が、触るという行為しかできなかったから。
ろう者の中には音楽が本当に好きすぎて、演奏家になった方もいます。タブーであるかどうかは、相手と話してみない限り分からないもの。嫌になったらそこまでと割り切るしかないのかもしれません。
音楽は、音を楽しむもの。
でも、必ずしも耳を通して感じるものが音楽だけではない、ということを証明したこのサウンドハグ、個人的にとても使ってみたいです。
音楽の世界は未知の世界。
おばちゃんの通訳
3月21日木曜日。周りにはなぜか3月生まれが多いので「ええっと、今日は誰々さんの誕生日で合ってたけ?」と手帳見て確認。おめでとう!
暖かくなってきたので久々に畑作業を。私は写真撮るだけ(不器用なので、隅っこで仕事していた方が生産性が良いみたい)。おじいちゃん、お父さん、孫と言っても違和感ない構成メンバーで畑を耕し、種や苗を植える準備をさくさく。
おじいちゃんが見本を見せ、孫が耕し、お父さんが指示する。そんな場面を見ながら片付けたり写真撮っていたら、孫スタッフが「おばちゃんが呼んでますよ!」。
振り向くと、100m離れていた(実際は50mくらいだけど、心理的には)向こう側に見慣れないおばちゃんが立っていました。
「何しとるばい?」
「あ、今度いろいろ作るんで準備してはります」
「ほほう、何作るのかね?」
「えっと、えんどうとかトマトとか」
「ええなー、頑張ってらっしゃい」
といったような会話を交わしました。
正確には、孫スタッフが通訳していました。まだ20、21歳だし、手話を始めて少ししか経ってなかったものの、作業を中断し「おばちゃん呼んでますよ」と知らせてくれました。
おじいちゃん、お父さんメンバーも、耳が聞こえない。作業に集中していたこと、少し遠く離れていたことで、私たちはおばちゃんの存在に全く気付けませんでした。
そんな状況だったので、孫スタッフがおばちゃんと話をして終わる、ということもできたはず。後になって「おばちゃんが話しかけてきて、こんな話をしました」と話題にできたはず。
それでも。
突発的な出来事にもかかわらず、おばちゃんの存在をろう者側伝えたこと、そしておばちゃんの話と私たちの話を訳したこと。
確かに孫スタッフは通訳できるスキルはまだ身につけていないものの、行動に移したこと自体、久しぶりに感心しちゃいました。
おばちゃんはあの後、「じゃあねー」軽やかな足取りで去っていきました。もし、孫スタッフがいなかったら?
「まぁ、熱心にやっとるわなー」と思ってくれただろうか。それとも「まぁ!なんて奴だ、無視するなんて」。
ともあれ、聞こえた内容をとっさに伝えることはそう簡単にはできないこと。手話通訳は言語間を通訳するだけでなく、双方の行為(文化)を伝え合うことも通訳に含まれています。なので、簡単そうに見えて実は難儀な仕事。
ともあれ(2回目)畑作業の初日は無事終了。おつかれさまでしたー!
声を出さない理由
2月11日月曜日。雪が積もった!と思ったらもう溶けています。今年の冬は、新潟らしくないので変な感じ(新潟市内)。
雨と違って雪は音がないので、寝ている間に外が真っ白になる、ということがあります。雨といえば、職場で「ああ!ものすごい雨だわ」とスタッフが教えてくれます。「今の聞こえた?すごい音ですよ!」とか。音で天候が分かるっていいなぁと思いつつ、でも雷が激しい夜でも寝れるのでお互い様。
そして、音といえば「なんで声がないの」ということが話題になります。ろう者の中に、手話を使って話す際、声がない人もいます。
正確には、「出せない」。声を出すこと自体はできても、発音が不明瞭だったり、声の大きさ(出し加減)の調整が難しくて「出すことをやめる=出せない」ことを選んだ人もいます。
また、日本語と手話は同じ構造で成り立っているものではないため、二つの言語を同時に使うことで混乱してしまう。そういうことで、声を出す必要がないということもあります。
声を出さない、出せない=口を閉じる、ではなく、口は動いています。口を閉じたら窒息しちゃいますからね。私でもできません、うぐぐ。
でも、お菓子を頬張りながら手話で話すときは、口を閉じています(話が通じるように見える理由は、話し手が、口を閉じた時に欠落する情報を別の方法で補うよう意識しているから)。
一方で、ろう者の中には声を出す人もいます。学校教育を受ける段階で「声を出すこと」が発音の明瞭度に関係なく、良しとされている価値観を刷り込まれた結果、身体に染み付いています。また、声を出すことによってコミュニケーションがより円滑にできるのであれば、その方法を選択しているだけに過ぎないということもあります。
ここで私が気になるのは、話し手であるろう者が声を出しているので、聞き手(聴者)が「聞こえる人のように話せているのだから、耳が聞こえている」と無意識に錯覚してしまうこと。悪意はなく。
「声を出すこと」と「耳が聞こえること」は別物と思って生きている私にとって、二つの行為がセットされて「声が出せる=聞こえている」と錯覚してしまうのはどうしてなのだろう、と常に思っていました。
以前、こんな場面がありました。
中途失聴者の方が話をする際、本人はほとんど聴力がない状態にもかかわらず、周りの聴者が声だけの手段で話そうとしている。筆談もしくは手話で話す方法は、本人も周りも知っているのに、です。なんとも不思議な光景だなぁと眺めていたら、本人が「うん、うん、そうなのね」と反応していたので、その場は声だけのやり取りで終わっていました。でも後で本人に聞いてみると、「実はあまりよく分からなくてね。でも、途中で分からないなんて言えないのよ」。
聴者も、実は耳が聞こえているから声だけの会話でも十分かというと、そうでない人もいます。聴覚過敏だったり、音声だけでは理解しきれないため、絵に描いたり、文字にすることでよく分かるようになったという人もいます。私も、聴者と話をするときは筆談だけに限らず、本人が理解できる言葉をチョイスし、方法を変えてみたりとアプローチを試みています。時には、英単語を使ってみたり。
人と話すときは、声だけに限らず、様々な方法を使いながら本人が「分かる」方法を編み出していく。これがお互いにできた時に初めて、通じ合う喜びが生まれます。
言語を学ぶということは、通じ合う喜びを得られる道のりを辿っている行為であり、学べば学ぶほど、喜びも深まってくると思います。
ところで、手話を勉強するにあたり、声が必要なのかどうかと相談を受けます。
学び始める年齢や本人の言語力(母語の力)にもよりますが、学習方法として声(日本語)が必要であれば取り入れる。ろう者のような手話を目指すことは、目標として重要である一方、同化としてでなく母語以外の言語であることを前提に、勉強することが大事。
ただ、ここで、声を出しながら手話で話をすることが確実にろう者に伝わるとは限らない、ということもしっかり理解してもらえるように、教える側としての研鑽が求められてきます。
声をめぐって、考えを巡らせてみると発見がいろいろ出てきますね。
聞かれるたびに「いいえ」と答えてみる
2月3日日曜日。1年の中で一番寒い時期になりました(インフルエンザの猛威もこの時期に多いみたいです)。
ツイッターでもつぶやきました。
久しぶりにツタヤに行ったら、セルフレジがありました。自分で商品バーコードをスキャンし、現金もしくはSuicaなどで支払いをするアレです。スーパーは数年前から導入されているので特別に驚くこともないのですが、まさか自分で本を処理するとは思っていなくて。
ちょっと不思議な感じでした。レンタルDVDもセルフレジで対応できるとのこと。
使い方に戸惑う人は、こちらのページで丁寧に紹介されています。
セルフレジご利用方法の動画をアップしました - TSUTAYA 店舗/半額クーポン、レンタル情報 etc. - 店舗関連ページ
場所によってはもう既に導入されているようですが、新潟市内で見かけたのは今年が初めて(おそらく、私がしばらくツタヤに行ってなかったせいかも)。
経営面でのコスパを考えての導入だと思いますが、セルフレジは便利です。普段、コンビニやスーパー、書店では「ポイントカードありますか」「カバーは要りますか」など話しかけられます。それがどうしたのかって?
耳が聞こえないので、いちいち口元を見ないといけない。
耳聞こえない、ということを伝えるのが面倒くさい(怠け者ですみません)。
店員さんがマスクされたら仕方ないので、適当に「いいえ」とだけ答えています。以前は、「はい」と頷いていればいいと思って適当にやってたらポイントカード渡されたり、お箸を渡されたりしたので、「いいえ」の方で対応することにしています。
なので、温かいおにぎりを食べる機会が少ないのです(←温めてって言えばいいのにね)。
海外に行くと話しかけられることはほとんどないので、逆に助かっています。時々、金額が違う!と怒った表情に出くわすことがあるものの、それは「あ、わたし間違えたのね」と理解できる範囲なので、気が楽。今回のセルフレジは、そういう意味では気楽に買い物ができるので便利になったなぁと実感。
気は変わらないけど強くなれる、という台詞
1月28日月曜日。Amazonプライムで海外テレビドラマシリーズ「The Good Wife」がおもしろい。一日で4話を鑑賞。2009年放送からシリーズ7まで続いているようなので、見続けられるかどうか自信ないけれど、見れるところまで見てみたい。携帯電話がスマホではなく、ガラケーというあたりで、時代的には少し前といった感じ(たしかに2009年といえば、今から10年前。ちょうどスマホが普及し始める頃)。
弁護士としての法廷ドラマとはいえ、男性中心の業界の中で「◯◯さんの奥さんね」とすでにレッテルを貼られながらも仕事をバリバリとこなし、依頼人に寄り添う姿にとても共感。きっと、働いている女性なら「とっても分かる!」という場面がいくつか散りばめられている。
このレッテルというのは、ドラマの中ではスキャンダルを起こした旦那の奥さんということで世間の目が厳しくなり、初対面の人に自己紹介すると大抵が「テレビで見ましたよ」「あの旦那さんの奥様なのですね」といった、言われても全然嬉しくないことを言われる。
また、彼女のアシスタントについているスタッフに対しては「インド系かな?」「私こういうのは苦手なのよ」と人種を理由にした差別的とも言えるセリフを言われる。
そして、女性である以上、男性より2倍努力しなきゃいけないと同性からのアドバイスがあり、イエスもノーも言えず黙り込む(ここは英米文化ならではの事情もあるかもしれない)。
働く女性のリアルな姿が、キャストのセリフ一つ一つに表れていて、まさに時代を反映している。その結果シリーズ7まで続いているということで、納得。
女性が思っている以上に周りはいろいろな見方を持っていることを嫌というほど知らされる一方、依頼人を通して法廷で繰り広げられる数多くの場面に「ああ、すごいなぁ」とため息が出ることも。久しぶりに良いドラマに出会えた感じなので、もう少し見続けてみます。
いくつになっても魅力的な人
1月22日火曜日。実話を基にした映画、に弱い私。どこまで実話であって、どれくらい盛っているのだろうと疑うけれど、それでも実話という時点で、どこからどこまで実話なのか気になって仕方ない私。
今回の映画は「あたしみたいな年寄りなんて!」というセリフが出てくる。年下の男性に抱かれる場面が衝撃的だった、というコメントが多い映画。イギリス人のヘレナ・ミレン演じる『ラブ・ランチ 欲望のナイトクラブ』は、1976年のアメリカを舞台にしたもの。
【ストーリー】(amazonから引用)
1976年。アメリカ・ネバダ州リノに住む夫婦、チャーリーとグレースは、州の認可として初となる売春宿“ラブ・ランチ"を開いた。
25人もの娼婦を抱え、毎日違う相手とのセックスを楽しむチャーリーは、更なる事業拡大のため新たなビッグビジネスに乗り出した。
それは、ヘビー級ボクサーのアルマンドを南米から呼び寄せスポンサーとなること。
マネジメントの一切を引き受けたグレースは、アルマンドと長い時間を共にするうち不倫関係に陥り、次第にチャーリーとの夫婦関係がこじれていく。
その頃、リノの地で宗教団体を中心に“ラブ・ランチ"を糾弾する声が上がり、街全体に張り詰めた空気が流れ始める。そして、思いもよらぬ事件が起きてしまう・・・。
個人的には、邦題がちょっと誤解を与えるなぁと気になったけれど、この作品を単なる不倫をテーマにしたもの、と捉えるには勿体無い。三角関係よりも、当時の背景、当時を過ごした人たちの事情が言動に表れていて「これが本当に実話なら、本人たちはどういう気持ちだったのだろう」と興味深くて。
売春宿で働く女性の「ハンバーガー屋で働くよりマシ」というセリフ、アルゼンチン人のボクサーが苦労して覚えた英語で愛を告白する場面、そして経営者と彼らを糾弾する人たちとの対話。いろいろな文化・価値観がぶつかり、消化できないものを抱えながら、それでも生きる道を歩んでいく人たちの姿が描かれ、まるで「当たり前に思っていたこの常識、実際にはどう思ってるの?」と突きつけられる感じがする。
良い意味で人間味のある一本。この映画を演じたヘレン・ミレン、当時は65歳くらい。全然年齢を感じさせない若さががあって、名演技とはいえ本当に美しくてびっくり。
もう少し気の利いたコメントを書きたいところだけれど備忘録として。
一つ知っていると楽しみ方が一つ増える
1月13日日曜日。写真にある作品のタイトルは「旅は人生のスパイス」。
スパイスは、辛いだけでなく、いろいろな味を引き出してくるもの。時にはまろやかな味になったり。
旅も人生の中で、甘い思い出にもなれば時にはあっと驚くような思い出になる。それと同じ、ということが言いたいのだろうか(と、国語のような問いを考えてみた)。
インド・タージマハルと香辛料をイメージしたこの写真。
香辛料の長い歴史を持つインド。そして、インドでよく紹介される観光地がタージマハル。そして、香辛料は色んな味がある。これを知っているから、タイトルを見ると「ああ、上手いなぁ」と感心してしまう。
でも、このうちのいずれか、一つでも知らなかったとしたら。
タージマハルって何?となれば、写真の背景にある物体が何を意味するのか分からなくなってしまう。
知識があるとか情報があるとかの自慢話ではない。日本語を知れば知るほど、言葉の深み、言葉遊びなるものが理解でき、作った人がどうしてこういう発想をしたのだろうと想像するきっかけになる。
手話も同じ。韓国語も英語も同じ。
その言語の表面を超えた時に初めて、言語から広がる世界が見える。そこにたどり着くまで、時間はかかるし、経験量がある程度必要になってしまうけれど、何かを一つでも知ろうとすることは、その先にある楽しみが待っていることでもある。
それが他者と共有できたらもっと最高に楽しくなる。
ということで、カメラの電池を充電しなきゃ。