声を出しながらの手話について
11月25日日曜日。1ヶ月後はクリスマス。フィンランドから公認(!)サンタクロースが来園する企画もあるとか。新潟県立植物園 クリスマスイベント(12月1日)
サンタクロースといえば、聞こえない子供に手話で語りかけた動画が数年前に話題になっていました。
夢を与えるサンタクロースも手話ができる!嬉しいニュースです。
手話といえば、「日本手話と日本語対応手話の二つがあるんですか」と質問を受けることがあります。言語学の専門家ではないので、難しい言葉は使わず(使えない)に解説させていただいていますが、「声を出しながらの手話は、どうなんですか」という質問も出てきます。
世の中には、全く耳が聞こえない人もいれば、片耳だけが聞こえていたり、特定の音だけ聞き取れる人もいます。人間の耳は不思議なもので、私が発する声(独特らしい)を短時間で聞き分けられる人もいれば、どんなに時間をかけてもなかなか慣れない人もいます。ちなみに、iPhoneのSiriは全然認識してくれないのに、「ドナルド・トランプ」と「バラク・オバマ」この二つを発声するとほぼ完全に認識される(!)。
私は自分が発する声が、どんな声をしていて、どんな風に聞こえるかを『自分の耳で』聞いたことがありません。どうやら男性っぽい低い声がするようなので、聞こえるようになったら真っ先に自分の声を聞いてみたい。
残存聴力がある人なら、自分の声は聞こえていると思います。
耳が聞こえない人の中には、手話で話をします。声を伴わない手話もあれば、声で話をしながら手話を使うパターンがあります。
相手も耳が聞こえない、自分も耳が聞こえない。そこに声を使う必要性がない場合は、手話を使います。聴者が相手でも、手話に堪能な聴者であれば、声の必要性がないので手話での会話になります。
でも、例外もあります(だから、ややこしく映るんですよね)。
幼い時から訓練して身についた口話(こうわ)のスキルを低下させたくない、キープしたいから、自分は発声する、という方法。この感覚は、普段、日本語を『音声で』話している聴者にとっては想像しづらいことかな。
相手が聞こえていたり、手話が分からなかったりする場合は、声を出しながら手話で話をします。それは、声自体に必要性があるから。発音の明瞭度はともかく、声を出すことをコミュニケーション方法の一つとして活用するから。
ここまではシンプルに「声が必要か必要ないか」と区別するだけなのですが、ここからは非常にややこしくなります。
1対1の関係を超えて、数名、グループ(集団)での会話になると…
聞こえる人が声を出しながら手話で話をした場合、声の果たす役割が優先的になります。その一つが、割り込み。
耳が聞こえない人は、声が聞こえないので『目で話し手を見る』。
話し手に対して、他の聴者が「あーやっぱり!」「ちょっとそれは…」「ええ?そうなの?それはね…」と発声した時、話し手が交代します。発声した時点で、交代した人が手話で話しても、聞こえない人にとっては『誰が話しているのかを見るのが、間に合わなくなる』。
ワンテンポ遅れても、まぁ、話している内容が分かればまだ大丈夫。
とはいえ、聴者同士が盛り上がった時に、一体どうやって割り込めばいいのか、すっきりしない気持ちのまま見守る…ということもあります。
また、声を出しながら手話で話をする場合、日本語がベースになります。
日本語の文法の上に手話を乗せるイメージで、日本語対応手話とも言われています。巷では「ろう者は、日本語対応手話は通じない」と言われていますが、正しくもあり、間違いでもあります。
日本語対応手話でも通じるというのは、聞こえない人自身が日本語のリテラシーをある程度身につけていることが前提になります(中途失聴者も同様)。
しかしながら、それでも日本語対応手話が否定的に見られているのは、声そのものの役割が聴者同士の中で通用し、耳が聞こえない人には通用しにくい場面が生じてしまうからなのではないか、と。
手話がいろいろな形で使われている現実。
手話を学ぶ人が時々ぶつかる壁の一つ。
ケースバイケースだよ、なんて答えになりませんね。
目の前にいる人や近くにいる人が分かるためにいろいろな方法をチョイスしながら話をしてみることが大事であり、そのためのスキルが手話であることは間違いない。
手話を学びながら、異文化理解を深めていく。その道のりを歩く人たちを応援しながら、私自身も学び続けてみたいです。
少し古いですが、学生時代に衝撃を受けた論文がこちら。
聴者とろう者の発話者交代の仕方が具体的に書かれています。手話通訳を担う人でも案外、知られていない内容かもしれませんので是非ご一読を。
色眼鏡かけるくらいなら透明な眼鏡を
11月20日火曜日。駅で見かけた鳥巣箱のような木箱。
これは「乗り放題」の「ノリホ」ではなく、乗車人数+報告の、ノリホだそうです。鉄道に詳しい友人曰く、列車の人数を紙に書いて投函というアナログなやり方で、最近は減っているとのこと。貴重な木箱だそうです。
分からない時は聞いてみるものですね。
気になった時は調べてみるものですね。
私たち人間はどうしても思い込んでしまう時があります。そして、この思い込みが間違った決めつけ、レッテルを貼る行為に繋がることも無くはありません。
先日、こんな話がありました。
手話通訳の仕事をしている人に「聞こえない人とはどうやってコミュニケーション取るんですか」と質問がありました。ろう者に会ったことがない聴者からの質問。
手話だったり筆談だったり…と答えた後、近くにいる、ろう者を指差して「この人は口の形を読むことがすごく上手いんですよ」と付け加えて説明。聴者は「ええ?そうなんですか」と驚き、近くにいたろう者に話しかけてみました。
概ね通じていたので「すごいなぁ」と感心しきり。
しかし、そのろう者は大変困惑していました。
と、友人から聞いた話はここまでになりますが、この話は続きがありまして。
口の形を読み取れていたにもかかわらず、なぜ困惑していたのでしょうか。
口の形を読み取ることを「読唇術(どくしんじゅつ)」といいます。これが、一部の聴者にとってはかっこよく見えてしまうそうです。たしかに音がなくても何を話しているのか分かれば、まるでマジックでもかかったかのような気分になりますね。
この読唇術がくせ者で、口の形が読めるから誰でもどんな口の形でも読み取れる!というわけではないのです。ボソボソ喋る人もいれば、早口でマシンガントークで話し込む人もいる中で、口の形だけを見るのは結構しんどい作業。相手の声が聞こえにくい分。
1時、2時、7時。
ビール、水。
きつい、キウイ(今日食べました)
口の形がほとんど似たような形になっています。それを、単語レベルにとどまらず、文章や会話レベルになると、何を言ってるのだろう?と想像力をフル稼働しないといけなくなります。
さて、先ほど困惑していたろう者。
なぜ困惑していたのでしょう。
手話通訳者が「この人は口の形が読み取れますから」と「配慮」したつもりかもしれませんが、結果的には「この人は手話は使いますが、口話ができるので手話使わなくてもいいですよ」とも受け止められます。
先ほど困惑していた理由は、そこにあります。
つまり、当事者である本人が望むコミュニケーション方法を、代弁するつもりでフォローした通訳者が「口話できますよ」と説明したため、ろう者のコミュニケーション方法が限定されてしまったということ。
私にも似たような状況に出くわしたことがありました。
「あなた、口話ができるんでしょ。だってインテグレーションで育ったんだもの」。
インテグレーションというのは、聴者が通う学校にろう者も通って学ぶというもの。
残念ながら(?)私はインテグレーション育ちではないし、聴者と同じ学校に通ったからといって全員口話が上手なのかというと、そうでもなかったり。それに、口の形が読み取れるということを褒め言葉として受け止めるのは学生のうちだけ。
先ほどの困惑したろう者はその後、どうなったかというと…
手話通訳者に対して「口話が上手だって?それじゃ、今日から口パクで会話しましょうよ」と返したという。
誤解のないように書きますが、手話通訳者も人それぞれ。本当にいろいろな人がいるので、ごく稀に「あなた、実は耳聞こえてるんじゃないの?」というツワモノに出会うこともあります。
ああ、思い込みは怖い。
でも、誰にでもあること。間違いに気づいたら直していく。
ということで、今日もお疲れ様でした。また明日〜
料理するたびに謙虚さが増す
11月18日日曜日。朝と夜は気温が一桁に。今年も冬が始まろうとしています(もう始まり?)。紅葉もそろそろ終わりそうです。
なんとなくノスタルジックになりそうな(実はこれ、ノルスタジック、と勘違いして覚えていました。こりゃダメだわ、カタカナは難しい)。
ところで、里芋を使った料理にチャレンジしてみました。新潟県五泉市は、きぬおとめ、という里芋が出回ってて、行きつけのお店にもメニューに出てきています。
いざ挑戦!と思ったら、皮むきの難関をクリアできず。里芋の皮むきってこんなにハードル高いのか…だから冷凍物が出回るってことなのかと今更ながら気付くワタクシ。
二度目の挑戦は、土を落としてから鍋へ。その後、水で冷やしてみると「おお、皮がむけた」。あっけなく、難関はクリアできました。
しかし、この作業は手間がかかります。
お正月の煮物に出てくる里芋、あれはおばあちゃんが頑張って、手間かけて皮をむいたってこと。
里芋を使った料理が作れる人は本当に尊敬します。
寒くなってきたので、根菜を食べて冬を乗り切りましょう!
ちょっとした沈黙のあいだに
11月11日日曜日。東京からの来客が「紅葉が見れるなんて感動!!」と興奮していました。
上記の写真は、紅葉が綺麗に見える道から撮影したもの。逆光で葉っぱの色が見えづらく…でも、木漏れ日が良い感じに。
先月からずっと講演、イベント、来客の対応などで予定がぎっしり埋まっているものの、隙間時間に本を読んだり、お茶飲んだりしています。で、カフェで本を読んでいたらこんなことがありました。
本を読む私に誰かが近づいてきました。視界に入ってきたので見上げると、全く知らない人が。
「◯◯◯ですけど、◯◯◯◯◯い」。
とっさのことだったので「はい?」と思わず、表情で返す。
「あ、◯◯◯ですけど〜」。
数秒間、沈黙。「あ、耳聞こえないんです」とやっと返事しました。
すると、相手の方は「え?」と戸惑っていました。
この沈黙がたぶん、2秒、3秒は続いたかも。ああ、この沈黙の時間、久しぶり!(懐かしんでる場合じゃないのに)。
逃げようとしてるわけでもなく、でもどうしたらいい?と困惑している表情だったので、「あ、書いてくれればOKです!」ということでペンと紙を差し出すと、すぐに書いてくれました。
カキカキカキ…
隣のスペースで誕生会を行うのでちょっとうるさいかも、ごめんなさいね、という内容。
ああ、私聞こえないので全然お気になさらず〜
ということで、「ありがとう」と手話で表したら相手も「あ、ありがとう!」と見よう見まねで手話で返ってきました。
この小さな出来事、聞こえない人なら誰でも経験があること(中には逃げてしまう人も!)。相手から見れば、本を読んでいる姿を見て、まさか耳が聞こえない人ということは想定できない。けれど、とっさに紙に書くという行為はコミュニケーションを取ろうという姿勢なので安心感が生まれます。
ここで私がなぜ、「耳が聞こえないんです」と応えるのが遅れてしまったのか。
今回は、本の内容がちょっと難儀だったのもあり、頭の切り替えが遅かったこと。
そして、読書の時間の最中だったこと。
日頃、口の形を読み取る時にある程度の想像力を駆使しているにもかかわらず、今回はそれが間に合いませんでした(想像力を使っても、読み取れない時はあります)。
カフェでの場面でいうと、カフェをざっと見渡した上で「私に話しかけてくるってことは、私が何かを落としたり、私のことを知ってて連絡先を聞きにきたりするくらいだろう」と想像します。そして、想像する範囲内で使われる言葉が脳内に広がります。
「何か落としたみたいですよ」
「これはあなたのものですか」
「本読みました、うすいさんですよね」
といった具合に。
そして、相手が実際に何かを話して、脳内に出てきている言葉のいずれかに当てはまったり、それに近かったりするとある程度は、読み取れます。
しかし、今回はまさか、読書の最中に話しかけられるとは思っていなかったので、ちょっとした沈黙が生じました。
仮に手話で話しかけられたとしたら沈黙は起きなかったはず。手話を読み取る時も、ある程度想像力を使っているとは思ったけれど、口の形を読み取る時ほどのエネルギーを要しない。この感覚、聞こえる人の場合なら「日本語で話しかけられたら普通に答えられるけど、英語や韓国語でいきなり話しかけられたら…」というようなもの、かな。
ということで、本を読んでいる人は必ずしも聞こえる人とは限らないってことですね(いいの?こんなオチで)。
失恋から考えた、仕組みを作るということ
11月5日月曜日。30代前半最後の日。ああ、もう折り返し地点。
たまたま、「失恋」の漢字を見た年配の方から「しつこい」と言われました。し、しつこい?と思わず聞き返しました。
年配の方は、ろう者。耳が聞こえません。
「だって、この漢字、しつこいって読むんでしょ?」。
失=しつ、恋=こい、ということで「失恋=しつこい」と読んでいました。真顔で。
しつこいから失恋する、というのはさておき、こういう場面はよくある話。漢字の読み方を間違えるって、本人は気付かないし、気付きようがない。私もその一人。
聞こえる人でも間違うことはあるけれど、確率的に見たら、ろう者の方が圧倒的に多いかも。スマホで漢字を入力した時に、うまく変換してくれなくて、「あれ、今までの読み方、もしかして間違ってた?」と初めて気付くことも少なくないです。
耳に入る情報量を上回る方法なんて無い。もう仕方ありませんのう。
耳が聞こえないってことを割り切る。
そして、仕事でも割り切っています。私宛に電話があった時のこと。
相手は私が聞こえないことを知らないで電話かけてくるときがあります。手話や聴覚障害のキーワードを掲げてNPOを運営しているものの、まさか耳が聞こえない人が運営しているとは思っていなかったのか、「え?聞こえないんですか」と反応されることは日常茶飯事。
スタッフのほとんどは手話ができるけれど、電話通訳は年に1回あるかないか。手話通訳ができないというよりは、手話通訳ができるスタッフもいるけれど、緊急でない限り、ダイレクトに連絡し合った方が効率的。
LINEやSNSが普及している時代が後押ししているのもあって、メールでお願いするとほとんどが快諾。チャットで対応できるところはチャットで、という風に。
それでも「いや、電話で話したいんだから」と言われたのは、意外にも手話関係者でした。スタッフに向かって「手話できるんでしょ。だったら電話で通訳しなさいよ」と。おお、そこまで言っちゃうのか…。
よくよく聞いてみると、電話の相手は、私と同じく耳が聞こえない人、ろう者。日本語を使ったメールが苦手だから、手話で話をして通訳してもらった方がスムーズだからということでした。
「それだったらテレビ電話しましょう」ということで、テレビ電話に切り替えました。もともとテレビ電話は苦手だし、時間を取られてしまう感があるので正直やりたくないけれど、日本語が苦手と言われてしまった以上、どうしようもない。案件が進まない。もうテレビ電話しかない、ということもありました。
電話しても(判断できる人が)反応してくれない。それならメールで!ということが周囲に浸透してきたのもあり、メールで連絡してくることが増えました。おかげで日程調整や案件の打ち合わせがサクサク進み、記録にも残るので助かっています。
既存のシステム(音声言語を中心にした、耳から聞く仕組み)では対応しきれない。だったら、新しいシステムを作っちゃおうということで、もう割り切ることにしました。新しい仕組みを作っている方々にも色々聞いてみたいです。
最後に、失恋の話が出ていますが、失恋したとかそういうことはないのでご安心をw
静岡県の手話は富士山?
10月29日月曜日。怒涛の10月があと2日で終わろうとしています。
上記の写真、カメラがなかったのでiPhoneで撮りました!
って周りに話したのですが、旅慣れている人からは「おお!このアングル、見たことある!良いなぁ〜」。一方、旅にあまり興味ない人からは「富士山?それがどうしたの?」。何とも極端な反応。
おかげさまで「ろう者の祈り」の本をきっかけに、各方面で講演依頼がきています。
ということで今月は山梨県甲府市と富士吉田市に行ってきました。
新潟から車で行くと約4時間。でも、車運転して講演して、また運転して講演して、また運転…というのは全然自信がなくて。こういう時に秘書がいてくれたらどんなに助かるんだろう!と思いつつ(本音を言えば、募集したい)。
新潟から東京まで新幹線で約2時間。
東京から八王子まで中央線で約1時間。
待ち時間、乗り換えの時間も含めて約5時間。
その日は甲府で講演した後に、市内で宿泊する予定でした。が、ハロウィンの季節ということもあってか、ホテルが満室&料金が2倍に。
ということで、講演後にまた電車で移動。
甲府から大月まで約1時間。
大月から下吉田まで約1時間。
1日だけで合計7時間の移動。こ、こんなに遠かったっけ?
宿泊先に近い駅に降りた時はもう真っ暗。田舎というのもあり、駅に降りたのは私一人だけでした(この駅で合ってる?と一瞬不安になるのが、ローカル線ならではの体験)。
翌日は運よく秋晴れ!
前日の夜に降りた駅が見たくて、見に行ってみたら…
おお!オシャレな駅!
でも、それよりも驚いたのが外国人観光客の多さ。中国人、韓国人だけでなく、タイ人、アラブ人、などなど。駅員さんと私以外は、全員外国人。つかの間、異国の地を経験できました。
この後、講演前に主催者の方が案内してくださったのが「浅間公園」。
あさま、ではないです。せんげん。
手前に神社がありまして「今日の講演、無事に終わりますよう…」と拝もうとしたら、
ちょっと、何かついているのではないですか。上の方に。
お、お面?
主催者の方に聞いてみると「え!?私、何度もここに来ているのですが、初めて見ました!」とのこと。この後、昼食を共にしたスタッフさんにも聞いたのですが「いや〜聞いたことないっすね」。
何とも不思議な。
普段見慣れている光景だと気付きにくいのかもしれません。
引き続き、山梨県育ちのスタッフさんたちとお話しさせていただきました。静岡県の話題になった時、手話が「お茶」になっていました。
静岡=お茶、という表現です。
一般的には、静岡=富士山、の表現になっています。
一部によっては「静かに歩く」という表現プラス、「岡」を加えた表現もあります。
山梨県のように「お茶」と表すのは初めて見たので思わず、「今のは、静岡なんですかね?」と確認したら…
何をいうてる!?当たり前やんか!(実際にはもっと優しい口調でした)
ということで、どうして「静岡=富士山」ではないのかと聞いたら…
何をいうてる!?当たり前やんか!(2回目)
山梨県民曰く、テレビに映っている『富士山が綺麗に写っている映像』について、ほとんどは山梨県側から見える富士山として紹介されているそうです。
事実かどうかはともかく、確かに富士山といえば静岡県にある山、という印象が強いかもしれません。こういう対抗意識は、他の県でも見られるのですが、まさか、手話に現れてくるとは。
手話も言語の一つだなぁと実感する出来事でした。
ところで、肝心の講演はどうなったのかというと…
おかげさまで無事終わりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
もちろん、手話の違いをネタにお話ししました(皆様、面白がってくださって嬉しかったです)。
聞こえない世界での電話
10月14日日曜日。スノーピーク(本社が新潟県三条市)のチェア、最高。このチェアに座るために帰る、と言っても過言ではないくらい座り心地が良い。読みたい本が少しずつ読めるようになってきています(そして、そのまま寝てしまうという…)。
生活の一部を物理的に変えるだけで、行動まで変わるから不思議。
ところで、住まいの環境を変える時に頻出するのが「電話をください」「本人確認したいのでお電話を」「電話番号を教えてください。電話しますので」。
以前よりはメールやネットで登録情報変更手続きができるので、電話ができなくてもさほど困らない。「耳が聞こえない人は電話ができない。」というフレーズは矛盾しつつある時代になっています。
ただ、「耳が聞こえない人も電話ができる」というのもまた矛盾しつつある時代。
耳が聞こえないといっても、人によっては残存聴力を活かして電話したり、特定の人となら電話でも話せます。全く耳が聞こえない人でも、かつて電話を使った経験があったりします。公衆電話を使って家族に電話をかけ、一方的に用件を伝えて終わり(だって、向こうからの声が聞こえないから)。
15年くらい前にアメリカで文字通訳による電話を見て「聞こえない人でも双方的に、電話ができる!」と感動したくらい、私にとっての電話は「使いたくても使えないもの」の一つでした。
今や全く聞こえない人にとっても使えるようになったのが電話リレーサービス。
オペレーターが中間に入り、聞こえない側は手話、文字などによって用件を伝え、聞こえる側は音声で応対するもの。
電話リレーサービスとは? | 電話リレーサービス普及啓発推進事業
「電話リレー」を通して人とつながる、世界が広がる | NPO Information Gap Buster
目も耳も不自由な盲ろう者の電話リレーサービス『CAAG VRS for the Deaf-Blind』 | LICOPAL
しかしながら、聞こえない人全員がリレーサービスを使ったことがあるかというとそうでもないです。電話する必要性がない(同居している家族に電話を頼めばいいとか)、そもそも電話ってどういう時に使うのかイメージができないようです。
電話なんて無理ムリ。
聞こえない世界での電話、というのはテレビ電話(直接、相手の顔を見ながら話をする)が一番分かりやすいものの、相手も手話ができることが条件になっています。かつてドコモがFOMAを始めた時に爆発的にテレビ電話が流行りました。
じゃあ、手話ができない相手だったらどうするの?メール、LINEすればいいじゃん。
面白いことに、耳が聞こえる人の中には「私、聞こえるけど電話好きじゃないの」という人もいます。電話する時間が勿体無いとか、メールの方が記憶に残るからとか、理由はいろいろ。
電話はできるけど電話しない。
これは「電話ができている」が前提になって初めて選択できるもの。
では、聞こえない人にとって「電話はできるけど電話しない」という選択ってできているかどうか。
物理的な環境見ると、通訳できるオペレーターの人件費の確保、時間的な制限といった課題があります。24時間体制ではないので、仕事が終わって帰宅した後に電話したくてもできない、かといって朝電話するとしたら8時からになる。とはいえ、数年前よりは格段に電話が使える環境になっています。
心理的な部分も含めた生活環境はどうでしょうか。
電話できたらラクだけどどうやって電話したらいいか分からない、電話すれば解決できるのに初めからその方法が思いつかない、ということがあります。電話のかけ方について、ホームページを見たら分かるものの、最初から電話を使うかどうかというスタート地点に立っていない人を、どうやって案内するか。
・実際に使っている事例を情報交換する。
・情報交換するための機会(SNSにアクセスできない、読み書きに苦手意識があるろう者が繋がれる機会)
・現時点で電話できる環境を作る。
・その他
それがクリアできて初めて、電話できるけど電話しない選択できるようになるのでは。きっと今以上に何かしらの変化が生活の中に生まれると思います。
そして、聞こえない世界の中での電話が普及するのはそう遠くないかも。
「障害者を作っているのは私たち」
10月7日日曜日。木の葉が黄色に変わり、稲刈りが終わった田んぼ。道路の向こう側に山並みがくっきり見える。でも昨日から今日にかけて、秋に似つかない風が。台風のフェーン現象?
ところで、最近読んだ本に「手話」が出てきました。
- 作者: ボストンテラン,Boston Teran,田口俊樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/08/04
- メディア: 文庫
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貧困家庭に生まれた耳の聞こえない娘イヴ。暴君のような父親の元での生活から彼女を救ったのは孤高の女フラン。だが運命は非常で…
(「音もなく少女は」あらすじから引用)
ストーリーは普遍的。でも、耳が聞こえない娘という要素が加わることで貧困、暴力、孤独をさらに際立たせる描き方になっていました。耳が聞こえなくて可哀想な娘、と同情する余地はなく、成長していくにつれて出会う人たちとの関わり方が淡々と描写されています。コーダではないけれどコーダのような人も登場します。
貧困、暴力、孤独をテーマにした物語に不慣れな人は相当なパンチを食らうかもしれません(私もそんなに慣れているわけではないので、気が重くなる場面もあり)。それでも興味のある方は是非。
そして、もう一冊。
聴覚障害だけに限定せず、視覚障害、知的障害、精神障害、発達障害などの障害全般を取り巻く現状について、教育や福祉について経済学者の視点で書かれている本。
特別支援学校の役割、障害者雇用、特例子会社、就労支援施設の仕組みなどに触れています。障害を医学モデルではなく、社会モデルで捉える必要性はもちろん、制度上の矛盾点を理解した上で「働き方改革」を考えるヒントが詰まっている一冊。タイトルからなんとなく敬遠しそうな経済学とはいえ、「障害者を作っているのは私たち自身である」というメッセージが伝わってきます。
と、お知らせはここまで。
まだ読み終えていないけれど、こんな本もありました。
- 作者: 羽田野真帆,照山絢子,松波めぐみ,中村雅也,宇内一文,有海順子,清水睦美
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2018/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ろう教育と「ことば」の社会言語学ーー手話・英語・日本語リテラシー
- 作者: 中島武史
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2018/09/13
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卒業論文の参考になるかも。
韓国語を学び始めてみて
9月20日木曜日。
고기,오이,모자,,,,
これが読める人にとっては「何?それがどうしたの?」。
これが読めない人にとっては「何?意味わかんない〜」。
(肉、きゅうり、帽子)
今月から韓国語を始めました。ちょっと前に独学でチャレンジしたことはあったけど三日坊主に…。韓国語とハングルの違いも分かっていなく、ハングルで書かれている文字が謎解きの迷路のような文字に見えて、これは一生かかっても読めるわけがない!と別世界の暗号のように見えていました。
それに、韓国の映画といえば「シュリ」くらいしか観ていなく(この作品は、好きな映画の一つ)。韓国の文化にそこまで深く興味を持つ機会がなく…。
周りが韓国語を勉強してて、韓国語スピーチコンテストで優勝したり、韓国に短期留学したり、韓国の友人とカカオトークしたり。次第になんだか韓国語が気になってきて。でも、韓国語使う機会ないし、難しそう!
でも、読めたらどんなに気持ちがいいんだろう!
でも、難しいから覚えられない!
でも、「でも」の堂々巡り。
最後のトドメは、職場で韓国料理を教えてくれた韓国人の先生が「私、手話やってみたい!」と話していたこと。
うむむ!日本人ならまだしも韓国人の先生が「(日本の)手話を学びたい」と言っているのではないか!それならば、私も負けまい!ということで、韓国語を学び始めました。一人では絶対続かないので、友人の紹介で韓国人の先生に教えてもらっています。
先生からは「聞こえない人に教えるのは初めてだから、分からないことは何でも聞いて」と繰り返していました。もちろん、分からないままでは次のステップに行けないので質問せざるを得ないのですが、先生の日本語が堪能、流暢なので日本語、英語、そして手話も織り交ぜながら確認をして進めています。言語を学ぶ時、学習言語をダイレクトに学ぶ方法もあれば、自ら理解できる言語(母語とも呼ばれる)を介して学ぶ方法もあります。
今は初心者なので、謎解きの迷路みたいな文字を一つずつ、発音を確認した後に書き込むという方法でやっています。音と文字の組み合わせでやっと覚えられるくらい、頭がそんなに良くないので…(発音なんて要らない、文字さえ覚えればよし!という人がいたら学び方を教えてほしい)。
この発音の時間が、私にとっては懐かしい時間でもあります。先生が発する声は全く聞こえないので、口の形を見ながら自分で発声してみる、の繰り返し。単調にも見えるやり方は、子どもの頃に日本語の「ア、イ、ウ、エ、オ」を繰り返して練習した時と似ています。「サ」なら息がかかる、「ナ」なら鼻が響く、「ラ」なら舌を動かす…
先生から「声をもっと大きく出して」と言われた時、無意識に染み付いていたものって本当にあるんだなぁと実感。耳が全く聞こえないので、声の大きさ(ボリューム)の調節が難しく、「静かに!声が大きい!」と子どもの頃に怒られたことが何回かあります。そのせいか、最初からあまり大きな声を出さないで「普通に」声を出す音量が、思いの外、先生にとっては小さかったようです。子どもの頃の経験を話したところ、「ええ?知らなかった。でも韓国人ははっきり喋るから、気にしなくていいのよ」。
発音の練習を最後に終えたのは、中学時代(だったと思う)。あれから約20年の間に、「この文字は、こうやって発音する」と言われて練習するという機会はほとんどありませんでした。成人向けの口話練習ができる施設があるらしいのですが、必要性はほとんどありません。通じなかったら言い換えてみたり、筆談したらいいし、手話通訳を使うとか、スマホに打ち込むとか、いろいろな方法があります。
仕事で手話を使う環境にいるから日常生活の中で全く声を使わないのかというと、案外そうでもなく、聴者のスタッフに対しては適切な指示や意見交換ができるように声と手話を併用することもあります。
ただ、この約20年間、声を出して発音を使い分けて話すトレーニングをせず、常に実践してきたせいなのか、緩やかに機能低下しているのでは?と感じました。スポーツで言えば、走るためのトレーニングを行わず、常に試合で走りっぱなしの状態。基本中の基本って何事においても大事なはずなのに。今回のレッスンで、「あれれ?」と思うように発音ができないことがいくつかありました。韓国語は母音の種類が日本語より多く、聴者の友人でも「難しい」というのでそんなものかも。
発音のスキルはともかく、仮に発音の使い分けができても、おそらく韓国人とは筆談でのやり取りが中心になるかも。日本語と同じく、口話は口話なりの限界があるので割り切りながら、ハングルが読めるようになるためのステップとして発音、発声と上手に付き合っていきます。
ということで、冒頭の文字くらいは何とか読める、書けるようになりました。
まだまだこれから。
アマゾンで買ったアマゾンの料理人
9月15日土曜日。早朝は土砂降りだったけれど、正午は写真の通り。人生も恋愛もおんなじ。そして、食べる料理も。
料理といえば、どちらかというと食べる方が好きです。作れないことはないけれど、人様に「美味しい!」と言わせる自信はありません。でも、美味しく食べる自信はあります。ということで、今回読んだ本はこちら。
アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所
- 作者: 太田哲雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/01/18
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Amazon(フレッシュアマゾン)で野菜や生鮮品を運ぶサービスがありますが、そっちのアマゾンではなく、南米のアマゾン。そのアマゾンに惹きつけられた著者が料理人として今までどのような料理人生を歩んだかが書かれています。
はじめに そうだ!料理人になろう
第1章 冷たいシャワーとパスタ修業
第2章 マフィアのボスが愛するウェディングケーキ
第3章 世界一予約の取れないレストラン
第4章 対決「プラダを着た悪魔」in MILANO
第5章 現代"ピッツァ"百珍
第6章 南米初上陸に野犬の洗礼
これが第12章まで続きます。特に、第4章は本タイトルとかけ離れているように見えますが、これも面白かったです。アマゾンの話は何処へ?と思いつつ読み進めてみると、イタリア、フランス、キューバ、ペルーなどの国名が出てきます。その地域でしか見られない市場の様子や厨房に関わる人たちの行動がリアリティに書かれています。
どういう作り方をすればいいのかという風にレシピを単になぞるだけでなく、オリジナリティを取り入れてみたり、本当にこの作り方でいいのかと根本的なことを問うてみたりと著者の葛藤、希望、計画なども書かれていて読み応え抜群です。
そして世界的に公平なビジネスを展開していくという話もあります。
世界各地を旅しながらの料理の道を10年以上積み重ねてきた著者だからこそ、伝わってくる言葉がありました。肝心のアマゾンは?というと、ちゃんと取り上げられていました。想像を絶するまではないものの、暮らすってこういうこと?と今までの固定観念を覆されます。
アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所
- 作者: 太田哲雄
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