砂糖から考えた日
3月10日土曜日。さとう、の日。さ(3)、とう(10)。
このような日本語的な発想は、いわゆるダジャレなのですが、日本語が分かっていれば通用することが前提。音声による日本語がベースに。
「ここは本当に、鹿しかいないね」
「今日は晴れてるから、鴨が見れるかもしれないね」
・・・あまりよろしくないダジャレで申し訳ないです(汗)このようなダジャレをろう者に伝えてみたら「どういう意味?」と真顔で聞かれました。
どうしてこういうところで笑うのか、ということが理解できないと。
そりゃそうです、元のネタが面白くないから。
・・・なのですが、その前に「鹿」と「〜しかいない」、「鴨」と「〜かもしれない」のように、ここが「おもしろいか、つまんないか」を見極めるポイントであることが、本当に分からないということ。
なぜ分からないのかって?
聞こえる音から成り立っている日本語だから。日本語を知っている人だけが通じてしまうのが、ダジャレ。
ただ、誤解のないよう、日本語を巧みに巻き込んで手話にすることもあります。ろう者が集まるコミュニティの中にだけ通じる手話として。
日本語にも、そのコミュニティの一員なら「あー分かる分かる!」言葉があります。
例えば「めいえき」。
名古屋(愛知県)市民なら一発で「名古屋駅」だと分かります。名古屋の「名」と「駅」の組み合わせ。
そういった現象が手話にもあります。例えば「サイボウズ」。
夫婦別姓が話題になっている会社サイボウズ様のグループウェアについて、話をしていた時。
指文字の「サ」を表した利き手(グーの形)を頭の上でぐるぐる回す(お坊さんの表現)と、「サ」+「ボウズ(坊主)」。
でもなんだかんだ言って、元が日本語だから手話ではない、という批判もありますが、当事者同士が合理的に通じている以上は、手話とみなしてもいいのではないかと。
そんなことを考えてコーヒー飲もうとしたら「砂糖要りますか」の3月10日でした。