うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

手話も、日本語も伝え方次第

手話教室や手話サークルによっては「声を出すこと」を禁ずるところもあれば、「とにかく手を動かしましょう」と推奨するところもあります。

 

 

音声言語である日本語を媒介すると手話を覚えることが難しくなったり、手を動かすことで手話に慣れてもらいたいという理由があります。

私がかつて教えていたところでは、そういったことは一切やりませんでしたが、「手話をやるときに声も出した方がいいのですか」といった質問がありました。

 

手話の世界では、日本手話、日本語対応手話、中間手話、手指手話…と様々な用語があります。言語学の世界では丁寧にそれぞれの違いを分析されています。

 

手話を始めたばかりの人にとって、迷いやすい部分が「日本手話と日本語対応手話があること」。講師のアプローチ次第、というのが大きいのですが、手話の世界の残念な部分は講師自身が「手話についてあまりにも知らないまま」状態にあること。

中にはとても素晴らしい講師もいらっしゃって、やはり学習者がたくさん集まっていることが分かります。

 

手話について知らないのに講師?という疑問が出てきますが、講師になるための講座自体が数少ないこと、講座の講師でさえ手話に対して「こうあるべき」というモデルを信仰していたり、聴者に手話を教える行為だけで満足してしまったりとなかなか複雑な背景があります。

こう書くと「手話の世界ってなんだか、ちょっとヘン!?」と嫌になりそうですが、決して手話に関してはそういう負の部分ばかりではない、というのもまた事実。

 

手話をやるときに声を出すのかどうかについては悩みどころですが、私自身、拙いながらも声を出して話すときがあります。その方が通じる相手であればあるほど、分かりやすく伝えるために選択します(難聴者で、音声を頼りに生きている方もいらっしゃるのでできる限り、伝わりやすいように心がけていますが、拙い声を理解しようと努めている姿勢に頭が下がります)。

一方で、声を出さないで話すこともあります。私の声が聞こえない相手であればあるほど、声が果たす役割はゼロになってしまいます。それよりも、相手が理解できるように伝え方を工夫することに力を入れる。

 

これがコミュニケーションの基本なのですが、そういった話をしても手話を始めたばかりの人にとっては戸惑いやすいようです。その場合は、まずは語彙力を鍛える、それに尽きます。

 

言語は、学べば学ぶほど奥深さを感じる分野。思い切ってダイビングしながら楽しみたいですね。