うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

見つめ合うのは恥ずかしい

f:id:syuwakoushi:20171024205931j:plain

という人もいますね。

 

そもそも見つめ合うことが苦手、難しいという人もいます。このムーミン達のように、程よい距離で見つめ合うならまだ大丈夫、という人も。

 

手話を使う人の間では「見つめ合う」ことは普通のことであり、それがないと会話が成り立たない言語でもあります(ただ、盲ろう者もいて、手を触って手話を通して会話をする人もいます)。

この「見つめ合う」は、もちろん話しながら、であるのが前提。

 

黙ったままの状態であれば、私でも「いや〜見つめないでおくれ〜」となります。

手話を習い始めた人の中には時々、目をそらして話すので何を話しているのか分からない時も。

 

でも手話で話しをしていると、無意識に「見つめ合いながら話すこと」に慣れてきているのが分かります。本人も「手話のおかげで、人の顔をしっかり見れるようになった」と効果を感じているようです。

 

おもしろいことに、見つめ合うことの先にある「視線」について、聴者の中には「見られている」ことになかなか気づきにくい人もいるみたいで。

ろう者が話しかけているにもかかわらず、「え?まさか、私を呼んで話していたの?」ということがしばしば。よく考えてみれば、確かに学校では、先生から声で名指しされることもあるし、名前を呼ばれて「あ、私のことね」と気づく場面が多く、むしろ、相手に見つめられて「あ、私?」という場面は少ないかもしれません。

 

また、手話の場合、同じ空間にいる以上、名前で呼ばれることは少ないような気がします。視線で追いかけて、その人と目があった瞬間、呼びかける。

相手も同時に「あ、私を呼んでる。何だろう」と気づけたら、会話が始まるはずだけれど、意外と気づきにくい人もいます(鈍感だから、って済ませてもいいかもしれませんが、見るという行為に慣れていないことに、ろう者が気づけたら会話はもっとスムーズにできるはず)。

 

以前、聴者がぼーっとしている時にろう者が話しかけてみたけれど、反応がなくて「なんだよ、無視しやがって」と怒りそうになった人がいました。その場で「いやいや、無視しているつもりはなくて、気づいてないからもう一度、呼びかけてみたら?」とやらせてみたところ、誤解は解けました。

 

見る、という行為を通して人との関わりを持つ。手話が持つ文化として外せない重要なもの。あらためて、意識してみると、なかなかおもしろいです。

 

それにしても、じっと見つめられたら、やっぱり恥ずかしい〜