うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

隣人からの相談

ちょっぴり涼しくなってきたので、コーヒーを片手にホッと一息つこうと思ったら、誰かが隣に座ってきた。

「ちょっと相談したいことがあるけれど」。

 

話を聞いてみると、どうやら、自分の行動について周囲がとやかく「やめなさい」「あなたは頭がいいんだから、そんな人たちと一緒にしないで」と言うらしい。

 

なんのことか分からなかったけれど、話を最後まで聞いてみると、こういうことらしい。

自分で考えて決めた道だけど、周りは頑なに反対する。頭が良いだろうが悪かろうが、学歴なんてものは関係なく、自分はこれでいいと思って前に進んできた。でも最近になって、本当にそれでいいのか不安になってきた。このまま振り出しに戻った方がいいのか、それとも…。という内容。

 

自分と向き合って生きている人なら誰でも通る道であり、前に進めば進むほど、これでいいのかと時々振り返ってみては、不安になったり、心配になったり。初めて通る道を、車で走らせるにしても、歩くにしても、きっとほとんどの人が「ちょっと待って、この道で合ってるかしら」と後ろを振り返りたくなる。

そして、振り返ってみたら真っ暗だったり何もなかったり。前を見ても、なかなかゴールが見えなくて、ほんとに大丈夫?私?という感じに。

 

そこから、後ろに引き返すか、前に進み続けるか。

立ち止まったままでいることもできるけれど、必ずどちらかの道をいかないといけない。そんな状況に出くわすことが、人生の中では何回かある。

知らない間にいくつかの選択肢があって、一つ一つ選んでいくうちに、今の道になっていることの方が多いけれど、ほとんどの人は気づかない。周りが用意したレールに乗る、という生き方もあるけれど、用意してくれただけでなく、自分がそのレールに乗っていくことを選んだということも事実。

 

無意識のうちに選択している人生が数多くある中、自分で自分の生き方を決めることは勇気が要ることかもしれない。勇気を勇気だと思わず、そのまま猪突猛進のように進む人もいるけれど、たいていは「そんな道、誰も選ぶわけないじゃん」という道こそが、本人にとってとても価値のあることかもしれない。それぞれの生き方、決め方がある。

 

その上で、周りが反対する理由を見極めながら、最終的には自分で決めて、自分で決めたことに責任を持つことができれば、その道はあながち間違っていない。

 

コーヒーが冷める頃、隣に座った人は「きっとこれからも迷うことはあるけれど、でも周りに言われたからそうした、という理由だけは避けたい。自分の人生だから」。

 

世の中には、生まれ育った環境によって最初からその道が閉ざされて諦める人もいる。

現実的に難しい状況に置かれている人もいる。

何かの本で「あなたにとっての明日は、誰かが必死に生きたかった一日でもある」ということが書いてあった。

 

私は彼にその言葉だけを伝えて、コーヒーを飲み終えた。

 

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