うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

手話で話している島

SNSで最近紹介されていた、DASH村ならぬ「手話の村」。

インドネシアのとある村で、村民たちが手話で話し、ろう者も溶け込んでいる様子が取材されていました。(動画あり)

www6.nhk.or.jp

個人的にはもっとどういう背景があって、どういう文化があって形成されていったのか、知りたいところです。一つのコミュニティとして成り立っていることは、その一員が手話で話すことを日常生活として「当たり前」になっています。

 

誰もが普通に「手話で話す」といえば、懐かしい本がありました。 

「みんなが手話で話した島」(今は絶版で、古本でなんと1万円!)。

 

アメリカの、とある島で島民たちが手話を共通言語として使っていたため、「誰がろう者で、誰が聴者かなんて全く意識してなかった」と書いてあったことがとても印象的。

 

みんなが手話で話した島

みんなが手話で話した島

 

 

島民であれ村民であれ、ろう者と聴者が一緒になって過ごすことはとても良いこと。まさに理想とする共存社会の縮図でもあります。

 

時々、「ろう者が手話で話しをしているのを見ると、本当に家族のような雰囲気がある」と言われます。

もともと、手話という言語を見かける機会が珍しく、聴者にとっては理解ができない言葉でもあることから「何の話をしているか分からないけど一生懸命見つめ合っているから仲がいい」という受け止め方もあります。

 

 

ベトナムを旅した時も「日本人とベトナム人、お互いに通じ合っているから手話って便利ねぇ」と言われたことがあります。いやいや、全然通じてないし、食べるとか飲むとかの簡単な意思疎通なら問題ないけど、特定の名前や場所、背景を聞いたらもうお手上げ!!ジェスチャーって限界ありまする。

そんな感じですが、当の本人たちにとっては、無意識に仲間意識を持っているので、そこがコミュニティの強みでもあります。手話が通じるだけでも、安心できます。

 

当然、負の面もあって、コミュニティは、ひとつの村のようなものであり、一員の言動によって影響を及ぼす事例もいくつかあります。根も葉もない情報が一気に広まることによって、噂を真正面に受け止めた人たちが排除するという動きもあります。

ろう者に限ってそんなことはない、と思いたくなる声もありますが、ろう者も人間。合わないものは合わないのです。

 

そんな中で、一人一人が心地よく過ごせるコミュニティとして機能していくためには 、信頼関係と割り切りのバランスも関係しているように思います。ある程度の割り切りがあれば、いざとなった時に力を貸してもらったり、お返しをしたり。

仲がいいわけじゃないけれど、シェアしたり助け合っていくには、弱いつながりが土壌を築いているのでは。

www.gentosha.jp

 

社会の縮図とはいえ、誰もがマイノリティを排除することなく、多様性を認め合うことのできるコミュニティ。私の所属しているNPOにとって、まだまだ学ぶべきことがたくさん!

 

今日もごきげんよう

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(散歩がてら見つけた、紫陽花?)

 

デフリンピック開幕

サムスン?」

韓国の企業名だと思っていたら、「トルコ・サムスン」。そういう地名があるのですね。

 

夏季デフリンピックが先日始まりました。

デフリンピックというのは、文字通り「DEAF(ろう)」「Olympic(オリンピック)」の組み合わせで、世界中のろう者が集って競技を行う大会。

デフリンピック - Wikipedia

 

今年の開催地は「トルコ・サムスン」。

www.deaflympics.com

 

かつて日本代表だった友人から「台湾で開催された時は、政府のバックアップもあって空港に降り立った瞬間からすごかった!」と絶賛していたけれど、国内ではどれくらい知られているのでしょうか。

パラリンピック知名度が98%で、デフリンピックは2.8%(10年くらい前の調査)だとか。

参考資料2 参議院予算委員会議事録:スポーツ庁

 

現在はSNSもあって、徐々に知られていますが、確かに周りでは「何だって?デフリンピック?オリンピックではなくて?」といった反応がまだ見られます。

しかも、その反応をする人たちの中には、ろう者も含まれています。

 

まず、オリンピックのようにテレビで放送されない。それでも、パラリンピックの方は「わかる、見たことある」という反応があります。新聞に記事掲載されていたり、生中継は少ないものの、ニュースで取り上げられているから何となく見たことがある、という。

 

今回のデフリンピックは関係者たちの働きかけ、SNSでのプロモーション活動もあってニュースで紹介されていました(リンク先から動画見れます)。

www3.nhk.or.jp

 

オリンピック、パラリンピックデフリンピック、そして、スペシャルオリンピックス(sが付いています)もあります。

www.son.or.jp

 

今年のデフリンピック、どんな風にこれから紹介されていくか楽しみですね。

 

今日もごきげんよう

 

内なる常識、時には非常識に

先日に続いて、佐渡ではここにも立ち寄りました。

「蓮華峰寺(れんげぶじ)」。

 

www.pref.niigata.lg.jp

 

「紫陽花寺(あじさいでら)」とも呼ばれている、島の鎌倉。

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このお寺、珍しいのは「登る」のではなく、「降りて」本堂に向かうのです。

参拝する時、ほとんどは長〜い階段を登って、ようやく参拝、という流れなのですが、ここでは逆でした。

 

無意識に「登って参拝するもの」と当たり前に思っていたので、ガツンとやられました。それを象徴するかのように、降りていたら一気に土砂降り。近くで、雨宿り。

 

これがとても良くて、「雨って何だか嫌なだと思ってたけど、風情があって素敵」と、しばらく雨宿りの時間を楽しみました。屋根から雫が落ちてきて、下には川のように水が流れている。

 

普段の生活で、じっくり構えることが少ないような気が。もう少し、落ち着いて、動きましょう。そんなことを言われている気がしました。

 

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当たり前に思っていたことを覆される、あらためて知ることも大事、と思った一日でした。

 

 

今日もごきげんよう

 

たらい舟の町

あいにくの曇り空。朝から佐渡へ。 

佐渡への行き方は、ジェットフォイルとカーフェリーの二つがあります。

 

www.sadokisen.co.jp

カーフェリーに車載せたらラクだろうなぁと思ったら、ちょっと高め…。現地でレンタカー借りた方がお得な気が。

カーフェリーはゆっくり海の匂いを感じることが魅力!と思ったけれど、時間が合わず(所要時間2時間30分)。

 

ということで、今回はジェットフォイルで所要時間60分。

 

両津港に着いた後、島民の案内ですぐに南部へ。ものすごい雨が降り出しそうな空の下で、広ーい田んぼを走行。1時間くらいは走り続けてました。その先に着いたところが、知る人ぞ知る宿根木。

 

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写真の向こうに見える「たらい舟」。あれに乗りました。3名揃って傘持ちながら(!)。

 

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揺れるわ、揺れる!おっととと…。しかも雨がポツポツ降ってくるわ〜。

 

でも、このおじさん、動ずることなく、体幹がよほど鍛えられているのか、平然と漕ぎ続けながら「お〜い、大丈夫かね」と時々振り向いていました。観光産業ならではのプロ意識でしょうか。

 

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 (昔ながらの郵便局)

 

 

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(帰り際に立ち寄った酒蔵)

 

この酒蔵、数年前にも同じところへ行きましたが、当時と違ってビデオ映像に字幕がついていました。「あれ〜そういえば、数年前は手話通訳で見ていたよね」と当時が懐かしくなりました。

でも、ビデオ映像の前後に職員からの説明があったので同行者が通訳。

 

こんな感じで、日帰りの佐渡を過ごしました。次回も行きたい、と心地良く見送ってくださった島民の皆様に感謝。ありがとうございます。

 

小さな積み重ね

小さな習慣は「積み重ねている作業」の一つ。

 

例えば、

朝ごはんを食べている時(朝ごはん抜いてる人もいるけれど、ちゃんと食べてね)、

歯を磨いている時(歯医者さんにお世話になっているので説得力ゼロ)、

誰かと話をしている時(この仕事を始めてからほぼ毎日誰かと話してるような気が)、

いろんな場面がある中で、毎日行っている小さな習慣は、見えない形で積み上げられています。

 

分かりやすくいうと、身体を鍛える。これも、一夜漬けでどうにかなる、ってそんなの無理。ムリ(手話では、指文字で「ム」「リ」と表します)。

 

正しいやり方をやっていることが前提条件で、コツコツやる作業は、ほんとに地味な作業。前提条件を間違えてしまうと、鍛えたいはずの筋肉が発達せず、体重のコントロールができなくなります(そこはインストラクターに聞いてみなきゃ)。

 

でも小さな積み重ねがあると、いざとなった時にある程度は経験値があり、応用ができます。事前準備をしっかりするようにとか、予習をしておくといいと言われているのは、そういう理由だからですね。

 

 

時々、「どうやったら早く身につけられますか」「どうやったらうまく日本語が書けるようになりますか」と相談を受けるけれど、一朝一夕で身につけられるものなら、すでに多くの人たちが実践しているのでは。

変われるもんなら簡単に変わりたい!というのが人間のサガ。私も「ああ!もっとゴルフがうまくなりたい!」と何度思ったか(最近、練習ナシ…)。

 

でも、変わりたい!という思いと、小さな積み重ねがセットになったら怖いものナシ。

 

今の仕事で心がけていることがいくつかあるけれど、できるだけ周りに声をかけていくこと。

声をかけることによって「あ、ちょうどよかった。実はね」とか「そういえば、こういうことがあって…」と初めて、相手から情報を得ることがあります。

これも小さな積み重ねの一つであり、実践の毎日を過ごしています(時々、うるさがられています)。

 

それでは、今日もごきげんよう、です。

 

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(フランス・トゥルーズ空港にて。よく見ると小さな玉が輝きを放っています)

 

飛行機事故を激減させた日本人

今年はなぜかずーっと心休まる日がないですが、合間にいくつかの本を読んでいます(同時に複数の本を読むので、時々「あれ?どこに書いてあったけ?」なんてことも実はあったり)。

 

最近書店にふらりと立ち寄ったら、「飛行機事故を激減させた天才気象学者」という文字が目に入ってきて。しかも、その天才は日本人だという。

藤田哲也 (気象学者) - Wikipedia

 

テレビ番組で取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、私は全く知らなかったです(なんせ、テレビのない生活を送っているから)。

飛行機って、毎年必ず乗っている乗り物。その飛行機の事故を、少なくした、というか、「激減」という言葉が衝撃的でした。

 

今まであまりピンとこなかったけれど、飛行機の死亡事故の確率が、実は自動車の死亡事故よりも少ないらしいです。アメリカだとわずか0.0009%だとか(自動車死亡事故は、0.03%!)。

 

しかし、たった30年前までは、世界の空は死の不安と隣り合わせだった。18ヶ月に一度の割合で100名を超す人々が離着陸時に突然、上空から地面へと叩きつけられ、一瞬にして命を失う”謎の墜落事故”が頻発していたのだ。

 

この謎の墜落事故を、日本人が激減させたというのだから、もうこれは読まなきゃ!でしょ!

ということで、即購入。

 

タイトルは「Mr.トルネード」。

一瞬、元大リーガーの野茂英雄さん?と思いますが、アメリカではよくある竜巻(トルネード)を藤田さんが研究し発表していたことから、トルネードという名前がついたとか。

 

実はまだ読み終えていません(珍しく?スローペースです)。でも、読み始めたら引き込まれます。当初は物理を専攻していたけれど、人生を変える出来事に遭遇してから気象学を学び、竜巻の研究のために渡米、そして、飛行機墜落事故を減らすための使命に走ったという、当時にしては珍しい生涯を送った方・藤田さん。

藤田さんの生き方、人柄について、本人が多くを語らなかったため、著者が紐解くように細やかな分析をされた一冊です。

 

Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男
 

 

なぜ、戦後の日本人がアメリカに行って研究し、墜落事故の謎を解くことができたのでしょうか。普段乗っている飛行機への見方に、ちょこっと刺激を与える一冊になりそう。

 

今日もごきげんよう

 

電話のない時代

遠くに住んでいる人へ伝えたい、伝えなくてはならない。

そんなとき、今はメールや電話という方法があるので、わざわざ出かけたり手紙を書くことは少ないと思います。中には、テレビ電話(スカイプやLINE)で事足ります。

 

携帯電話がなかった時代、それぞれの家に黒電話(ダイヤルをぐるっと回す)があった時代、耳が聞こえない人たちはどのように過ごしていたのか、ふと気になって聞いてみたら、周囲にいる高齢者が異口同音で「FAXもなかったし、親に頼んで用件を聞いてもらっていた」。

親に聞かれたくない要件とか、恋人と連絡するときは?と聞いてみると「うふふ、もう何通もの手紙を書いてたわ」と懐かしそうに話していました。

 

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聞こえる人の間でも手紙のやり取りが普通に行われていた中、「電話」という選択肢が選べなかったために、文通したり、自転車や徒歩、汽車などで相手のところまで駆けつけていたという。

 

当時は大変だったかというと「電話ができれば便利だと思ったけれど、でもあまり大変とは思ってなかった」とあっけらかんとした反応。そういう時代の影響か、相手を大事にする、相手を立てながら自分の意見を伝えることに慣れているように思いました。

 

今はメールで、それも、短い一言で済ませられる。スタンプ一つで事足りてしまう。

便利になった一方で、相手の時間、相手の立場、相手の表情などを無意識のうちに無視してしまっていないか。

 

手紙の場合、書く時間が非効率的な分、相手を思い浮かべる時間があるからこそ、思いやる余裕ができるのかも。全員がそうだとは限らないけれど、でも少なくとも1秒以上は、自分のことを考えてくれていたんだと思うと、受け取る側としても嬉しくなる。

 

電話がない代わりに手紙を書いて出し合っていたという時代。

ツールは変わったけれど、でも、相手を思う時間をもう少し意識してみてもいいんじゃないかと思いながら、高齢者の話を聞いてきました。

 

このブログを読んで、「私も、誰かにハガキ出そう!」と思ったあなた、切手の値段が変わりましたのでご確認を。

 

今日もごきげんよう

成長を楽しむ

今日は特に暑かったです(こんなに暑いんだったら、8月はどうなるやら)。

職場にある「ひまわり」もぐったり。

 

毎朝、水をやると「よし、今日もがんばりまっせい〜」と話しかけてくれる感じです。

昼間はぐったり。でも、帰る前に振り向くと「また明日ね」。

ひまわりさんも頑張って過ごしているようです。ふと気づいたら、伸びているのが分かりました。

 

「ちょっと深呼吸する」と余裕を持ってみると、周りにある成長感に気付きやすいみたい。

最近、スタッフから「今朝、採れたものですよ」といっぱい抱えてきました。

畑で育てていた野菜が大きくなっていました。

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こうやって、少しずつ、大きくなっていく。

成長って一見、見えにくい形でも、着実に成長している。このプロセスを楽しみながら、目指すべきゴールに近づけたら。

 

今日も私たちは確実に、どこかで、少しずつ進んでいます。

 

今日もごきげんよう