初めての一歩は、成長へのスタート
スタート地点に立った時、誰でも「初めての一歩」を踏む。
その一歩がこの後に続くのか、あるいは戻ってしまうのか、全く別の方向に向かうか。
これによって、これからの生きる道が変わってくる。
やがて、踏み出した一歩ずつこそが、生きるための糧になり、「慣れ」が自らの生きる力になる。
誰でも必ず「うぅ、こんなの初めてだ…」と最初の一歩を踏んでいる。
そう考えてみると、今過ごしていること、目の前にあることが、「初めて」の時と比べて幾分か自分が成長している、と測れて、明日への生きるエネルギーになる。
「初めて」を積み重ねていくことが、実は成長するための近道かもしれない。
座り心地の良い座布団
畳で育ってきたので、フローリングのあるところでも時々座りたくなる時ありませんか。
ここ2年くらい愛用しているものが、スノーピークのクッション。
フローリングの上で使っても形崩れしなく、半分に畳むこともできるので
使いやすいです。
たまにはクッションの上でゆっくりお茶飲むと、もう至福のときです。
時間は作り出すもの、と言えるようになりたい
世の中のお母さん、お父さんはすごい!といつも思っています。
子供を産んで育てながら、仕事もちゃんとやる。家事もやる。
(中には、我慢している人もいるようですが)
上記の「すごい」というのは、自ら選択した人生を歩んでいる中で、
子供を育てながら仕事をする道を選んだ人に対しての敬意を表したくて。
今の私にとって、今の生活にこれ以上のタスクが入ったら悲鳴を上げてしまいそう。
仕事が言い訳になってしまうかもしれないけれど、ほかの創立者と一緒に労働環境を作ってきたので、今もやるべきこと、やらないといけないことが多い。
でも数年後には新しいことにもチャレンジし、「働いてみたい」と魅力のある職場作りをしたい。
あれこれ考えていると、「時間が無い」。でもこれは、気持ちの面で「どうしよう、どうやったらできるんだろう」と慌てている部分があるので、もう少し自分の人生をコントロールというか、時間は有限だからこそ、上手に使って過ごしていきたい。
今日から「時間が無い、ではなく、時間は作り出すもの」と能動的になりたいものです。
耳が聞こえないのに「聞いてない」
え?そんな話があったの、聞いてない。
この「聞いてない」という言葉、日本語としては聞き慣れています。
でも、ろう者が「聞いてない」と表していることについて、「耳が聞こえないのに?」とちょっと不思議に思いませんか。
「知らない」という言い方だったらまだ分かるけれど、生まれつき全く聞こえないろう者が「そんなの、聞いてないぞ」と表すのが不思議に見えます。
生まれつき目が見えない、盲の方で「見てない」という日本語は使うのでしょうか。
ラインは分からないけど、LINEは分かる。
日本人のスマホ使用率が高くなっているこの頃、LINEを使う人も増えてきているのでサクッと調べてみたら、2015年12月の時点で「6,800万人」。
Facebookは2,400万人、Twitterが4,000万人(あくまでも同じサイトからの比較)なのだから、LINEはとても身近なものになっていますね。
ろう者の中にも、LINEでのやりとりの方がスムーズにできて便利だという声があります。
手短に言葉(日本語)を入れるだけでなく、手話で自撮り(動画)したものを送ることで、メールよりストレスが少ないようです。
メールだと、日本語を打たないといけないから、という理由。スタンプなら言葉にできない気持ちを伝えることができるから、という理由も。
文明の恩恵を使いこなしていくことで連絡のやりとりがスムーズに。
そこで不思議なのは、LINEを使っているろう者の中には、LINEを「ライン」と読むことができない人もいます。
LINEは理解できるけど、ラインは理解できていない。
この話、何の話だろうと思うかもしれませんが、事実です。
もう少し噛み砕いていくと、
「LINE」が理解できる=連絡のやりとりに使うもの
「ライン」が理解できる=LINEをラインと読む(このほかに、工場で使うものを指す意味もありますね)
ろう者の中には「ライン」を指文字で表されると「ら・い・ん」と映り、それが何を指すものなのか、理解できないケースがあります。
LINEを表すときは、手話で「L」の字を使って送り合うように表します(これも、おもしろいことに地域と年代によって手話が異なります)。
なぜ、当の本人は「LINE」と理解しているのに「ライン」が読めないなんて、どういうこっちゃ??
この場面に遭遇すると「何で読めないの、何で分からないの、何で覚えられないの」と周りが思います。無理もない話。
日本人にとって、日本語ができることは当たり前(と思っている人がいかに多いことか。無意識に。)
外国人(見かけが外国人でも、生まれが日本、というケースも含めて)なら、
日本語が読めなくても「外国人だからね」というフィルターがかかって、許される。
でも、ろう者は見かけが日本人なので、それだけでもう許されない。
極端ですが、分かりやすく言うとそんな感じじゃないでしょうか。
もし、外国人だからねというようなフィルターがかかっていれば、「LINEが読めないのかな、これはラインと読みますよ」という風に教えることができるのでは。
LINEはあくまでも例えの一つ。
ケンタッキーもそう。カーネルおじさんの髭をモチーフした手話を表し、口の形は「ケンタッキー」っぽく表している。
でも、本人に聞いてみると「ケンタッキー」と答えられない。
それでも生活はできる。ケンタッキーが言えなくても、困らない。
人に馬鹿にされても、気にしていなければ大丈夫。
そんな日常生活が所々、あります。
ろう者は耳が聞こえないから、日本語が分からない。
耳が聞こえないから、日本語が上手く話せない。
これは正しくもあり、間違いでもあります。
ものすごく日本語の語彙が豊富なろう者もいますし、限られた生活言語として使っている人もいます。
ただ、日本語が分からないろう者に対して「頭おかしいんじゃない」「何で分からんの」と蔑むような見方だけは避けて通りたいもの。そのような見方を持ってしまったら、そう思った時点で思考停止になります。
ろう者と日本語の結びつきについては、終わりのないテーマでもあります。
私もここまで書いていて、うむむ、私はどこへ向かおうとしているのだ?と思うのでありました。
歯医者さんで、うっかりしてしまうこと。
最近お世話になってます、歯医者さん。
数年間、虫歯さんにごまかしてきたけれど、さすがにメンテナンスしないといかん!ってことで、通い始めました。
(どこまでも続く成田空港国際線ターミナルにて)
初診のときからずっと、歯科衛生士さんが丁寧に説明してくれるので不安も徐々になくなり、虫歯さんとうまく付き合っているところです。
ぎゅるるる〜(機械の音)
虫歯を削り取る機械の音がすっごく嫌いだから行きたくない!というの、多いみたいですね。
耳が聞こえないので、音も聞こえないからあまり気にならないです。
でも、困ったことが一つ。
「痛かったら手をあげてくださいね」。
これは分かるんだけど、
「いまはここのあたりが、そうですね、こうなっておりますのね(歯の状態について、鏡を見ながらの説明)」。
マスクされているから困る、というのは経験あるけれど、その方は丁寧に対応してくれてマスクも外してくださいます。
しかし、その度に、相槌のつもりで首を振ってしまう。
口の形を読み取ったり、手話で話す時もたいてい、「伝わっていますよ」という意思表示として首を振る。
聴者が相手なら、声で返すことも多いけれど、つい癖で「うん、そうですね」と縦に振るのでリアクションが分かりやすいと思われているかもしれません。
それはそれでいいんだけれど、
歯医者さんでとなると、横になって口を開けた状態で、つい縦に振ってしまうと大変なことに。
聴者の方は普段、口を開けた状態でどうやって相槌打ってるのだろう。
未だに解けてないこの疑問。
歯科衛生士さん、すみません。
次回から気をつけます。
鼻づまりの声がどんな感じなのか想像できない
初対面の人から「あのう、風邪ひいてますか」と言われる。
続きを読む人に任せられる案件をもっと増やしていきたい。
「部下ができたら読む本」「リーダーとはこうあるべき」という自己啓発の本を何冊か読んだけれど、いざ部下を持つとなると、どこまで踏み込むか踏み込まないかという線引きに悩むようになった。
悩むと言っても、悩み方自体はちょっと違うのかも。
上司がいたときは、指示されたことの意図をつかむことに精一杯だった。それはそれで、上司が求めるもの、目指しているものは何なのか考え込むことがあった。
管理職として、リーダーとして取り組むことになった今、考え込むほどの時間は無く、その都度「今のはだめだったかな」「もう少しはっきり言った方が良いかも」と戸惑いながらも意思決定を下している。
そして、少しずつ仕事を頼みながら調整してみると、やはりキャパを超えない範囲で頼むことによって管理職の仕事もスムーズに。丸投げではなく、その人が取り組むことによって学びを得る内容であれば、任せる!と決めておく。
今年はリーダーとしてのあり方を模索しながらの一年になりそう。
ひとまずは、「残業せずに帰ろうよ」。
手話を使うと脳も鍛えられる?
とある本で「指は第二の脳」と書いてありました。普段、指をこまめに使うといえばパソコン、料理といった指を使う作業のときがほとんど。
ろう者は手話使うので、指をしょっちゅう曲げたり伸ばしたりしています。指を器用に捻ることもできたりしますが、脳への影響はどのくらいなんでしょう。
ちょっと調べてみようかな。
ちょっと躓いても、すぐにリカバリーできればOK
「躓く」の漢字、手書きだと書けそうにもない、、、パソコンだから便利ですね。
最近、漢字を書こうと思ってもパッと思い出せないのはそのせいかなぁ。漢字は思い出せるけど、「さぁ書いてみよ」と言われたらちょっとどきどきしてしまう。
はい、「つまずく」と読みます。
仕事にしても生活にしても、ちょっとミスしてしまったり、間違えてしまうことはよくあること。書類にハンコ押さないといけない場面でうっかり逆にしてしまったり、待ち合わせの場所を調べたにもかかわらず当日になって迷子になったり。
人間だから完璧にはいかない。だからって、そのままでいいのかといったら、違いますよね。ミスが起こった原因を突き止めることは大事だけれど、それ以上にリカバリーが大事では。
ハンコを逆に押してしまって「まぁいいや」で処理したら、それこそお客様や取引先に大変失礼なことになってしまう。あらためて作り直すか、逆に押印した部分の近くに再度押すなどのリカバリーが必要だけれど、中には、パニックになりどうすればいいか分からず、書類を破り捨ててしまうケースもあります。
利用者さんたちを支援する側も同じように「なんでミスするの?」という言い方はできるだけ避けている。
ミスしたときにものすごく上司に怒られてしまってトラウマになりかけているケースもあります。
でも本来はミスするのが人間なので、どのようにミスを解決していくかという視点をこれからも持ち続けていきたいものですね。