うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

耳が聞こえないことと軽音と音楽の話

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4月28日日曜日。各地で「令和」の文字が出ているので、もう5月になったような気分に。手話表現も公表されましたが、一部では物議を醸しています。確かに、平成、昭和、大正、明治、の手話に比べてみればやや分かりづらさがあります。平成なら「平らな」という意味での表現。今回は、なぜそういう表現になるのか、一瞬では分かりにくい。これからどう変化していくのか、はたまた浸透していくのか、楽しみ。

 

ブログが全然書けなかった4月、怒涛の日々でした。何でこんなにも忙しいの?と不思議なくらい、ゆっくりできなかったようです。でもそんな日々の中で、ハッとさせられることが。

 

4月といえば、入学シーズン。大学生なら、新歓という言葉が一番よく使われるシーズン。新入生を懸命にサークルに入れさせようと営業する。営業の手腕が問われる時期でもあります。

私もかつてその一人でしたが、そこまで懸命になれなく、混雑した廊下でたまたま肩がぶつかったので「あ、すいません」と声を出したら、相手方が「ごめんなさい、大丈夫でした?」と手話で返ってきました。一瞬、「え?今のは手話?」と驚き、その場を去っていった相手を追いかけて「あの、手話できるんですか?」。

という流れで、サークルに入ってもらいました。彼女は今も手話を続けており、公務員として仕事しています。

 

ところで、「軽音部って何?」。

大学時代に見かけたことがある文字で、懐かしさを感じていた私に向かって「どういうサークルなの?」とその方は聞いてきました。「軽音部ってのは、ジャズみたいなものかな」と答えたものの、「ジャズって何?」と返ってきました。

 

彼は耳が聞こえない。大学の敷地内に入るのもこの日が初めて。

「軽音部があるのなら、重音部っていうのもあるの?」と真顔で聞いてきました。音楽の話はよくわからないので、その場にいた聴者に話を振りました。

 

漢字を見れば、確かに「軽い」「音」なので、対照的として「重い」「音」もある、という認識になったのでしょう。

でも音楽の世界では、「重」という漢字は「重い」ではなく「重なる」の意味合いが強いのかも。典型的なのが、重奏という文字で、二重奏とか三重奏とか。でも、私にとってあくまでも想像でしかできなく、音が重なる、ということがイマイチ理解しにくい。耳が聞こえなく、補聴器をつけていても一つの音として入ってしまうので、よく聴者が混乱しないなぁと勝手に感心するくらい、ピンとこない。なので、この説明が合っているかどうか。

 

そして、先日はリコーダーとピアノを聴くという機会がありました。音楽をやっている方から「聞こえないので楽しめるかどうか分からないけど良かったら来てください」とお誘いがありまして。チェンバロという見慣れない楽器があったので「触らせていただいても?」とお願いして、鍵盤を弾いてみました。偶然にも、演奏していた方が元聾学校の音楽の先生を務めていたとのことで「聞こえないなら、触ってみていいですよ」とにこやかに応えてくださいました。クラシックピアノより軽やかなタッチ感がして、「これ本当に音出てるの?」とびっくりするくらい不思議な感覚に。

 

時々、「聞こえない人に対して音楽の話をするのはタブーだと思っていた」と言われます。私はどちらかといえば、音楽を聴くよりも楽器を触ってみたい。大学時代はしょっちゅう、ギターを抱えていた後輩に「お願い、触らせて」とねだっていました。感じる方法が、触るという行為しかできなかったから。

ろう者の中には音楽が本当に好きすぎて、演奏家になった方もいます。タブーであるかどうかは、相手と話してみない限り分からないもの。嫌になったらそこまでと割り切るしかないのかもしれません。

 

音楽は、音を楽しむもの。

でも、必ずしも耳を通して感じるものが音楽だけではない、ということを証明したこのサウンドハグ、個人的にとても使ってみたいです。

www.diversity-in-the-arts.jp

 

音楽の世界は未知の世界。