うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

心がけていること

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12月19日水曜日。サンタクロースのコスチュームをいろいろ調べていたら、いろいろありすぎる。でも、メガネ+ふかふかしたお髭+白い袋のセットはなかなか見つからない。どうしても、あのふかふかしたお髭が欲しい。と思ったら、カツラ付きが。カツラは要らないよなぁ、とか思いながらいろいろ調べて…

 

値段もいろいろ。値段と中身と、口コミのような評価を調べて決めることに。この評価、ネットでは判断が難しいところだけど、参考にならないわけでもない。

 

この評価は口コミでもあり(中には印象操作のためのものもあるようですが)、ネット以外の世界でも同じ。誰かに聞いた、誰かが言ってた、というのは一つの情報。

 

テレビで発信されたのも情報の一つ。

この情報の受け取り方は人によって異なり、事実が歪められることもあれば、結果的に良い方向にいくことも。

 

仕事で、高齢者と関わる機会が多く、いつものことながら好奇心の強さに圧倒される。こちらが情報をつかんでないと「知らなかったの?こういうことがあったんよ」と断定した言い方をされる(合っている時もあれば勘違いしている時も)。耳が聞こえないということもあり、ニュースの字幕も含めて目に入ったものは興味を持ち、他者に話をすることを通して、自分が受け取った情報に間違いがないかどうか確認する。確認という行為が意図的な人もいれば、そうでない人も。

 

でも、私が関わっている高齢者の方々は、私から「そういう情報もあるみたいですが、こういう情報もあるようですね」と私なりに知ったことを伝えると、「ほぉ!そうなのか、では、アレはどうなのじゃ?」と更に興味を持つほどバイタリティ溢れた雰囲気が。

 

日本語の漢字や文脈を捉え間違えて事実が逆の受け止め方になっていた時は、訂正するけれど訂正する側も気をつかう。私自身の受け止めた情報は合ってたかしら?と。なによりも訂正したときに「おお、そうかそうか。ありがとうよ」と情報を修正する姿勢は、私自身とてもリスペクトしている。きっと、今までの長い人生の中で生き抜くために身についた素直さ、なのだろうと思いながら。支援とはいえ、関わる立場としてはすごく気をつかう部分でもあり、さまざまなジャンルの本を読むのもその動機になっている。

 

知らないですね、で終われば終わり。それもありだけど、どうせならお互いが面白く、時には真剣に話をした方がもっと楽しく過ごせる。

 

とはいえ、自宅にテレビを置いてないので時々「テレビでやってたよ!」には弱くて、私が訂正されることも。最近のテレビはとっても便利なようなので、来年買うか検討してみようかな。