うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

基本から入ることの地道さ

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12月14日金曜日。先日、福島県で講演してきました。新潟から見ると福島県は隣の県ですが、山を越えないといけません。車で行くと約1時間で会津、約2時間で郡山に行けますが、今回は講演ということで運転と講演を一緒にすることはできなく、公共交通機関を。これを周りに話すと「ええ?車で行かなかったの?」と言われることも。たしかに公共交通機関だと遠回りルートになっちゃいます。

 

新潟〜郡山は高速バスが繋がっています。でも、時間が決められていること、何かと融通が利かないので今回は新幹線を。

 

新潟駅上越新幹線)〜大宮駅(東北新幹線)〜郡山駅(在来線)〜本宮駅

 

隣の県なのに、新潟→群馬→埼玉→栃木→福島、と1日の間に複数の県を跨ることになるのです。どうりで「ええ?車で行かないの?」という反応になるわけで。

 

現地では、福島県内で使われる手話がいくつかあったので「今のは?」と聞きながら覚えてみました。基本的には、その地域で使われる手話を通して地域の人たちを知りたいので、現地のと話をすることは楽しいです(そして、講演の最中に使ってみたり)。

 

日本語の方言があるように、手話にも地域独特の表現があります。手話講座などで「手話にも方言がある」という話は出ています。

しかしながら、学習者は当然、基本の形と方言の二つ、同時に教えてもらうとなると「どっちを使えばいいの?」と疑問を持ちます。「どっちでもいい」「ろう者が使っているのを見ればいい」といった答えでは、なんとなく消化不良に。

 

教える側としては基本形はこうであって、場所によってはまた異なる。ということが無難かもしれません。ただ、基本形というのはテキストに載っているものであり、生きた手話は方言として映ります。まさか、自分が使っている手話が基本形ではなく、その地域でしか使われないものだったと気付くこともあります。

日本語の場合、テレビが普及した頃からNHKアナウンサーによる言葉が標準語になり、方言との境目が分かるようになってきたとか。

 

手話の場合も同様の流れで、都会に近ければ近いほど(教育の影響、身の回りの環境によって世代が若ければ若いほど)、一般的に通じる手話が標準、基本形になっています。ただ、文字に残りにくいこと、手話が常にどこでも見れるわけではない環境下、基本形としての手話がどれに当てはまるのか分かりにくい部分があるように思います。

 

できることならその地域で頻繁に使われていること、確実にほとんどの人が理解できる言葉も学習者に伝えていく。語彙レベルの話とはいえ、量がモノを言う。基本があってこそ、コミュニケーションの第一歩になるのだから。文法レベルも基本を繰り返すことで、自由自在に使いこなせるように。

 

なんとなく地道だけれど、レベルアップする上で壁にぶつかったとき、元に戻れる。ということで、基本から入って継続していくことを、韓国語学習で実感中です。

 

それにしてもいよいよ、韓国語が難しくなってきました。どうなるやら(笑)