うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

「声めぐり」から見た皮膚の記憶

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8月15日水曜日。写真にある建物は、バスの中から撮った沖縄市那覇市ではない)。

沖縄市アイデンティティと米軍との歴史を残すために作られた「コザ十字路歴史絵巻」。何の予備知識もなく偶然、通りかかった時に撮ったもの。マッカーサーの絵もありました。

 

次はここに降りて歩き回ってみたい(数年前に沖縄市で子ども達に芸術活動を教えていた友人を訪ねたことがあったけれど、この歴史絵巻はそのあとに完成したもの)。

 

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/userfiles/oki036/files/kozajyuujiroemakikaitaisinnsyo.pdf

外に出かける時は下調べをほとんどしない(不器用ですなぁ)ので、コザ十字路歴史絵巻のように「あ!これは何だろう」と偶然出会うことが幾多ある。これが、本を読むときにもあります。

 

 

今回は、「声めぐり」。写真家の齋藤陽道さん。

声めぐり

声めぐり

 

 20歳の頃、「あなたと同じ年で、写真やっている人いるよ」と友人に言われて、書店の写真集コーナーで名前を見たことが。齋藤さんもろう者で、耳が聞こえない。そして、偶然にもSNSだったか、この度出版したというお知らせがあり、「あ!あの齋藤さん」ということで早速購入。

 

この本に書いたことは、自伝でもなく、エッセイでも、写真論でもない。声めぐりの旅へ踏み出す一歩を支えてくれた現象についてである。(本の帯より引用)

 

当然、齋藤さんご自身が書いた内容なので言葉一つ一つにすっかり魅入られてしまった。もっとも驚いたことは、経験したことを自分自身がどのように捉えて、どのように感じたかを精密に言語化できていたこと。

 

ろう者、難聴者、聴者、手話、口話聾学校、難聴学級、といった見慣れた言葉が羅列されている中、内面にあるものを一つ一つ取り出して、時には比較し、時には戸惑いを覚えながらも、当時をあたかも目の前の出来事のように振り返っている。

 

ろう者が書いた本はほとんど読んだけれど、齋藤さんのような書き方は珍しく、写真を撮るという行為と似たような部分がありました。

 

そして、「ああ!分かる!」と思わず膝を打った文章も。学生時代のアルバイト先でリーダーの言っていることが分からず、しまいには怒られて差別されたという内容。

 

ぶつけられた悪意に怒ったり、悲しくなるよりも、何を言っているのかわからずにいたリーダーのことばが初めてわかったことに「喜び」を感じてしまっていた。その「喜び」は、悔しいことに暖かくさえあった。

(悪意のことば、から引用)

 

すごい剣幕で怒られた時に限って口の形が読み取れてしまう経験があるけれど、齋藤さんはそれを見事に言葉に置き換えて表現ができている。さすが!と驚くのと同時に、この書き方はとてもいいなぁ、とまるで写真を眺めているような気持ちに。

 

そして、生まれてきた新しい命との出会いを通して「声」とは何かを綴っていた文章もまた、「ああ、この感覚はとても分かる」と共感を覚えました。

 

鼓動、体温、重み、匂い…視覚や聴覚に限らず、触覚や嗅覚で伝わってくるものも、やはり「声」として聴くべきものなのだという思いを新たにする。

(皮膚の記憶、から引用)

 

好きな人と抱擁し触れ合う時に感じる鼓動、体温、重み、匂いも同じであって、その人が持っているものに触れて初めて、言語を通した言葉によるコミュニケーションだけでは気付けなかった新しい発見がある。触れ合ったときの皮膚がそれを記憶し、それを「声」として、見えなかったものを、言葉として紡ぐ。

 

あまりにも素晴らしくて、時には共感し、時には嫉妬?し、一晩で読み終えてしまいました。とても良い本です。

手話が分からない人にも読みやすい内容なので、おすすめです(うぐぐ、私の言葉が拙くて申し訳ないです)。

 

 同時刊行された本があるということで、お知らせです。

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

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