うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

雑談は栄養のひとつ

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2月10日土曜日。早いもので、2月も10日目になりました。

今日は珍しく日中晴れていて「ああ、感動!」な一日に。

 

2月に入ってからほぼ毎日、車に乗っかっていた(?)雪をおろしていたので今日はなんだか変な感じでした。

 

この前、仕事で打ち合わせしていたら「雑談っていいよね」という話に。

相手が取引先の方とはいえ、社交辞令でもいいので「今日はすごく晴れてていいですよね」「もう本当に雪は勘弁してって感じですよね」「こないだのアレ、よかったですよ」などなどの、ちょっとした雑談は、その場の空気を和ませるだけでなく、変な緊張感を解く意味で良い効果があるよね、という内容。

 

だらだらと話していては仕事になりませんが、こうしたちょっとした雑談が、つかの間の息抜きに。

 

ところで、ろう者・難聴者の話を聞いていると、職場で周りが雑談しているけれど何の話をしているのか分からないから一人で仕事している、という話はよくあります。

もともと、周りに興味がない人もいますが、雑談である以上、「何の話?」と聞きたくても聞けなかったり、聞いても取り合ってくれないうちに諦めてしまったり、というのが「あるある話」です。

仕事中はともかく、休憩時間や飲み会、イベントなどで雑談する場面はよくあります。

 

時々、ろう者同士、難聴者同士または手話が通じる間では一斉にまくし立てるような話し方をする人がいますが、日々の生活の中で、一人で黙々としている時間が長い(周囲の話が気になっている時間)のかもしれません。

 

この雑談、というのがクセモノで、聴者にとっては「そんな大した話ではなかった」「仕事とは関係ないから知らなくても別に良いのでは」という反応もあります。

 

仕事に良い効果をもたらす雑談なら、誰でもそうしたい。

仕事に無駄を生み出す雑談なら、誰でも避けたい(中には、仕事がつまらないから話したい人も)。

 

ろう者・難聴者の場合は、その雑談が面白いか、ツマラナイかという判断の機会が、最初から提供されていないので、やむなく一人でいることを選んでしまったり、同じような人と話をしてしまったりします。

もちろん、本人の頑張り次第では周囲を巻き込めますが、実際にはなかなかそういかないことも。

 

手話を使う職場となると、逆に聴者の方が、雑談が面白いか、ツマラナイかの判断ができなくなることもあります。もちろん、手話の場合は、学べば学ぶほど上達し、分かることが増えてくるので、あくまでも一時的な出来事で終われます(それでも、やっぱり、ろう者の手話は速くて分からない!ということもありますが)。

 

でも、ろう者・難聴者によってはどんなに必死に頑張っても、聴者と同じように「耳が聞こえるようになれる」わけではないので、ちょっとした雑談を、気軽にいつでもできる相手が自分の中で、一人でもいるとかなり違うと思います。随分と心が救われるに違いないかも。

 

雑談って、意外と心の栄養になるもんですね。