まちがえたっていいじゃないの
「よかったら抹茶でもいかが〜?」。夕暮れの職場でこういうのが出てきました。
もちろん、器は職場にあるものを使ったので、お許しを。
数年前の研修旅行で、陶芸体験をした時の作品なので抹茶に似合わず。
ちょっと型にハマらず、ズレているものに対して、人間はいつからか、「なんだこれは」と引っかかるようになってしまったのでしょう。もちろん、全員がそうだとは限らないけれど、ちょっとした過ちに対して、twitterとかで猛烈に炎上しているところを見かけると、「うーん」と考えさせられます。
まぁ、いいじゃないの。
時々、私を取り巻く友人の中にはそういう一言を発する人がいます。
まぁ、いいんじゃないの。
何でそう簡単に片付けちゃうの!?と思ったこともあります。でも、やっぱり、時にはこの一言で救われることもあります。特に思いつめていたり、咎めてしまいたくなっている時。
もっとよりよく仕事をしたいのに、と相手に求めてしまうことがあるのでホントに気をつけなきゃ。
と、いつもこの一言でハッとします。そして、勝手ながら、これと何となーく似ているな、という本がありました。
かの有名な「注文の多い料理店」ではなく、「注文を【まちがえる】料理店」。
一体どういうこと?と思った方は、ぜひ手にとってみてください。
認知症のおじいさん、おばあさんがホールスタッフになって注文をとる料理店。
一大プロジェクトとはいえ、実現するまで並大抵の努力だけではできなかったと分かるくらい、実現するまでの過程についても書かれています。
日常生活にありふれているはずの「まちがえること」について、なぜそこまで咎めてしまうのだろう、とふと考えさせられました。
まぁ、いいじゃないの。の一言には、この続きがあるのかもしれません。
「それより、何が大事なのかを見つければいいじゃん」。