うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

ちょっとした会話から考えてみたこと

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「今日はとっても寒いですわね」「そうですね」

「明日は晴れるみたいですよ」「そうだといいですよね」

「お久しぶりです、しばらくお会いしていませんでしたね」「そうですね、いつぶりでしょうかね」

 

こういう会話を、当たり障りのない会話、といいます。あたりさわり。

あくまでも、私のケースですが、聴者との関わりで無意識にやっていたことの一つが、上記の会話で、いつもここから入って「ところで、本題なんだけど〜」というふうに話を展開していくことが多いです。

 

ろう者を相手にすると、上記のような会話はするものの、本題に入るまでの時間が何となく短くなっていたり、省略されていたり(したり)。もちろん、ろう者全員というわけではなく、「まぁ、久しぶり!元気だった?もうね、近くにスタバができてて道が混みやすくなっての〜」という感じで話すこともあります(むむ、オバさん?)。

 

「ろう者は言い方がいつもストレート」と、手話関係者の間ではよく言われています。

 

ストレートなんだから分かりやすいでしょう、とシンプルに考えたらいいのだけれど、どうしても不愉快になってしまうこともあります。私も、ストレートに言うことはありますが、相手が嫌になるような言葉はできるだけ投げないようにしています(それでも分からず屋がいるので、時にはストレートに、時には変化球を、といった感じで投げながら反応を見ています)。

 

なぜストレートなのか。

手話という言語の特性も関係あるかもしれませんが、視覚的に情報を得る立場にいる者同士ならではの「情報交換」が大きいかもしれません。

聴者は、視覚的だけでなく、聴覚的な情報も得られる。なので、情報を伝え合うことに関してはあまり敏感ではないかもしれません(人によりけり)。

 

ろう者は、耳が聞こえない、聞こえづらいため、どうしても情報に偏りが出てしまう。そんな時、他者からの情報提供があると自らの解釈について修正したり分析することができる。それも、同じコミュニティ内で、早い段階であればあるほど、ホットな情報を自ら取り入れることができます。

 

逆に言えば、修正したり書き加える作業が日ごろできていなかった場合、どうしてもストレートな表現になってしまいがちなのでは。

ろう者の中には、読書が好きだったり友達との関わりを持ちながら自らを磨いたりとする人もいます。一方で、聴者との関わり方に不安を持ちながら避けてきている人もいます。

 

当たり障りのない会話をすること自体、ろう者は耳に入ってこないため、世間話があまり上手にできない人も少なくありません。世の中、もう少し視覚的な情報が入るように整備されていたら、おそらく少しは「あの人に伝えてみようかな」という気持ちが起きるのでは。

でも、当たり障りのない会話はそもそも必要なのかどうか。クッションの役割はあるものの、本当に必要としない場面も全くないとは言い切れない。

 

でも、全く当たり障りのない会話が皆無だと、何となく違和感が。

終わりが見えない内容になってしまいました。

 

またこの続きを考えてみるとして、明日は大雪が降るそうです。気をつけていきましょう。