師走から読み方を考える
12月になりました。何だかんだ毎日、仕事であちこち行ってブログ更新、サボってしまいました(インプットを怠ると本当にアウトプットできなくなりますね、そりゃ当たり前ですわな)。
12月といえば師走。
こないだ「もうあっという間に年末になるのか〜本当に忙しいわね」とスタッフたちと話していたとき。「師走というのは、まさにこの通りね」と話していたら、案の定、ろう者から「ん?し?しわす?」。
師走の漢字を見ると、「師」「走」。
文字通り、師匠なる人が忙しく走り回る、というイメージが目の前に浮かぶけれど、耳が聞こえない人にとって「しわす」と読めるようになるまで少し時間がかかります。漢字が大好きな人は当然、サクサクと読めるけれど。
「走」がなぜ「わす(はす)」になるのか、理解できないことが大きいかもしれません。耳が聞こえていると、無意識に読めてしまうことがいかに多いことか(もちろん、全員がそうだとは限らないけれど)。
指文字を読み取るとき、日本語力が大きく関係していて、「しわす」と表して、とっさに「ああ、師走ね」と理解したとき、ろう者が「??」な顔をしていると、どうしても「この人、師走が分からないって?何で?」とつい、いらぬ感情を抱いてしまう。
そんな光景を見るたびに、指文字は日本語がベースになってるからねぇと思うのですが、なかなかそのあたりが理解されにくいみたいです。
指文字とはなんぞや。
あいうえお、かきくけこ、といった50音を一つ一つ、手の形に変えて表したものが指文字です。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JSL-AIUEO.jpg#/media/File:JSL-AIUEO.jpg
手話も言語の一つと言われて時の流れが経っていますが、手話の中に指文字が含まれているので「指文字を使えば、通じる」と思われているかもしれません。
手話がわからない時に指文字使えば通じるという教え方も行われているので、そりゃぁ、学習者にとってはそうなのか!となっても無理はないかな、と。
知識の一つとして、体系的な学習ができていればもう少し違った方向へ。なんだけれど、まさか指文字が通じないなんて!といったこともあります。指文字が通じない背景の一つに、年配のろう者(70代〜)は学校で教わっていないため、空書や筆談で対応してきた、あるいは口の形を読み取ってかろうじて理解してきたため、指文字を覚える必要性に迫られることがなかった、というのがあります。
もう一つは、指文字を知らないろう者は初めからそのコミュニティ(手話サークル)に入ってないか、あるいはかつては所属したけれど、居づらくなって辞めてしまったため、その存在すら知ることなく、指文字が通じないろう者がいることすら知らない手話学習者も少なくないです。通訳者の中にも、指文字が通じると思って表し続けていることがあります(ろう者自身が「うん、うん」と頷いてしまっているので)。
指文字を知らないろう者に出会う機会がほとんどない以上、仕方ないのですが、指文字が通じなければ、文字に書いてみたり言い換えたりと言葉を工夫したら良いのですが、どうも一筋縄ではいかないようで。
手話通訳を担っている人が「なんでわからないのよ」とつい突っ込んでしまう場面も、残念ながら実際にあります。 もっと柔軟に、コミュニケーションのモードを調整していけたらもっと楽しくなる予感がします。
そんなわけで、「師走」が読めなかったら、文字を書きながら師走の意味を伝えていきましょう。