見えない音
先日行った新潟市美術館についてブログ書いていたら、知人から「あのスペースには、実は音楽が鳴ってて…」と教えてくれました。
確かに、写真展の中にスライドショーというか、スクリーンに映し出すスペースがありました。でも、目の前に繰り広げられていたのは、森の茂みにいるような風景。
静止画として数枚の写真が次々へと緩やかに変化していっていました。
(先日の新潟市美術館)
当然、私は耳が聞こえないので、知人からの情報に「まさか、音があるなんて考えもしなかった」と思いました。よく考えてみればBGMのような音楽があってもおかしくない状態なのに、音があること自体、全然考えもしませんでした。
「あ、今救急車が近くを通ってるみたい」
「ん?今の音、なんだろう」
「鳥のさえずりが気持ちいい」
「うわぁ、今の鳴き声、ほんとにうるさいわ」
などなど、耳が聞こえる人と話をしていると、時々そういう話題になります。
私にとって、この話はリアリティさがあって、未知の世界なので、聞くたびに胸が高鳴るような、とっても興味津々!というような気持ちに。
で、時々この質問は、聴者を困らせるみたいです。
「へぇ、今そういう音があったのね。どんな音?」。
当たり前の世界のど真ん中にいる人に聞くと、たいていは「難しいっす」で終わってしまう(そりゃそうですよね)。
そんな中で、懸命に考えてくれる人もいます。「ウ〜〜〜〜」「ぎゅるるる」「ガタガタ」なんでもいいので、少しでも音に近い表現(擬音語;オノマトペ)を教えてもらえると、見えない音に対して何となく愛着がわいてくるような。
あらためて、耳が聞こえない立場での「音」は、聴者にとっての「音」を、一生経験することが難しい。できない。
聴者の中にも、いろいろな聞こえ方がありますが、ある程度、常識だと言われている「音」について、どんな風に聞こえるのか、とても興味深い。例えば、救急車のサイレンを聞いて「これは救急車の音」と認識できるのはどうしてなのか、不思議に見えます。
私の聴力が、補聴器をつけてもほとんど聞こえない状態(聞き取りの判別ができない)なので、聞こえることがどういうことなのか、断片的でもいいので「聞いてみたい!」という衝動に駆られることは、たまーにあります。
普段何気なく聞いている音について、あらためて見つめ直してみると新しい発見があるかもしれません。
今日もごきげんよう。