うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

電話のない時代

遠くに住んでいる人へ伝えたい、伝えなくてはならない。

そんなとき、今はメールや電話という方法があるので、わざわざ出かけたり手紙を書くことは少ないと思います。中には、テレビ電話(スカイプやLINE)で事足ります。

 

携帯電話がなかった時代、それぞれの家に黒電話(ダイヤルをぐるっと回す)があった時代、耳が聞こえない人たちはどのように過ごしていたのか、ふと気になって聞いてみたら、周囲にいる高齢者が異口同音で「FAXもなかったし、親に頼んで用件を聞いてもらっていた」。

親に聞かれたくない要件とか、恋人と連絡するときは?と聞いてみると「うふふ、もう何通もの手紙を書いてたわ」と懐かしそうに話していました。

 

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聞こえる人の間でも手紙のやり取りが普通に行われていた中、「電話」という選択肢が選べなかったために、文通したり、自転車や徒歩、汽車などで相手のところまで駆けつけていたという。

 

当時は大変だったかというと「電話ができれば便利だと思ったけれど、でもあまり大変とは思ってなかった」とあっけらかんとした反応。そういう時代の影響か、相手を大事にする、相手を立てながら自分の意見を伝えることに慣れているように思いました。

 

今はメールで、それも、短い一言で済ませられる。スタンプ一つで事足りてしまう。

便利になった一方で、相手の時間、相手の立場、相手の表情などを無意識のうちに無視してしまっていないか。

 

手紙の場合、書く時間が非効率的な分、相手を思い浮かべる時間があるからこそ、思いやる余裕ができるのかも。全員がそうだとは限らないけれど、でも少なくとも1秒以上は、自分のことを考えてくれていたんだと思うと、受け取る側としても嬉しくなる。

 

電話がない代わりに手紙を書いて出し合っていたという時代。

ツールは変わったけれど、でも、相手を思う時間をもう少し意識してみてもいいんじゃないかと思いながら、高齢者の話を聞いてきました。

 

このブログを読んで、「私も、誰かにハガキ出そう!」と思ったあなた、切手の値段が変わりましたのでご確認を。

 

今日もごきげんよう