うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどについて発信するブログです。

質問に答えられない

「最近、調子はどうでしょうか」

「どのようにお考えでしょうか」

「その辺りについては、どうしたいと思っていますか」

 

このようなオープンクエスチョン、時々見かけます。

もちろん、「今からお風呂入る?」「コーヒー飲みます?」といったクローズドクエスチョンも時々見かけます(耳が聞こえないので、筆談や相手が話している口元から、見えるということで)。

 

 

 

ろう者と聴者が話している場面で、クローズドクエスチョンなら「YES/NO」で判断できるのでやり取りはそれなりに順調。

でも、オープンクエスチョンとなると、ろう者の方が答え方に戸惑うことが見られます。

「どうしますか」という聞き方は、日本語の世界にはあって、手話の世界にはあまり見られないのか?というと、そうでもないんじゃないかなぁ、と思います。

 

社会経験をある程度、言語化できるろう者の間であれば「どう思う?」のやり取りも普通に行われ、議論に発展していくこともあります。聴者の中にも「どう?」と聞かれて戸惑う人がいるので必ずしも、ろう者だけがオープンクエスチョンが苦手とは限らないです。

 

それでも、ろう者の方がなかなか答えられない場面を多く見かけるのでどうしてだろう?と思っていました。

特に20代くらいの世代だと「大丈夫」「普通」という答え方が多いです。

実例を見てみると、「この映画どうだった?」「普通」。

「ケーキ、美味しかったわ。このお店どうだった?」「普通」。

 

書いていて、なんだか寂しそうな会話だなぁと嘆きたくなりましたが(これがデート中の会話だったら、もう次はありませんね)、でも実際に行われています。中には、面白いかツマラナイかの二択の間にあるもの、として答えたくて「普通」が出てきたのかも。

 

それは仕方ないとして、そのあとに「そんなの、普通とは言わないでしょ」と突っ込む、突っ込まれることがあるかどうか(私は突っ込む方なので、さらに相手を戸惑わせてしまいます)。

その関係性に発展していくためのコミュニケーションとして、二人の間の共通言語があれば可能性はあるのですが、お互いの理解できる言語が違っていたら、会話はそこで終わってしまいます。

そして、突っ込まれることなく、掘り下げる機会もなく、「大丈夫」「普通」の答え方でやり過ごしていく。その経験年数が長ければ長いほど、当たり前になっていきます。

 

少なくとも、ろう者の場合は周囲との関わり、他者との関わりを持つときに手話、日本語、英語、何でもいいけれど、自分が分かる言語を使って相手との関わりを持とうと思ったとき、限定されやすいのはあります。聴者なら、音声言語があるのでハードルはそれなりに乗り越えられそうな高さにあるけれど、ろう者は最初からそのハードルが高い。

 

そのハードルを飛び越えられるよう、幼い時から口話の訓練、日本語の読み書き訓練、聴者との関わりを通してスキルを身につけていく、様々な方法を使ってコミュニケーションができるようになっていく。しかしながら、そういった訓練があったにも関わらず、オープンクエスチョンに対して答えられる範囲が狭いのはなぜでしょうか。

訓練から学べなかったのか、訓練して身につけられたけど、応用できなかったのか。

 

その辺りはまた次の機会に。今日もごきげんよう

 

 

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(去年、旅した米国にて。この中にリンカーンさんがいました)