そう言っていた(と思う)
朝から雨。
6ヶ月分はもう降ったんじゃないか、と思うくらいずっと降り続いていました。
案の定、電車が満員状態に。「ああ、ホームに立っているだけで蒸し暑いのに、社内でも我慢しないといけないのね」と労いの言葉を心の中でかけました(職場から駅のホームはよく見えます)。
心の中で、といえば最近、「口の形を読み取る」ことが周りで話題になっていました。
「何を今更、口話(こうわ)の話をしとるんだい?」
「ああ、口の形を読み取れているって勘違いされてて。」
「勘違い?誰がじゃ?」
「いや、誰がってわけじゃないけど、口の形を見れば分かるよね、と言われて否定できなくて。それで話が進んじゃって。」
「うむ、それで?」
「それで、結局、大事なところも分かんなくて。でも、読み取れるよねと言われたら、そりゃあ否定できないし。」
「ほわい?なぜ?」
「だって、全く読み取れないわけではないし。」
一体どこの誰の会話なのか、というのはさておき、上記のような内容は、耳が聞こえない人のほとんどが経験しています。
耳が聞こえない、と初対面の人に話した後、相手が「じゃ、私の口、わかります?」という人もいます。聞こえない人の中には、聴力が残ってて、補聴器を活用しながら口の形を読み取れれば会話が成立する人もいます。
しかしながら、全員がそうではなく、おそらくグレーなところが多いのでは。
「口の形が読み取れないことはない。でも、完璧に読み取れるわけではない」と肯定も否定もできない。
口の形は人によって個人差があり、ほんとに分かりやすい話し方をする人は分かりやすく、恥ずかしそうに話す人はちょっと分かりにくかったり。千差万別なのに、頑張って口の形を読み取ろうとしてしまう人もいます。その結果、話が食い違ってしまったケースも多々。
私も一時期、「筆談なんて恥ずかしいこと」と変なこだわりを持っていましたが、結果的には自分だけが損する、もしくは相手も損した気分になってしまう可能性が分かってからは、できる限り、大事なことは紙に書くようにしています(書いてもらっています)。
お互いのために「言ってた、と思う」の曖昧さから来る誤解を解くために、歩み寄っていきたいものですね。