見えない音
いつの頃だったか、夜空を見上げた時、隣にいた彼から「ねぇ、あのお月様には音があるんだよ。知ってた?」。
今日はスタジオで仕事。プロの方と打ち合わせながら映像の編集作業を確認。
短時間での集中的な打ち合わせだったこともあり、通訳のおかげで円滑に進められました。
おトイレ、ではなくて「音入れ」について、「こんな感じだったらいいかな」「もっと雰囲気に合った音(声)がいいかしら」というやり取りもありました。
普段、テレビや映画、ネット映像などを見ているとき、耳が聞こえないので「視覚的な情報」が全てになっているけれど、実はその情報が「音声化」されている部分もあるとか。
分かりやすくいえば、映像の中にナレーションだけが響き、「視覚的な情報」としては「その映像が映っているもの」のみだったり。
テロップが出てきたのと同時に、テロップを読み上げる音が入っていることもあるそうです。
耳が聞こえないということは、ナレーションが聞こえないことであり、ナレーション自体が「視覚的な情報」の価値をより高めることを、ろう者のほとんどは知らないです。
喫茶店でのBGMも同じで、「このお店の雰囲気が好きなの」という聴者の言葉には、きっと「とても心地のいい音楽が流れているから」も含まれているんじゃないかな、と。
それくらい、「音」は生活の中で最も存在感のあるもの、でしょうか。
生まれた時からずっと、はっきりとした「音」を聞いたことがない私は、彼に「あのお月様に音があるなら、どうしてみんな、お月様の音が聞こえるって教えてくれないの?」と聞いてみた。
「いや、あの音はみんなが聞こえるってわけじゃない。聞こえるかどうかは、その人次第」。
ギター弾きの彼は、私に何を言いたかったのかは分からない。
でも、お月様が照らしている夜空の下で、音について語り合って以来、私は「音」の存在をより意識するようになり、今に至っています。