うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

いくつかのハードル

「講演を聴きに行ってみたい」。

ポスターやチラシを見かけたとき、いくつかの選択肢があります。

講演に行ってみる、都合が悪いから行けない、友人を誘ってから考えてみる、行かない、などの選択肢の中から一つ選びます。

 

f:id:syuwakoushi:20170516210111j:image

 

講演に限らず、スポーツの試合やライブも同じ。
いくつかの選択肢の中から選んで決めるだけ。友人に誘われたから行くというのも、一つの選択肢。

車椅子の方が、上記の場面に遭遇したとき、どんなことが考えられるか。
その中の一つに、車椅子が会場に入れるスペースがあるかどうか、ちらっと考えると思います(以前、車椅子の友人と一緒に出かけたときも、「あ、わたしゃ、そこには入れんと思う」と何気なく言った)。

 

ろう者の場合、どんなことが考えられるか。講演に手話通訳があるかどうか、要約筆記があるかどうかを気にします。

 

ここが、上記にあった選択肢の中から選ぶ行為の前の問題であり、ハードルでもあります。

通訳なんて要らん、一人で大丈夫という方もいます。ケースバイケースですからね。

 

通訳の質を気にする場合もあります。通訳があっても、講演の内容が専門的だから通訳を利用しても大丈夫かなという不安。

 

ここは難しいところであり、手話通訳者を信用していないという意味合いではないです。

手話通訳をボランティアとして見なす風潮がある限り、一流としてプロとして通訳の仕事をする方は少ないです。少ない人材の中から、派遣してもらうか、直接依頼するかはともかく、スキルを持った通訳者がいたら、このハードルは躊躇無く、超えられます。

 

そのハードルの前に、もう一つのハードルがあることは案外知られていないかもしれません。

ろう者の中には、手話と日本語が両方できない方もいます。

 

できないというよりは、語彙数がとても少なく、言語面でのアクセスができにくい。通訳を見ても、概念がないので理解ができない(ここは通訳のスキルがどうのこうのよりも、ユーザー側の言語運用能力に左右されるかもしれません)。


ろう者自身の勉強不足、努力不足だけが原因なのでしょうか。割合はともかく、勉強不足もある中で、なぜ勉強できなかったのか、なぜこれまでできなかったのかという要因のほうにも目を向けてみると、生活言語を使う段階での環境が十分でなかった可能性もあります。

 

日常生活で必要な言葉を教えてもらえず、知る機会があったにもかかわらず、知るためのアクセスができなかったことも考えられます。

 

手話通訳があっても、十分に活用することができないという、この2つ目のハードル。

 

このハードルをどうやって乗り越えるのか。その前に、乗り越えないといけないハードルなのか。

 

いくつかの選択肢の中から選んでいる自分は、もしかしたらハードルのない道を歩いているだけなのか。この課題はしばらく、続きそうなテーマです。