うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

交流だけで身につけられるのか?

以前、手話講師を務めていたとき「交流だけで手話を覚えてきました」という聴者がいました。交流というのは、ろう者との交流であり、ろう者との関わりを通して日常会話が手話でできるようになったという。

 

ろう者の一部からは「飲み会やイベントに出ればろう者と交流ができる。交流すれば手話できるようになる」という話もあります。

 

交流はとても良いことであり、ろう者の世界を知る上では不可欠。しかしながら、手話を学ぶときに必ずしも交流をすることだけがベストではありません。

 

手話を学ぶ人自身が、母語である言語(日本語など)での交流に長けていて(社交性)、その場で親切に手話を教えてくれる人がいたり、交流しやすい相手だったりと様々な要因が絡んでこそ、交流することで身につけられた、というプロセスがあります。

 

言語学は専門ではないので偉そうには書けないけれど、交流はあくまでも学習の一つであってそれが全てではない。交流(実践)と学習(理論)が一体になって初めて身につけられるものがあります。

 

ろう者の手話講師からは「こういう表現は自然にできるもの」と時々、教えるのを見かけます。私自身もかつては「どうやったら身につけられるのかって?自然にできるものでは」と教えることを避けてしまっていました。

その「自然」がネイティブの立場であり、学習者にとっては「モヤモヤ感を残す」ことになってしまいます。

 

手話を学びたい、身につけたい人が突如、交流の場に放り出されたとして、果たして自らの力でどこまで泳ぎ切れるのか。かえってモチベーション低下に響かないか。


交流と学習のセットを繰り返していくことにより、第二言語、第三言語として身につけていきます。

 

ろう者自身もそろそろ「手話が分からないなんて困ったもんじゃ」を乗り越えて、「通じるよう、少し頑張ってみようか。手話の先生に聞いてみてね、と助言するのもあり」と思えるようになったら、きっと一緒に泳げるようになります。

 

手話を学んでいる聴者のみなさん、応援しています。