うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

ネイティブ同士でも通じない

今日は久しぶりに手話レッスンに参加してきました。

 

手話を教えることを生業としていたときは、教え方や学習者のニーズを分析したり教材を用意したりと何だか忙しかったけれど、久しぶりに参加してみると初心に返る思いがしました。

 

手話を始めたばかりの学習者にとって、指文字(50音の文字を一つずつ表すもの)一つ読み取るだけでも戸惑いが見られます。すぐに理解できていない様子でした。


そこからスタートして少しずつ成長していくのを見ると、教える側としても嬉しくなり、講師としても日々研鑽していかなきゃ、と気が引き締まる思いがします。

 

初心者にとって手話は何もかもが初めて。
ろう者同士で話をするときに「早くて読みとれない」と困惑してしまうケースもよくあります。それでも、学習の積み重ねによって話が分かるようになってきます。しかしながら、多くの学習者が勘違いされているのが「ろう者同士なら通じている」。

 

ろう者同士、手話が分かるからという点においては、あながち間違いではないけれど、手話を通して話の内容を理解し合えているか、という点から見ると「あれ?別の話題になっている、今のはお互い分からなかったんじゃないか」と思うこともあります。

 

手話はろう者全員に通じるものに見えるけれど、手話表現やその人のコミュニケーション力(語彙力、運用能力、理解力、想像力)に左右されます。

 

「日本人同士なら通じている」。これは事実でしょうか。日本人の中にも、日本語がしゃべれない人がいます。


でも、手話の話になると、通じているように見えてしまうのは、聴者の世界にとって手話は未知だから。日本語なら自分に関係ない話なのか、関係ある話なのかについて聞き耳を立てることができます。しかし、手話はそういかない。目の前で繰り広げられる話がさっぱり分からないから。それが学習と交流の積み重ねで、分かるようになってくるけれど、そこまで行く前に「ろう者同士は通じている」と思ってしまう。

 

実際には、年代が異なればそれなりに経験値の違いも出てきたり、理解度が異なりすぎて、お互いが一方的になってしまうときがあります。

 

その上で一度、お互いに分かるように会話をしてみる点からスタートして、お互いに共存共栄をめざしていきたいです。