私はスマホです。
助詞一つだけで意味が変わってしまう。
ろう者の中には、助詞の使い方が難しいと頭を抱える人もいます。
以前、日本語を書いている様子を見たとき、単語をまず並べて、その後に助詞を一つずつ入れていく作業をしていました。
たとえば「スマホ そこ ありました」と先に書いて、助詞を後から入れて完成という風に。
筆談だと限られた時間内で行われるので、さすがにこの作業はできない。
どうしても単語だけになってしまいがちです。私、スマホ。
日常生活上それだけで乗り切れている場面はあるけれど、それでも日本語が読めて、書けて意味が理解できることって、すごく重要なんじゃないかと。
それでも、ろう者の中には学ぶことを諦めてしまっているケースがあります。
教えてくれる人がいない、分からないときに聞ける人がいない、周りの聴者が助けてくれる、だって聞こえないんだもん、などなど。
助詞一つだけでも間違えてしまうと意味がすごく変わってしまうことがあるのに、それを知ることを諦めてしまっている。
周りの環境によって学べなかった、というのが正しいかもしれないけれど、学びたいという気持ちがわずかでもあれば、少しずつ日本語という言語を通して聴者との関わりを深めていけるきっかけになるかも。
せめて「私はスマホです」と「私のスマホです」の違いだけでも理解できるようになれば、きっとコンプレックスが小さくなっていく。少しずつ、コンプレックスの塊を崩していきたいです。