うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

ろう者にとって「うるさい」は褒め言葉。

ろう者が「うるさい」という言葉を発したら、私としては褒め言葉だと捉えています。

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ろう者が「うるさい」と言うと、「え?耳聞こえるの?」と聴者に言われます。
かくいう私も「静かだなぁ、ここ」と言うと、「え?どうして分かるの?」と言われたことがありました。

どうしてってそんなの分かるでしょう、と思ったけれど、確かに私は全く耳が聞こえないので「静か」とか「うるさい」という言葉が出てくることは想像できないのかも。

 

夜の町(人気がないところ)や田んぼに囲まれているところでは、視覚的に物の動きがほとんどないから「静か」に写る。


逆に、物の動きが多ければ多いほど「うるさい」と感じる。

 

あくまでも視覚的には、なので、時々聴者が思っている以上に「静かだなぁ」と思ってしまうこともあります。ほかのろう者にもそれとなく聞いてみたり観察してみたりしたけれど概ね共通しているようです。

 

最近、ろう者の一人が「ここにいると、うるさい」と言い続けています。
何かしら?と思って話を聞いてみると、「聴者がたくさんいるところでは、静かだから」。

どっちがいいのかと更に聞いてみると、苦笑いしながら「まぁ、どっちでもいいけどね。でも、手話が通じるところが良い。安心できる」と答えていました。


耳が聞こえない本人にとって、相手の話が分かったり、雑談の内容が自然に(耳ではなく、目に)入ってくることによって「情報を得ている状態」に。


聴者がたくさんいるところだと、全員が手話使えないために口で話のやりとりをしていて、本人にとっては「何の話か分からないけど、何か喋っているな。でも分からん」という、「情報が入らない状態」に。

 

情報が入れば入るほど、頭も使うので「うるさい」と感じるようです。
雑音とはまた違った感覚の「うるさい」、ろう者がその言葉を発したら、まさに本人は自ら情報を得て、得た情報に対して頭を使っているともいえるのではないでしょうか。

 

でも、別の意味での「うるさい」というのがあって。
残存聴力を活かした補聴器装用者にとって、雑音まで補聴器が拾ってしまうが故に、心理的にも身体的にもそぐわない音として「うるさい」というのがあります。この場合は、聴者の「うるさい」と似たような感覚かもしれません。

 

情報を得ることって、当たり前のようだけれど、実はとっても大事なことなんですね。