うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

聴こえないからできない?

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

この挨拶、年賀状にも書いてあるけれど、シンプルで大切な言葉。他者との間に、一定の距離というか、丁度いい距離感として残していける言葉。

何をよろしく?というツッコミはさておき、

 

これからの一年間、お互いに良い一年していこうよという意味も込められているように思います。

そうでなければ、年賀状は出さないし、メールもしない(ラインもしない)と思う。

 

ところで、新年の抱負や決意をSNSで述べているところをサーフィンしていると、「耳が聴こえないから会話がわからない、何を言っているのかわからない。理解してもらえない」という内容も見かけます。

 

聴こえないから会話の中に入れない?

聴こえないから話しかけることもできない?

 

この文言だけでは断定できないことがたくさんあります。そんな中で、果たしてこの内容は、「聴こえないから」なのか、「聴こえないことによって、次のアクションに移しても結果的に聴こえないことによる支障が大きい」のか、聴こえないからできない、という内容はどうしても短略的に見えてしまいがち。

 

当事者にとってはすごく大変な現実かもしれない。

でも、一歩離れてみることで、聴こえないことだけが原因なのかどうか分かることもでてくるのでは?

 

しかしながら、今の私にとって、この胸の内にあるものをまだ言語化しきれていない。

今日はここまで。

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