ろう者と一緒に働くこと
ろう者から「会社で働くとき、大変なのはコミュニケーションをとるときで、聴者になかなか理解してもらえない」という話は、ろう者の世界ではよくある話。
職場のあるある話の一つに、聴者に筆談をお願いすると面倒くさい顔をされて嫌な気持ちになること、があります。
ろう者なら誰でも経験したことがあるので、とってもよく分かるお話、でもあります。
逆に、聴者から「ろう者と一緒に働くとき、コミュニケーションが大変なもんで」という話もよくある話。
中には、職場でろう者に出会ったことをきっかけに手話を覚える人もいる。筆談で工夫したりしている人もいるのでとても救われる思いがします。
その上で、上記の違いから、聴者の方が歩み寄っている感を受けやすいかもしれません。しかしながら、ろう者の中にも、聴者に分かるように、 伝わるように自分のために工夫している方がいるのも事実。
それなのに、聴者の行為が過大評価されているように感じるのは、マジョリティ社会での構造的なところから来るものでしょうか。
ろう者が頑張って日本語を覚えたとしても、聴者から見れば「あくまでも基本的なこと」として捉えてしまうかもしれません。
しかし、ろう者が日本語を覚えること、使いこなすことでやっとスタートラインに立てられている状態にあるこの社会、何かが正しいのか、考えさせられます。
私もろう者と一緒に働いている立場ですが、日本語が苦手、とだけでは乗り越えられない職場なのでシビアかもしれません。
職場における話はいろいろあります。
書いても書いても書ききれないくらい、シビアな現実をどうにかして伝えたい、書き残したいとずっと思っています。