聴者にもある話だけれど、ろう者にもある話だと、なぜか一括りにされやすい。
「ろう者はマイノリティ(少数派)だから、一人のろう者の行動によってそれがろう者全体のイメージに繋がってしまう」。
いま活動しているNPOの理事同士の話で、「そうそう!」と思った一言。
ろう者は耳が聞こえない人、手話を使って話す人、手話はできないけれど筆談や他の手段で話をする人など、本当に多種多様。コミュニケーション方法が違うのはともかく、性格もスタイルも全然違う。
それでも、やはり聴者がマジョリティ(多数派)の社会では、ろう者は少数派。
一人のろう者の行動によって決めつけられてしまう、なんとも迷惑な(?)話があちこちあります。
私もろう者と接するときはできるだけ、その人のバッググラウンドとして捉えるようにしていますが、聴者同士の話の中に「(例えば、遅刻したろう者がいた場合)これだから、耳が聞こえない人はマナーがなってないんだよね」「手話サークルメンバーの私が助けてあげなきゃね」という話も出てきます。
一括りにする、ということは外国人にも通ずるところがあります。
英語を話す欧米人は話していることがストレート、という見方を持つのは有名な話ですが、100パーセントの欧米人がそうとは限らない、ということは少なくとも無意識に思っているはず。
しかし、なぜか、ろう者とか障害者となると100パーセントであるかのような一括りにされた話し方が目立つような気がします。
同じ日本人だから、見た目が違う外国人と同じような見方で、障害者に接することが感覚的に難しいのでしょうかね。
一括りすることについては、もう少し掘り下げてみたいと思います。