うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

短冊に懸ける想い

今日は七夕。1年に1度。

 

1年に1度しか会えない関係ってどんな関係だろう。

 

今はSNSで繋がっていれば、わざわざこちらから連絡しなくても、近況が分かるので、会う頻度が少なくなっても気にならない。

 

でも、1年に1度しか、それもSNSでは繋がっていなく、全く近況も分からないままの相手、ってどんな相手なんだろう。

 

ロマンチックに満ちた七夕。

 

この日、短冊に想いを込めて書いた人は多いし、日本文化ならではの素敵なイベントの一つ。

願い事が叶うかどうか分からないのに、短冊に懸ける想い、とは何だろう。

 

そういうことをぐるぐる考えていたら、目の前にいたろう者が「短冊、書けないよ」。

 

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何で?と理由を聞いてみると、「だって、書くんでしょ?恥ずかしいわ」。

 

願い事でもいいし、想いを書くだけで良いので、何でもいいですよ、と伝えるものの、

「わたしゃ、日本語苦手だから〜」。

 

ここでも、「日本語に遭遇」でした。

年配のろう者なので、日本語の間違いを指摘されるのはあまり好かないし、そもそも、聴こえないがために、日本語を習得するのは至難の業、といっても過言ではないので、

ここは無理強いせず、

 

「何でもいいから、書くだけでも大丈夫」とだけ伝えました。

 

逆に、「書かなくてもいいよ」という選択肢もあったけれど、目の前のろう者は、どんな方法であれ、七夕というイベントを楽しみながら、書きたがっている様子だったので、書いていただきました。

 

短冊には、「みんな仲良く、素直に、助け合おう」。

 

ああ、シンプルだけれど、重みがあるなぁ。

 

日本語とはいえ、文法も大事だけれど、何を伝えたいのか、というあたりが大事だと気付かされました。