うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

2018年ありがとう

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12月31日月曜日。大晦日。今年で一番、おとなしくしている日。起きる時間を気にせず、ぐっすり寝れる幸せを噛みしめています。

 

今年もブログ読んでくださってありがとうございました。「読んでいますよ」という声は、励みになっています。

韓国から帰ってきたスタッフから素敵なお土産が(写真)。ハングルが読めるようになりつつある!これだけでも私にとっては一歩です。

 

来年、どなたかご一緒しましょう。

2019年もよろしくお願いいたします。

どっちつかずなリアリティ

12月29日土曜日。肉の日。予約していた漫画が届いたので早速読んでみました。 

ひだまりが聴こえる-リミット-2 (Canna Comics)

ひだまりが聴こえる-リミット-2 (Canna Comics)

 

 

聴覚障害、聴こえないことについて取り上げた漫画は他にもあります(聲の形、寂しいのはアンタだけじゃない、など)が、「ひだまりが聴こえる」は心情について鋭い洞察力で描かれていました。恋愛的な要素があるとはいえ、聴覚障害に関する情報も織り交ぜられており、聴こえない人と聴こえる人の間に存在している【聴こえにくい人】のリアリティさを突きつけられる内容。

個人的には続編がとても気になるところ。

 

まだ読んだことない方はこちらからぜひ。

 

ひだまりが聴こえる

ひだまりが聴こえる

 

 

心がけていること

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12月19日水曜日。サンタクロースのコスチュームをいろいろ調べていたら、いろいろありすぎる。でも、メガネ+ふかふかしたお髭+白い袋のセットはなかなか見つからない。どうしても、あのふかふかしたお髭が欲しい。と思ったら、カツラ付きが。カツラは要らないよなぁ、とか思いながらいろいろ調べて…

 

値段もいろいろ。値段と中身と、口コミのような評価を調べて決めることに。この評価、ネットでは判断が難しいところだけど、参考にならないわけでもない。

 

この評価は口コミでもあり(中には印象操作のためのものもあるようですが)、ネット以外の世界でも同じ。誰かに聞いた、誰かが言ってた、というのは一つの情報。

 

テレビで発信されたのも情報の一つ。

この情報の受け取り方は人によって異なり、事実が歪められることもあれば、結果的に良い方向にいくことも。

 

仕事で、高齢者と関わる機会が多く、いつものことながら好奇心の強さに圧倒される。こちらが情報をつかんでないと「知らなかったの?こういうことがあったんよ」と断定した言い方をされる(合っている時もあれば勘違いしている時も)。耳が聞こえないということもあり、ニュースの字幕も含めて目に入ったものは興味を持ち、他者に話をすることを通して、自分が受け取った情報に間違いがないかどうか確認する。確認という行為が意図的な人もいれば、そうでない人も。

 

でも、私が関わっている高齢者の方々は、私から「そういう情報もあるみたいですが、こういう情報もあるようですね」と私なりに知ったことを伝えると、「ほぉ!そうなのか、では、アレはどうなのじゃ?」と更に興味を持つほどバイタリティ溢れた雰囲気が。

 

日本語の漢字や文脈を捉え間違えて事実が逆の受け止め方になっていた時は、訂正するけれど訂正する側も気をつかう。私自身の受け止めた情報は合ってたかしら?と。なによりも訂正したときに「おお、そうかそうか。ありがとうよ」と情報を修正する姿勢は、私自身とてもリスペクトしている。きっと、今までの長い人生の中で生き抜くために身についた素直さ、なのだろうと思いながら。支援とはいえ、関わる立場としてはすごく気をつかう部分でもあり、さまざまなジャンルの本を読むのもその動機になっている。

 

知らないですね、で終われば終わり。それもありだけど、どうせならお互いが面白く、時には真剣に話をした方がもっと楽しく過ごせる。

 

とはいえ、自宅にテレビを置いてないので時々「テレビでやってたよ!」には弱くて、私が訂正されることも。最近のテレビはとっても便利なようなので、来年買うか検討してみようかな。

読むべきタイミングで出会う

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12月16日日曜日。

 

「経営経験なし、行政経験なし。難問山積の福岡市。前途は多難ですーーー」

 

この書き出しから始まる本。

 

別の用事で立ち寄った書店にて、たまたま目にした本。36歳で福岡市長になった高島宗一郎さん、現役市長による本は初めてだそう。

 

熊本地震が起きた時、Twitterで支援物資を呼びかけて手際良く被災者の元に届ける活動をされていて「すごい市長がいるんだなぁ」。

でも名前ははっきり覚えていなくて、たまたま表紙を見たら「もしかして、熊本地震の?」と思ってペラペラめくっていたら、やっぱり!ということで、早速買って読んでみました。ブログもやっているとのこと、早速チェックしてみたらちょうど先日、市長選が行われ史上最多得票で3期目を任されることに。「すごい市長さんだ!」。

 

36歳でアナウンサーを辞め、8年間の間に福岡市を最強都市に変えたという市長の取り組み・当時の想い・普段心がけていることが綴られています。

選挙に出るということだけで友達がいなくなってしまったり、リーダーシップを発揮することで煙たがられたり。それでも、認めてもらえるために小さな結果を積み重ねていく。最新のテクノロジーを取り入れてSNSを駆使して情報発信していく。なんてすごい市長さんなんでしょう。

 

いったんは地上にいる自分の立場を離れて、「鳥の視点」で俯瞰して「こっちのほうがいい」という決断をするのです。

「虫の視点」で、つまり地上にいる自分の目でリアルに山積する課題や困難を見てしまうと、安易な道を選びがちになってしまうからです。

 

A案とB案がある。どちらにもメリット、デメリットがある。さあどうする、というときに最悪の選択は「すべての支援者」に配慮して「決めない」「動かない」ということです。

決断しないことがいちばんの罪。決めずにずるずると先延ばしするよりも、なるべく早く決断することが大切です。

 

私たちが運営する組織は小さな組織。 フットワークが軽く行える一方、何かを決めるときに必ず「これはどうなのかしら」と懐疑的な声も聞こえてきます。市長さんの背負っている重大な責任と比べたらとても小さい。でも、他者の人生に関わっている以上、決めないと何も変わらないので前に進んでいます。言葉にできない苦しみは抱えているものの、それを吐き出した時点で何かが変わるわけではない、実績を出してこそが経営者としての務め。

私自身はまだまだ、全然その領域に到達できておらず、ここ数ヶ月間ずっと悶々としているものがあるものの、この本との出会いで救われる気が。

 

多分、読むべきタイミングで目の前に本が現れてくるのかもしれません。

 

福岡市を経営する

福岡市を経営する

 

 

他に何度でも読みたいブログとの出会いも。

経営者の孤独/わざわざ・平田はる香「寂しさはそこにあるもの。哀しみはいつか癒えるもの。孤独は逃れられないもの」 : 小さな声を届けるウェブマガジン「BAMP」

 

起業家の意義は見過ごされているものの価値を見出していくこと | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

後になって語れるものがあるよう、結果を出していきたいので書きとめてみました。

一人のろう者のお話

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12月15日土曜日。

 

飲みにいきたいなぁ。

−はい、行きましょうよ。

 

旅行に出かけたい。

−私が代わりに予約しましょう。

 

あれが食べたいな。

−車出すから一緒に行こう。

 

(ん?ちょっと待って。

◯◯したいなぁ、と言えば周りが動く。

自分は何もしなくてもいいってこと?

それってすごいじゃん。)

 

それから数十年後。

 

休み取れたからどこか行きたいなぁ。

−いいね、行こうよ。

 

映画見たいなぁ。

−あれ見てみる?一緒に行こ。

 

友達が結婚するって?お祝いしたいな。

−誘ってみたら?

 

ん?ちょっと待って。誘ってみたら?っていうのは、自分からってこと?

−うん、そうだよ。

 

それから1年後。

 

このお店に行ってみたい。

−うん、誰かと行く?なら、予約してみたら?

 

耳聞こえないから予約なんて無理だし。

−え?カンケーないよ。いくらでも方法はあるし。

 

(ここで手話通訳者から「私が代わりに電話してあげようか」と一言)

 

あー助かった。代わりに電話してくれるなら楽チン。じゃ、頼むわ。

−いや、断れよ。自分でできるんだろ。

 

(え?今までは周りが動いてくれてたのに…)

 

−人数、行きたいお店が分かれば後は動けるだろ。大丈夫。何かあったらその時は、その時だからさ。

 

(まぁ、そうだよな。いい歳していつまでも周りに頼るのもなんだかな…通訳者は優しいけど、確かに自分で予約してみるのも悪くないかもな)

 

それから数日後。

 

やった、フツーに食事会できた!

−こないだはありがとね!

−美味しかったよね!

 

(予約して周りに連絡して実施するって、どうなるかと思ったけど案外、楽しかった!お店の人も怪訝な顔しなかったし、聞こえないと言ったらフツーに対応してくれて嬉しかったな)

 

ありがとう、自分でやれ!と言ってくれて。

−いやいや、無事終わって良かったね。今度飲みに行こうぜ。

 

俺が予約しとくよ!

−お!やるじゃん〜

 

 

 

(つづく)

 

 

基本から入ることの地道さ

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12月14日金曜日。先日、福島県で講演してきました。新潟から見ると福島県は隣の県ですが、山を越えないといけません。車で行くと約1時間で会津、約2時間で郡山に行けますが、今回は講演ということで運転と講演を一緒にすることはできなく、公共交通機関を。これを周りに話すと「ええ?車で行かなかったの?」と言われることも。たしかに公共交通機関だと遠回りルートになっちゃいます。

 

新潟〜郡山は高速バスが繋がっています。でも、時間が決められていること、何かと融通が利かないので今回は新幹線を。

 

新潟駅上越新幹線)〜大宮駅(東北新幹線)〜郡山駅(在来線)〜本宮駅

 

隣の県なのに、新潟→群馬→埼玉→栃木→福島、と1日の間に複数の県を跨ることになるのです。どうりで「ええ?車で行かないの?」という反応になるわけで。

 

現地では、福島県内で使われる手話がいくつかあったので「今のは?」と聞きながら覚えてみました。基本的には、その地域で使われる手話を通して地域の人たちを知りたいので、現地のと話をすることは楽しいです(そして、講演の最中に使ってみたり)。

 

日本語の方言があるように、手話にも地域独特の表現があります。手話講座などで「手話にも方言がある」という話は出ています。

しかしながら、学習者は当然、基本の形と方言の二つ、同時に教えてもらうとなると「どっちを使えばいいの?」と疑問を持ちます。「どっちでもいい」「ろう者が使っているのを見ればいい」といった答えでは、なんとなく消化不良に。

 

教える側としては基本形はこうであって、場所によってはまた異なる。ということが無難かもしれません。ただ、基本形というのはテキストに載っているものであり、生きた手話は方言として映ります。まさか、自分が使っている手話が基本形ではなく、その地域でしか使われないものだったと気付くこともあります。

日本語の場合、テレビが普及した頃からNHKアナウンサーによる言葉が標準語になり、方言との境目が分かるようになってきたとか。

 

手話の場合も同様の流れで、都会に近ければ近いほど(教育の影響、身の回りの環境によって世代が若ければ若いほど)、一般的に通じる手話が標準、基本形になっています。ただ、文字に残りにくいこと、手話が常にどこでも見れるわけではない環境下、基本形としての手話がどれに当てはまるのか分かりにくい部分があるように思います。

 

できることならその地域で頻繁に使われていること、確実にほとんどの人が理解できる言葉も学習者に伝えていく。語彙レベルの話とはいえ、量がモノを言う。基本があってこそ、コミュニケーションの第一歩になるのだから。文法レベルも基本を繰り返すことで、自由自在に使いこなせるように。

 

なんとなく地道だけれど、レベルアップする上で壁にぶつかったとき、元に戻れる。ということで、基本から入って継続していくことを、韓国語学習で実感中です。

 

それにしてもいよいよ、韓国語が難しくなってきました。どうなるやら(笑)

どうせ聞こえないのだから

 

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12月12日水曜日。フランスのデモにより、マクロン大統領が声明を発表した画面。ろう者はおそらく、内容よりも手話通訳の方に目がいったのでは。

 

youtu.be

 

国際ニュースを見ていると時々、手話通訳が画面に映る。国内では、東日本大震災の頃に官房長官の記者会見に手話通訳がついたことが話題になったものの、ニュースに流れる時はなぜか省かれている。。。他のブログで紹介されていたのでリンクを。

togetter.com

フランス政権に対するデモが連日ニュースになっているものの、現地に住んでいるろう者はどのくらい関わっているのか、どのくらい情勢を理解し、どう捉えているのか。かつて日本にも大規模デモがあった時、ろう者の一人から話を聞いたことが。

 

「当時は何だかよく分からなかったけど、周りが血の気が多かったから一緒にやっただけで。気づいたらそういうことだったのか、って後になって知ったのさ」。スマホがない時代だったので、どうやって情報を得たのだろうと気になってもう一歩踏み込んで聞いてみると、「いやぁ、周りを見て少しずつ知ったようなもんさ」。

 

耳から得られる情報は、きっと私が思っている以上に膨大な量にちがいない。幸い、スマホがあり、パソコンがあり、インターネットのおかげで情報量がぐんと増えてきている(多すぎて困ることも)。日本語が読めるから増えているだけで、日本語も使いこなせなかったらどうなっていたか。

 

今、韓国語を勉強していて切実に思うのは、韓国語が少しずつ分かるようになるとそれなりに読める文字も増えてくる。そして、何かしらの情報を得る時に読める、読めないのとではかなり違う。読めたら、さらに次の新しい情報へのアクセスができるようになる。日本に住んでいる以上、日本語は避けて通れない言葉なので、読めること、書けることがいかに大切か。

どうせ聞こえないのだから完璧な発音を目指すよりは。

 

手話通訳にしても日本語にしても、自らアクセスできるものはあった方がいい。発音は発信するための機能にすぎない。読話力(口の形を読み取る力)の助けにもなりうるけれど、韓国語で読み取る自信はほぼゼロ。どうせ聞こえないのだから、筆談できるようなレベルを目指していこうって割り切ることに。

 

英語も然り。中学時代、英検を初めて受験した時はテロップも字幕もなかった映像を見て、口だけを懸命に見ていた(そして、何と合格)。あれをもう一度やって、と言われたら絶対無理。読み取れないってば!英語なんでしょ、と。

 

要は音声言語も手話もどちらもできた方が、情報がより得られるということで引き続き、韓国語の勉強に勤しんできます。

 

 

作られた仕組みの中に入るということ

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12月5日水曜日。街の中はクリスマスムードになりつつあります。クリスマスツリーを組み立てるところもちらほら。組み立てることが得意な人は本当に丁寧且つスピーディにできるので感心してしまいます(私はスピーディはあるものの、雑です、ザツ…)。

 

組み立てるといえば、仕組みを作る。「NPOって人を雇用できるの?」と質問を受けることがあります。正解は「できます」。人を雇用できる土台があることが前提ですが、仕組みを作る側に立つといろいろ難しいことも出てきます。でも、人を雇用することは不可能ではなく、可能です。

 

逆の立場だと、雇われる側は「既存の仕組みの中に入る」ということでもあります。すでに作られた仕組みの中に入る。すでに作り上げられた常識で成り立っているところに入る。もちろん、変化がスピーディ且つポジティブな企業であれば、既存の仕組みの中から変化を遂げて働きやすい環境にすることもできます。

 

ろう者の就職活動で、よく話題になるのが「聴こえないと言ったら落とされた」「聴覚障害がある人でも歓迎してくれる企業なのに、いざとなると電話ができないようでは無理と言われた」「人事部は好感触だったのに現場に入ってみると違っていた」などなど。

 

いずれも既存の仕組みから出てくる実態。その既存の仕組みを見てみると、採用する側が聴者であること(マジョリティ)がほとんどです。誤解のないように書きますが、この実態が起きてしまう要因は一概に「採用する側が聴者だから」ではなく、障害があることを否定的に捉えてしまっていること、そして、本人の人格がたまたまマッチできなかったこと、などが考えられます。しかしながら、聴者が作った仕組みの中にろう者が入る場合、働きにくさを感じる要因は「耳が聴こえないから」なのか、それとも「耳が聴こえない人に対して、周りがどのように工夫したら良いか分からないから」なのか。

 

仕組みを変えることを厭わない企業なら、障害を踏まえた上でどのように改善していくか試行錯誤を繰り返します。実際にそういう企業もいくつかあります。

 

既存の仕組みに入ることの選択肢だけでなく、自ら仕組みを作るという選択肢もあっていいはずなのにあまり話題になりにくい。そりゃ、リスクが大きいからなのかもしれません。

 

しかし、聴者が圧倒的に多い社会の中でいつもマイノリティ側が既存の仕組みの中に入らざるを得ない実態を見ていると…なんともいえないモヤモヤ感が。仕組みの中から脱するか、仕組みの中から改善していくか、それともバイタリティ溢れる行動を起こせるかどうか。

 

ろう者自身も人間。リスクを冒してまで成し遂げたいものがあるとしても、そこまで行動を起こすのは厄介なのかもしれません。

 

この話題はまた今度考えてみたいです。

 

発音が通じないのは、音が足りないから?

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12月4日火曜日。写真の絵は韓国語の先生が描いたもの。30年ぶりに見た懐かしい絵(蘭学者杉田玄白の絵ではないぞよ)。

 

韓国語の勉強、我ながら珍しく(?)続いています。亀の歩みのように。

 

前に韓国語を習ってる友人から「パッチム難しいんだよね」と聞いてたけど、なるほど、こりゃ難しい。聴者でも難しいと言ってるくらいだから、こりゃ、ね。

子音と母音、さらに子音が下にくっつくものがパッチム

 

日本語の発音なら「パク」や「キンパ」と一文字ずつハッキリ言う。でも韓国語は、途中で音を止めるところがあります。

 

お、おお?なんで、そこで音を止めるの?と思いつつ。日本語の「ん」は、3種類ほど使い分けがあるにもかかわらず、日本語は一文字だけの表記になっている。秋刀魚、あんこ、は「ん」の部分で、口を閉じてるか閉じてないか。

 

この時に私は思いました。

「もしかして、日本語としての発音が通じない時は、発音の仕方がなんとなく間違ってるのか」と。

 

喉のあたりで、音を止めるからもう少し音を伸ばすべきだったかな。

舌の動きを口の中でもう少し緩やかに動かすべきかな。

 

感覚的には合ってる!と思って発声しても、通じない時があります。まぁ、もともと明瞭に発声すること自体難しいし、通じなかったら別の日本語を選んだり、筆談したり手話で話せば良いので。と割り切っています。だって、音が全く聞こえないから。

 

しかし同じような発音が多い中、韓国人はどうやって聞き分けているのか不思議。先生に聞くと「私たち韓国人でも間違うときは間違えるから。あはは!」。

 

そうか、間違えたっていいんじゃない、人間だもの。

 

 

点々をどこへ持っていく?

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12月3日月曜日。朝、外を見ると雪を被った山々が現れてきます。冬の始まり。こういう時は、この猫さんのようにふわふわした座布団の上で背を伸ばしたいもの。

 

先日、とある集まりで『日本語のカタカナ表記を、ろう者が時々間違えるのはどうしてだろう?』ということが話題に。

 

間違う特徴として、一つは、文字の順番が反対になってたり抜けたりすること。

 

(例)

ノスタルジック→(誤)ノルスタジック。

クラウドファンディング→(誤)クラウドファディング

 

もう一つは、濁点の位置が間違っていること。

(例)

パックパッカー→(誤)バッグパッカー

バイパス→(誤)パイバス

 

 

恥ずかしながら日常茶飯事で、メールやLINEを作る時に上手く変換できなくて初めて「ああ、違うのか」と誤用に気付きます。

 

カタカナ表記だけに限らず、漢字の読み方も同じで濁点が付いてたり付いてなかったり。高校時代に漢検受けるための勉強をしてたら「もう!なんで、こんなところに濁点付けるのよ!」と漢字さんにイラついたことも。

 

カタカナ表記の読み方は、英語やローマ字表記に変えると割と覚えやすいです。

上記の例だと、

ノスタルジック→nostalgic 

クラウドファンディング→crowdfunding

 バックパッカー→backpacker

バイパス→bypass

 

bならビー、pならパ、というふうに。

英語、ローマ字表記が読めなかったらどうするか。そんな時は手話に置き換えて覚えるケースもあります。

 

コレステロールなら、「これ、捨てる、ロール」。日本語の音を視覚化に変えて覚える。時々、ジンジャエールを「神社、応援」と表すように冗談っぽく使うこともあります。

 

それでも間違えるときは間違えます。音が聞こえないので仕方ない、アップデートして覚えるのみ(そして、使用頻度が低ければ忘却の彼方に…)。

 

ということで、点々を付けるところが間違ってたり、ズレていたらさりげなく教えてくれると助かります。「それ、間違ってるわよ」とズバッと言われたら誰でも萎縮しちゃいます。学ぶ意欲が高ければ別に気にならないけれど、誤用を指摘されまくったら…。

 

間違いの場面を見かけた時は、おうむ返しのように自分の方から表す。すると、気付く人は気付きます。

 

ああ、言葉は奥深い。