失恋から考えた、仕組みを作るということ
11月5日月曜日。30代前半最後の日。ああ、もう折り返し地点。
たまたま、「失恋」の漢字を見た年配の方から「しつこい」と言われました。し、しつこい?と思わず聞き返しました。
年配の方は、ろう者。耳が聞こえません。
「だって、この漢字、しつこいって読むんでしょ?」。
失=しつ、恋=こい、ということで「失恋=しつこい」と読んでいました。真顔で。
しつこいから失恋する、というのはさておき、こういう場面はよくある話。漢字の読み方を間違えるって、本人は気付かないし、気付きようがない。私もその一人。
聞こえる人でも間違うことはあるけれど、確率的に見たら、ろう者の方が圧倒的に多いかも。スマホで漢字を入力した時に、うまく変換してくれなくて、「あれ、今までの読み方、もしかして間違ってた?」と初めて気付くことも少なくないです。
耳に入る情報量を上回る方法なんて無い。もう仕方ありませんのう。
耳が聞こえないってことを割り切る。
そして、仕事でも割り切っています。私宛に電話があった時のこと。
相手は私が聞こえないことを知らないで電話かけてくるときがあります。手話や聴覚障害のキーワードを掲げてNPOを運営しているものの、まさか耳が聞こえない人が運営しているとは思っていなかったのか、「え?聞こえないんですか」と反応されることは日常茶飯事。
スタッフのほとんどは手話ができるけれど、電話通訳は年に1回あるかないか。手話通訳ができないというよりは、手話通訳ができるスタッフもいるけれど、緊急でない限り、ダイレクトに連絡し合った方が効率的。
LINEやSNSが普及している時代が後押ししているのもあって、メールでお願いするとほとんどが快諾。チャットで対応できるところはチャットで、という風に。
それでも「いや、電話で話したいんだから」と言われたのは、意外にも手話関係者でした。スタッフに向かって「手話できるんでしょ。だったら電話で通訳しなさいよ」と。おお、そこまで言っちゃうのか…。
よくよく聞いてみると、電話の相手は、私と同じく耳が聞こえない人、ろう者。日本語を使ったメールが苦手だから、手話で話をして通訳してもらった方がスムーズだからということでした。
「それだったらテレビ電話しましょう」ということで、テレビ電話に切り替えました。もともとテレビ電話は苦手だし、時間を取られてしまう感があるので正直やりたくないけれど、日本語が苦手と言われてしまった以上、どうしようもない。案件が進まない。もうテレビ電話しかない、ということもありました。
電話しても(判断できる人が)反応してくれない。それならメールで!ということが周囲に浸透してきたのもあり、メールで連絡してくることが増えました。おかげで日程調整や案件の打ち合わせがサクサク進み、記録にも残るので助かっています。
既存のシステム(音声言語を中心にした、耳から聞く仕組み)では対応しきれない。だったら、新しいシステムを作っちゃおうということで、もう割り切ることにしました。新しい仕組みを作っている方々にも色々聞いてみたいです。
最後に、失恋の話が出ていますが、失恋したとかそういうことはないのでご安心をw
静岡県の手話は富士山?
10月29日月曜日。怒涛の10月があと2日で終わろうとしています。
上記の写真、カメラがなかったのでiPhoneで撮りました!
って周りに話したのですが、旅慣れている人からは「おお!このアングル、見たことある!良いなぁ〜」。一方、旅にあまり興味ない人からは「富士山?それがどうしたの?」。何とも極端な反応。
おかげさまで「ろう者の祈り」の本をきっかけに、各方面で講演依頼がきています。
ということで今月は山梨県甲府市と富士吉田市に行ってきました。
新潟から車で行くと約4時間。でも、車運転して講演して、また運転して講演して、また運転…というのは全然自信がなくて。こういう時に秘書がいてくれたらどんなに助かるんだろう!と思いつつ(本音を言えば、募集したい)。
新潟から東京まで新幹線で約2時間。
東京から八王子まで中央線で約1時間。
待ち時間、乗り換えの時間も含めて約5時間。
その日は甲府で講演した後に、市内で宿泊する予定でした。が、ハロウィンの季節ということもあってか、ホテルが満室&料金が2倍に。
ということで、講演後にまた電車で移動。
甲府から大月まで約1時間。
大月から下吉田まで約1時間。
1日だけで合計7時間の移動。こ、こんなに遠かったっけ?
宿泊先に近い駅に降りた時はもう真っ暗。田舎というのもあり、駅に降りたのは私一人だけでした(この駅で合ってる?と一瞬不安になるのが、ローカル線ならではの体験)。
翌日は運よく秋晴れ!
前日の夜に降りた駅が見たくて、見に行ってみたら…
おお!オシャレな駅!
でも、それよりも驚いたのが外国人観光客の多さ。中国人、韓国人だけでなく、タイ人、アラブ人、などなど。駅員さんと私以外は、全員外国人。つかの間、異国の地を経験できました。
この後、講演前に主催者の方が案内してくださったのが「浅間公園」。
あさま、ではないです。せんげん。
手前に神社がありまして「今日の講演、無事に終わりますよう…」と拝もうとしたら、
ちょっと、何かついているのではないですか。上の方に。
お、お面?
主催者の方に聞いてみると「え!?私、何度もここに来ているのですが、初めて見ました!」とのこと。この後、昼食を共にしたスタッフさんにも聞いたのですが「いや〜聞いたことないっすね」。
何とも不思議な。
普段見慣れている光景だと気付きにくいのかもしれません。
引き続き、山梨県育ちのスタッフさんたちとお話しさせていただきました。静岡県の話題になった時、手話が「お茶」になっていました。
静岡=お茶、という表現です。
一般的には、静岡=富士山、の表現になっています。
一部によっては「静かに歩く」という表現プラス、「岡」を加えた表現もあります。
山梨県のように「お茶」と表すのは初めて見たので思わず、「今のは、静岡なんですかね?」と確認したら…
何をいうてる!?当たり前やんか!(実際にはもっと優しい口調でした)
ということで、どうして「静岡=富士山」ではないのかと聞いたら…
何をいうてる!?当たり前やんか!(2回目)
山梨県民曰く、テレビに映っている『富士山が綺麗に写っている映像』について、ほとんどは山梨県側から見える富士山として紹介されているそうです。
事実かどうかはともかく、確かに富士山といえば静岡県にある山、という印象が強いかもしれません。こういう対抗意識は、他の県でも見られるのですが、まさか、手話に現れてくるとは。
手話も言語の一つだなぁと実感する出来事でした。
ところで、肝心の講演はどうなったのかというと…
おかげさまで無事終わりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
もちろん、手話の違いをネタにお話ししました(皆様、面白がってくださって嬉しかったです)。
聞こえない世界での電話
10月14日日曜日。スノーピーク(本社が新潟県三条市)のチェア、最高。このチェアに座るために帰る、と言っても過言ではないくらい座り心地が良い。読みたい本が少しずつ読めるようになってきています(そして、そのまま寝てしまうという…)。
生活の一部を物理的に変えるだけで、行動まで変わるから不思議。
ところで、住まいの環境を変える時に頻出するのが「電話をください」「本人確認したいのでお電話を」「電話番号を教えてください。電話しますので」。
以前よりはメールやネットで登録情報変更手続きができるので、電話ができなくてもさほど困らない。「耳が聞こえない人は電話ができない。」というフレーズは矛盾しつつある時代になっています。
ただ、「耳が聞こえない人も電話ができる」というのもまた矛盾しつつある時代。
耳が聞こえないといっても、人によっては残存聴力を活かして電話したり、特定の人となら電話でも話せます。全く耳が聞こえない人でも、かつて電話を使った経験があったりします。公衆電話を使って家族に電話をかけ、一方的に用件を伝えて終わり(だって、向こうからの声が聞こえないから)。
15年くらい前にアメリカで文字通訳による電話を見て「聞こえない人でも双方的に、電話ができる!」と感動したくらい、私にとっての電話は「使いたくても使えないもの」の一つでした。
今や全く聞こえない人にとっても使えるようになったのが電話リレーサービス。
オペレーターが中間に入り、聞こえない側は手話、文字などによって用件を伝え、聞こえる側は音声で応対するもの。
電話リレーサービスとは? | 電話リレーサービス普及啓発推進事業
「電話リレー」を通して人とつながる、世界が広がる | NPO Information Gap Buster
目も耳も不自由な盲ろう者の電話リレーサービス『CAAG VRS for the Deaf-Blind』 | LICOPAL
しかしながら、聞こえない人全員がリレーサービスを使ったことがあるかというとそうでもないです。電話する必要性がない(同居している家族に電話を頼めばいいとか)、そもそも電話ってどういう時に使うのかイメージができないようです。
電話なんて無理ムリ。
聞こえない世界での電話、というのはテレビ電話(直接、相手の顔を見ながら話をする)が一番分かりやすいものの、相手も手話ができることが条件になっています。かつてドコモがFOMAを始めた時に爆発的にテレビ電話が流行りました。
じゃあ、手話ができない相手だったらどうするの?メール、LINEすればいいじゃん。
面白いことに、耳が聞こえる人の中には「私、聞こえるけど電話好きじゃないの」という人もいます。電話する時間が勿体無いとか、メールの方が記憶に残るからとか、理由はいろいろ。
電話はできるけど電話しない。
これは「電話ができている」が前提になって初めて選択できるもの。
では、聞こえない人にとって「電話はできるけど電話しない」という選択ってできているかどうか。
物理的な環境見ると、通訳できるオペレーターの人件費の確保、時間的な制限といった課題があります。24時間体制ではないので、仕事が終わって帰宅した後に電話したくてもできない、かといって朝電話するとしたら8時からになる。とはいえ、数年前よりは格段に電話が使える環境になっています。
心理的な部分も含めた生活環境はどうでしょうか。
電話できたらラクだけどどうやって電話したらいいか分からない、電話すれば解決できるのに初めからその方法が思いつかない、ということがあります。電話のかけ方について、ホームページを見たら分かるものの、最初から電話を使うかどうかというスタート地点に立っていない人を、どうやって案内するか。
・実際に使っている事例を情報交換する。
・情報交換するための機会(SNSにアクセスできない、読み書きに苦手意識があるろう者が繋がれる機会)
・現時点で電話できる環境を作る。
・その他
それがクリアできて初めて、電話できるけど電話しない選択できるようになるのでは。きっと今以上に何かしらの変化が生活の中に生まれると思います。
そして、聞こえない世界の中での電話が普及するのはそう遠くないかも。
「障害者を作っているのは私たち」
10月7日日曜日。木の葉が黄色に変わり、稲刈りが終わった田んぼ。道路の向こう側に山並みがくっきり見える。でも昨日から今日にかけて、秋に似つかない風が。台風のフェーン現象?
ところで、最近読んだ本に「手話」が出てきました。
- 作者: ボストンテラン,Boston Teran,田口俊樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/08/04
- メディア: 文庫
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貧困家庭に生まれた耳の聞こえない娘イヴ。暴君のような父親の元での生活から彼女を救ったのは孤高の女フラン。だが運命は非常で…
(「音もなく少女は」あらすじから引用)
ストーリーは普遍的。でも、耳が聞こえない娘という要素が加わることで貧困、暴力、孤独をさらに際立たせる描き方になっていました。耳が聞こえなくて可哀想な娘、と同情する余地はなく、成長していくにつれて出会う人たちとの関わり方が淡々と描写されています。コーダではないけれどコーダのような人も登場します。
貧困、暴力、孤独をテーマにした物語に不慣れな人は相当なパンチを食らうかもしれません(私もそんなに慣れているわけではないので、気が重くなる場面もあり)。それでも興味のある方は是非。
そして、もう一冊。
聴覚障害だけに限定せず、視覚障害、知的障害、精神障害、発達障害などの障害全般を取り巻く現状について、教育や福祉について経済学者の視点で書かれている本。
特別支援学校の役割、障害者雇用、特例子会社、就労支援施設の仕組みなどに触れています。障害を医学モデルではなく、社会モデルで捉える必要性はもちろん、制度上の矛盾点を理解した上で「働き方改革」を考えるヒントが詰まっている一冊。タイトルからなんとなく敬遠しそうな経済学とはいえ、「障害者を作っているのは私たち自身である」というメッセージが伝わってきます。
と、お知らせはここまで。
まだ読み終えていないけれど、こんな本もありました。
- 作者: 羽田野真帆,照山絢子,松波めぐみ,中村雅也,宇内一文,有海順子,清水睦美
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2018/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ろう教育と「ことば」の社会言語学ーー手話・英語・日本語リテラシー
- 作者: 中島武史
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2018/09/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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卒業論文の参考になるかも。
韓国語を学び始めてみて
9月20日木曜日。
고기,오이,모자,,,,
これが読める人にとっては「何?それがどうしたの?」。
これが読めない人にとっては「何?意味わかんない〜」。
(肉、きゅうり、帽子)
今月から韓国語を始めました。ちょっと前に独学でチャレンジしたことはあったけど三日坊主に…。韓国語とハングルの違いも分かっていなく、ハングルで書かれている文字が謎解きの迷路のような文字に見えて、これは一生かかっても読めるわけがない!と別世界の暗号のように見えていました。
それに、韓国の映画といえば「シュリ」くらいしか観ていなく(この作品は、好きな映画の一つ)。韓国の文化にそこまで深く興味を持つ機会がなく…。
周りが韓国語を勉強してて、韓国語スピーチコンテストで優勝したり、韓国に短期留学したり、韓国の友人とカカオトークしたり。次第になんだか韓国語が気になってきて。でも、韓国語使う機会ないし、難しそう!
でも、読めたらどんなに気持ちがいいんだろう!
でも、難しいから覚えられない!
でも、「でも」の堂々巡り。
最後のトドメは、職場で韓国料理を教えてくれた韓国人の先生が「私、手話やってみたい!」と話していたこと。
うむむ!日本人ならまだしも韓国人の先生が「(日本の)手話を学びたい」と言っているのではないか!それならば、私も負けまい!ということで、韓国語を学び始めました。一人では絶対続かないので、友人の紹介で韓国人の先生に教えてもらっています。
先生からは「聞こえない人に教えるのは初めてだから、分からないことは何でも聞いて」と繰り返していました。もちろん、分からないままでは次のステップに行けないので質問せざるを得ないのですが、先生の日本語が堪能、流暢なので日本語、英語、そして手話も織り交ぜながら確認をして進めています。言語を学ぶ時、学習言語をダイレクトに学ぶ方法もあれば、自ら理解できる言語(母語とも呼ばれる)を介して学ぶ方法もあります。
今は初心者なので、謎解きの迷路みたいな文字を一つずつ、発音を確認した後に書き込むという方法でやっています。音と文字の組み合わせでやっと覚えられるくらい、頭がそんなに良くないので…(発音なんて要らない、文字さえ覚えればよし!という人がいたら学び方を教えてほしい)。
この発音の時間が、私にとっては懐かしい時間でもあります。先生が発する声は全く聞こえないので、口の形を見ながら自分で発声してみる、の繰り返し。単調にも見えるやり方は、子どもの頃に日本語の「ア、イ、ウ、エ、オ」を繰り返して練習した時と似ています。「サ」なら息がかかる、「ナ」なら鼻が響く、「ラ」なら舌を動かす…
先生から「声をもっと大きく出して」と言われた時、無意識に染み付いていたものって本当にあるんだなぁと実感。耳が全く聞こえないので、声の大きさ(ボリューム)の調節が難しく、「静かに!声が大きい!」と子どもの頃に怒られたことが何回かあります。そのせいか、最初からあまり大きな声を出さないで「普通に」声を出す音量が、思いの外、先生にとっては小さかったようです。子どもの頃の経験を話したところ、「ええ?知らなかった。でも韓国人ははっきり喋るから、気にしなくていいのよ」。
発音の練習を最後に終えたのは、中学時代(だったと思う)。あれから約20年の間に、「この文字は、こうやって発音する」と言われて練習するという機会はほとんどありませんでした。成人向けの口話練習ができる施設があるらしいのですが、必要性はほとんどありません。通じなかったら言い換えてみたり、筆談したらいいし、手話通訳を使うとか、スマホに打ち込むとか、いろいろな方法があります。
仕事で手話を使う環境にいるから日常生活の中で全く声を使わないのかというと、案外そうでもなく、聴者のスタッフに対しては適切な指示や意見交換ができるように声と手話を併用することもあります。
ただ、この約20年間、声を出して発音を使い分けて話すトレーニングをせず、常に実践してきたせいなのか、緩やかに機能低下しているのでは?と感じました。スポーツで言えば、走るためのトレーニングを行わず、常に試合で走りっぱなしの状態。基本中の基本って何事においても大事なはずなのに。今回のレッスンで、「あれれ?」と思うように発音ができないことがいくつかありました。韓国語は母音の種類が日本語より多く、聴者の友人でも「難しい」というのでそんなものかも。
発音のスキルはともかく、仮に発音の使い分けができても、おそらく韓国人とは筆談でのやり取りが中心になるかも。日本語と同じく、口話は口話なりの限界があるので割り切りながら、ハングルが読めるようになるためのステップとして発音、発声と上手に付き合っていきます。
ということで、冒頭の文字くらいは何とか読める、書けるようになりました。
まだまだこれから。
アマゾンで買ったアマゾンの料理人
9月15日土曜日。早朝は土砂降りだったけれど、正午は写真の通り。人生も恋愛もおんなじ。そして、食べる料理も。
料理といえば、どちらかというと食べる方が好きです。作れないことはないけれど、人様に「美味しい!」と言わせる自信はありません。でも、美味しく食べる自信はあります。ということで、今回読んだ本はこちら。
アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所
- 作者: 太田哲雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/01/18
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Amazon(フレッシュアマゾン)で野菜や生鮮品を運ぶサービスがありますが、そっちのアマゾンではなく、南米のアマゾン。そのアマゾンに惹きつけられた著者が料理人として今までどのような料理人生を歩んだかが書かれています。
はじめに そうだ!料理人になろう
第1章 冷たいシャワーとパスタ修業
第2章 マフィアのボスが愛するウェディングケーキ
第3章 世界一予約の取れないレストラン
第4章 対決「プラダを着た悪魔」in MILANO
第5章 現代"ピッツァ"百珍
第6章 南米初上陸に野犬の洗礼
これが第12章まで続きます。特に、第4章は本タイトルとかけ離れているように見えますが、これも面白かったです。アマゾンの話は何処へ?と思いつつ読み進めてみると、イタリア、フランス、キューバ、ペルーなどの国名が出てきます。その地域でしか見られない市場の様子や厨房に関わる人たちの行動がリアリティに書かれています。
どういう作り方をすればいいのかという風にレシピを単になぞるだけでなく、オリジナリティを取り入れてみたり、本当にこの作り方でいいのかと根本的なことを問うてみたりと著者の葛藤、希望、計画なども書かれていて読み応え抜群です。
そして世界的に公平なビジネスを展開していくという話もあります。
世界各地を旅しながらの料理の道を10年以上積み重ねてきた著者だからこそ、伝わってくる言葉がありました。肝心のアマゾンは?というと、ちゃんと取り上げられていました。想像を絶するまではないものの、暮らすってこういうこと?と今までの固定観念を覆されます。
アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所
- 作者: 太田哲雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/01/18
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60年ぶりの再会
9月10日月曜日。今日も雨。このまま秋になっちゃうんじゃない?と思うくらい。
今の仕事は20代(中には5歳くらいの子どもを相手にすることも)〜80代のクライエントと関わっていますが、たまに「感動の再会」ともいえる場面に遭遇します。本人たちがどのくらい感動されたかは分かりませんが、今日はなんと60年ぶりの再会でした。
同じ時間に来られた二人が目を合わせた途端、「ん?あれ?もしかして…」「あ、◯◯さん!?」。
かなり久しぶりとはいえ、昔の記憶がいっぺんに蘇ったかのように「あの頃、バスの中で眠っていた君の隣に僕は座っていたんだよ」という話も。まだ34年しか生きていない私にとって、60年ぶりって実感できません。理解はできても、実感がなかなか。
でも、当の本人たちが話されていたことは「この歳になると友人や身近な人が亡くなってしまって悲しくなるし、寂しくなる。でも、久しぶりに会えるなんて、本当に嬉しい」。
私にとって実感ができない60年という時間の長さを、本人たちが感じている。人生って、生きていることがどうしても当たり前になりがちだけれど、なかなか会えない人に再び会えるって実はとても素晴らしく、幸せな瞬間でもあるのかも。
写真は、先週プレゼントにいただいたもの。
映画『シェイブオブウォーター』を彷彿させます。
経験値が上がると変化がある
9月9日日曜日。葡萄がおいしい季節になりました。
ここ数日、雨が降っています。そんな中で昨日、車を走らせていたらヒッチハイクしている若者を見かけました。一人で『山形方面』とマジックで書かれたボードを持っていました。
むむう、今日は山形は行かないのだよ。すまん。
と心の中で謝りながら通り過ぎたのですが、バイパスの入り口に近かったので停まりづらい場所でもありました。もう少し下がっていたら、きっと停めてくれるんじゃないかなと、バックミラー越しに要らぬ心配をしてました。
それにしても、SNSが普及している現代でもヒッチハイクが見られるとは思いませんでした。あの後、無事山形に行けたのかしら。
最近、海外から帰ってきた学生スタッフに会いました。数ヶ月ぶりだったとはいえ、顔付きに変化が。「おや?ちょっとカッコよくなってる?」という感じ。海外で何をしたのかと聞くと、現地の人たちと現地の言葉でコミュニケーション取りながら交流したり勉強したとのこと。現地で日本人以外の友達ができた!と喜んでいました。どうりで自信がつきますね。
経験値が上がるって、一つだけでも「あ!できた!」という小さな成功体験を積むこと。この小さな成功体験って、小さな失敗も含まれていると私は思います。失敗して恥ずかしい思いした後の先に、成功体験が待っている。
その積み重ねが経験値を上げるということであって、ヒッチハイクの若者も経験値を上げている段階なのだろうと勝手に思うことにしました。
年齢を重ねることは、経験値を上げるチャンス。ということで、韓国語の勉強を始めました。どうなるやら。
緊急災害支援に寄付
9月8日土曜日。台風21号に続いて北海道の地震。関西空港が閉鎖されただけでも衝撃的だったのに、広島・岡山での災害も含めて身の危険をリアルに感じる出来事が続いています。気をつけて、と思っても気をつけようがないですが「自助・共助・公助」が機能できる状態にしたいですね(ああ、備えあれば憂いなし)。
自助・共助・公助の三助の意味をひとことで言うと、「自助」は災害時に自分自身の命は自分で守るということ。「共助」は町内会や学校区くらいの顔の見える範囲内における地域コミュニティで災害発生時に力をあわせること。「公助」は公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決することを言います。
引用先:自助・共助・公助の三助とは?その意味と防災対策 | 災害に備えるための防災メディア | 防災テック
テレビや新聞だけでは知り得なかった災害ボランティア活動がSNSを通して紹介されている中、何かできることはないだろうかと思う方々は少なくないはず。実際に活動に参加されている方は本当にすごいと思うし、被災地の方々にとっても心強く感じていると思います。
それでも「私なんか行ってもいいのだろうか」「行きたいけど、家族の都合もあるからなかなか…」「仕事があるのに休みが取れるのだろうか」等、被災地のことが気掛かりでどうしようもできないという方もいらっしゃると思います。
私もその一人であり、事業を運営している立場で今すぐにアクションを起こすことは物理的に難しい(新潟に来て実感していることの一つが、アクセスの利便性。東京や名古屋から日帰りで対応できる地域にあっても、新潟からとなると移動だけで丸一日)。ということで、ほんの少ししかできないことだけれど支援基金に寄付しました。
今回はこちらです。
今回も岡山の総社市長と協働しながら取り組んで北海道で活動されているそうです。
クラウドファンディングでの寄付もできるようになっています。
熊本地震が発生した時は、ここから寄付させていただきました。
支援の形はいろいろ。寄付すればいいってものではないのですが、事業を運営している立場で痛感することの一つに「どんなに熱い思いを持ったとしても、活動資金がなかったら難しい」。今の私にできることはこれくらいですが、何よりも被災地の方々が一刻も早く「ほっとできる空間に居られること」を願うばかりです。
過酷な状況でも果敢に挑む人たち
9月4日火曜日。台風21号(チェービー)が上陸しています。韓国語で「燕」と呼ばれている21号、かなりの勢いなので、燕のように柔らかく最小限の被害で済むようにという願いが込められている名前だとか。
しかしながら、各地の被害状況を見ていると「台風って一時的だけれど威力がある」と感じます。今日の夕方、外に出てみたら風がいきなりヒューッッ!!という感じで強く吹いていました。この勢い、いつになったら治るのだろうと思うくらい、久しぶりに「台風」を感じた日。新潟はあまり台風が通過しないので、今回の規模の大きさに驚いています。
皆さんは無事、帰宅できたでしょうか。足止め食らってしまった人も大勢いらっしゃるようなのでどうか無事でありますように。
ところで最近、読み終えた本がこちら。
友人たちから「何これ、ちょっと怖いじゃん」。メインタイトルを見れば確かに…。でも、サブタイトルが重要。「メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々」。
どんな本でも、その本を読むきっかけというのは、誰かの紹介だったり、本屋さんでたまたま見かけたりと色々あります。
今回は「BIG ISSUE」で知ったのがきっかけ。著者は工藤律子さん。「女性として足を踏み入れた渾身の取材ってどんなものだろう」と興味があって。
それに、工藤さんのルポ「雇用なしで生きる」を数年前に読んだことがあり、雇用関係での仕事が当たり前にある中、助け合いのコミュニティからお金を介在させない取引の仕方が書かれていて衝撃を受けました。
今回の本は、トランプ大統領の「壁を作る!」発言で話題を呼んだメキシコが舞台。
一般市民たちを巻き込む犯罪組織、地元警察、役人のリアルな現実が書かれています。
2016年の殺人発生件数が、シリアに次いで2位。
理不尽な要求を突きつけられ言いなりにならざるを得なかったり、幼い時に親を殺された子供たちの実態についても書かれていました。読むにつれて、国内ではあまり考えられない残酷さもあって終わりが見えない国の行方に、ため息が出そうに。
でも、どんなに過酷な環境でも果敢に「改善する」ことに取り組む人がいたのです。国の腐敗だけでなく、一般市民たちの活動もいくつか紹介されていました。その中の一つは、社会福祉士や医者、看護師たちが連携を図り、医療や心理ケアを行ったり、ワークショップを通して「暴力とは何か」「真の平和とは」と若者に議論する場を提供したり、被害者家族の支援に取り組んだり。
最も驚いたのは、その活動に携わっている人が20代〜30代が多いこと。中には元ギャングのリーダーだった人もいること。暴力の中に居場所を見出せず、親友の死をきっかけに足を洗い、地域の将来を考えて支援する側に回るといったケースも紹介されていました。
日本人の視点を織り交ぜながら数年間に及ぶ取材活動が生々しく、でも、どんなに過酷な状況でも一つのコミュニティを作り、人脈を広げ、次世代を育てながら戦略的に非暴力のやり方で改善を試みていく人が何人もいるのだという事実。これはテレビニュースではあまり報道されない部分。
工藤さんはそういった人たちの取り組みを発信したく、本を出版されたと思うと命懸けの一冊でもあるように思います。
この国では、何もしなくても、連れ去られたり殺されたりするんです。だったらいっそ、意味のある殺され方をしたい。おかしな社会を変えるために声をあげ、闘って死にたいのです。(「マフィア国家」より引用)