うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

緊急災害支援に寄付

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9月8日土曜日。台風21号に続いて北海道の地震関西空港が閉鎖されただけでも衝撃的だったのに、広島・岡山での災害も含めて身の危険をリアルに感じる出来事が続いています。気をつけて、と思っても気をつけようがないですが「自助・共助・公助」が機能できる状態にしたいですね(ああ、備えあれば憂いなし)。

 

自助・共助・公助の三助の意味をひとことで言うと、「自助」は災害時に自分自身の命は自分で守るということ。「共助」は町内会や学校区くらいの顔の見える範囲内における地域コミュニティで災害発生時に力をあわせること。「公助」は公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決することを言います。

引用先:自助・共助・公助の三助とは?その意味と防災対策 | 災害に備えるための防災メディア | 防災テック

 

テレビや新聞だけでは知り得なかった災害ボランティア活動がSNSを通して紹介されている中、何かできることはないだろうかと思う方々は少なくないはず。実際に活動に参加されている方は本当にすごいと思うし、被災地の方々にとっても心強く感じていると思います。

 

それでも「私なんか行ってもいいのだろうか」「行きたいけど、家族の都合もあるからなかなか…」「仕事があるのに休みが取れるのだろうか」等、被災地のことが気掛かりでどうしようもできないという方もいらっしゃると思います。

私もその一人であり、事業を運営している立場で今すぐにアクションを起こすことは物理的に難しい(新潟に来て実感していることの一つが、アクセスの利便性。東京や名古屋から日帰りで対応できる地域にあっても、新潟からとなると移動だけで丸一日)。ということで、ほんの少ししかできないことだけれど支援基金に寄付しました。

 

 

今回はこちらです。

peak-aid.or.jp

 

熊本地震発生後、被災地テントの活動を行った野口健さん。

今回も岡山の総社市長と協働しながら取り組んで北海道で活動されているそうです。

 

クラウドファンディングでの寄付もできるようになっています。

熊本地震が発生した時は、ここから寄付させていただきました。

camp-fire.jp

 

支援の形はいろいろ。寄付すればいいってものではないのですが、事業を運営している立場で痛感することの一つに「どんなに熱い思いを持ったとしても、活動資金がなかったら難しい」。今の私にできることはこれくらいですが、何よりも被災地の方々が一刻も早く「ほっとできる空間に居られること」を願うばかりです。

 

 

 

 

過酷な状況でも果敢に挑む人たち

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9月4日火曜日。台風21号(チェービー)が上陸しています。韓国語で「燕」と呼ばれている21号、かなりの勢いなので、燕のように柔らかく最小限の被害で済むようにという願いが込められている名前だとか。

 

しかしながら、各地の被害状況を見ていると「台風って一時的だけれど威力がある」と感じます。今日の夕方、外に出てみたら風がいきなりヒューッッ!!という感じで強く吹いていました。この勢い、いつになったら治るのだろうと思うくらい、久しぶりに「台風」を感じた日。新潟はあまり台風が通過しないので、今回の規模の大きさに驚いています。

www.huffingtonpost.jp

皆さんは無事、帰宅できたでしょうか。足止め食らってしまった人も大勢いらっしゃるようなのでどうか無事でありますように。

 

 ところで最近、読み終えた本がこちら。

マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

 

友人たちから「何これ、ちょっと怖いじゃん」。メインタイトルを見れば確かに…。でも、サブタイトルが重要。「メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々」。

 

 

どんな本でも、その本を読むきっかけというのは、誰かの紹介だったり、本屋さんでたまたま見かけたりと色々あります。

今回は「BIG ISSUE」で知ったのがきっかけ。著者は工藤律子さん。「女性として足を踏み入れた渾身の取材ってどんなものだろう」と興味があって。

それに、工藤さんのルポ「雇用なしで生きる」を数年前に読んだことがあり、雇用関係での仕事が当たり前にある中、助け合いのコミュニティからお金を介在させない取引の仕方が書かれていて衝撃を受けました。

 

 

今回の本は、トランプ大統領の「壁を作る!」発言で話題を呼んだメキシコが舞台。

一般市民たちを巻き込む犯罪組織、地元警察、役人のリアルな現実が書かれています。

2016年の殺人発生件数が、シリアに次いで2位。

 

理不尽な要求を突きつけられ言いなりにならざるを得なかったり、幼い時に親を殺された子供たちの実態についても書かれていました。読むにつれて、国内ではあまり考えられない残酷さもあって終わりが見えない国の行方に、ため息が出そうに。


でも、どんなに過酷な環境でも果敢に「改善する」ことに取り組む人がいたのです。国の腐敗だけでなく、一般市民たちの活動もいくつか紹介されていました。その中の一つは、社会福祉士や医者、看護師たちが連携を図り、医療や心理ケアを行ったり、ワークショップを通して「暴力とは何か」「真の平和とは」と若者に議論する場を提供したり、被害者家族の支援に取り組んだり。

 

最も驚いたのは、その活動に携わっている人が20代〜30代が多いこと。中には元ギャングのリーダーだった人もいること。暴力の中に居場所を見出せず、親友の死をきっかけに足を洗い、地域の将来を考えて支援する側に回るといったケースも紹介されていました。

 

日本人の視点を織り交ぜながら数年間に及ぶ取材活動が生々しく、でも、どんなに過酷な状況でも一つのコミュニティを作り、人脈を広げ、次世代を育てながら戦略的に非暴力のやり方で改善を試みていく人が何人もいるのだという事実。これはテレビニュースではあまり報道されない部分。

工藤さんはそういった人たちの取り組みを発信したく、本を出版されたと思うと命懸けの一冊でもあるように思います。

 

この国では、何もしなくても、連れ去られたり殺されたりするんです。だったらいっそ、意味のある殺され方をしたい。おかしな社会を変えるために声をあげ、闘って死にたいのです。(「マフィア国家」より引用) 

 

天気予報に出てくる地図は今ここにいる地域

f:id:syuwakoushi:20180831224711j:plain8月31日金曜日。何気に長いタイトル、しかも何を当たり前な?的なタイトル。

出張や旅先で、テレビの天気予報を見ると「ああ、今ここにいるのね」と小さく感動します。全国の天気予報ではなく、地方の天気予報で。

仙台なら東北エリアの地図が出てきて、青森県岩手県秋田県…と。

鹿児島なら九州エリアの地図が出てきて、福岡県、長崎県大分県…と。

 

 

普段、何気なく見る天気予報は、自分がいる地域がテレビの真ん中に出ています。違う地域が出てくると、もう新鮮な感じがします。特に海外での天気予報を見ると「日本は?」とつい探してしまいそうな。

真ん中にあるってことは、無意識にそれが当たり前と思っているから。

 

良い例が、世界地図の中の日本。子どもの頃、イギリスが中心になった世界地図を見て「どうして日本が真ん中じゃないの?」と衝撃を受けてました。

無意識に当たり前と思っていることは、誰にでもあります。

 

今日も、初めてお会いした方から「全く聞こえないの?ど、どういうこと?」と聞かれました。なんとなく私にとって当たり前に思っていることを聞かれる度に「ああ、当たり前ではないんだなぁ」と。県外で天気予報を見たときと似たような感覚になります。これにも小さく感動しつつ、では、どうしたら分かってもらえるのか。

 

聞こえる世界について私が質問する度に相手(聴者)は「え?何を当たり前な?」と戸惑いの色が。セミの声ってうるさいんですか?とか。

 

それでも、常に真ん中にあることを、夕焼けを眺めるように見ながら教えてくれるのでありがたいです。

そんなわけで、ぜひ旅先とか出張先で天気予報を見てみてください〜

 

止められるものなら UNSTOPPABLE MY LIFE SO FAR

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8月26日日曜日。怒涛の8月がまもなく終わろうとする中、一冊の本をようやく読み終えました。

今まで読んだ中で一番、時間がかかったけれど夢中になった一冊。

マリア・シャラポワ自伝」、英語では「UNSTOPPABLE MY LIFE SO FAR」。 

マリア・シャラポワ自伝

マリア・シャラポワ自伝

 

テニスといえば、不思議なことに周りのスタッフの半分はテニス上手。今もオフに試合をやっているとか。前に一度練習に交じってもらったけど、その日からジムに通うことを決意したのはいうまでもなく。

 

シャラポワといえば、美人で強い選手というイメージしかなく、あまりよく知らなくて。むしろ、2016年、ドーピング疑惑で記者会見を行ったときの表情がとても印象的でした。一種の過ちはあったものの意図的ではなかったこと、テニスができるチャンスをもう一度いただけることを願っていることを話された時、とてもまっすぐ見つめる強い意志を持っている素敵な人だなと。

 

 

でも、その裏にある壮絶な過去や故障した時のメンタル面、試合に臨むための過酷な生活など、私たちはどのくらい知っているのでしょう。よほどのファンでない限り、私たちが知りうるのはテニスコート上の活動のみ。そういうこともあって、シャラポワってどんな人なんだろう、とますます引き込まれました。

すごいのは、試合の流れだけでなく、対戦相手の表情、仕草までの記憶(あくまでもシャラポワの目線)が細かったこと。ボールを追うだけでなく、本当に勝ちたい!という気持ちからくる相手への観察がよくできています。また、テニスコートだけでは分からない小さな楽しみも書かれていました。

 

テニスには興味がなくても、マリア・シャラポワという人間がどんな人生を歩み、どんなことを感じていたのか。同じ30代として、とても良い本に出会えた感じです。

 

「声めぐり」から見た皮膚の記憶

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8月15日水曜日。写真にある建物は、バスの中から撮った沖縄市那覇市ではない)。

沖縄市アイデンティティと米軍との歴史を残すために作られた「コザ十字路歴史絵巻」。何の予備知識もなく偶然、通りかかった時に撮ったもの。マッカーサーの絵もありました。

 

次はここに降りて歩き回ってみたい(数年前に沖縄市で子ども達に芸術活動を教えていた友人を訪ねたことがあったけれど、この歴史絵巻はそのあとに完成したもの)。

 

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/userfiles/oki036/files/kozajyuujiroemakikaitaisinnsyo.pdf

外に出かける時は下調べをほとんどしない(不器用ですなぁ)ので、コザ十字路歴史絵巻のように「あ!これは何だろう」と偶然出会うことが幾多ある。これが、本を読むときにもあります。

 

 

今回は、「声めぐり」。写真家の齋藤陽道さん。

声めぐり

声めぐり

 

 20歳の頃、「あなたと同じ年で、写真やっている人いるよ」と友人に言われて、書店の写真集コーナーで名前を見たことが。齋藤さんもろう者で、耳が聞こえない。そして、偶然にもSNSだったか、この度出版したというお知らせがあり、「あ!あの齋藤さん」ということで早速購入。

 

この本に書いたことは、自伝でもなく、エッセイでも、写真論でもない。声めぐりの旅へ踏み出す一歩を支えてくれた現象についてである。(本の帯より引用)

 

当然、齋藤さんご自身が書いた内容なので言葉一つ一つにすっかり魅入られてしまった。もっとも驚いたことは、経験したことを自分自身がどのように捉えて、どのように感じたかを精密に言語化できていたこと。

 

ろう者、難聴者、聴者、手話、口話聾学校、難聴学級、といった見慣れた言葉が羅列されている中、内面にあるものを一つ一つ取り出して、時には比較し、時には戸惑いを覚えながらも、当時をあたかも目の前の出来事のように振り返っている。

 

ろう者が書いた本はほとんど読んだけれど、齋藤さんのような書き方は珍しく、写真を撮るという行為と似たような部分がありました。

 

そして、「ああ!分かる!」と思わず膝を打った文章も。学生時代のアルバイト先でリーダーの言っていることが分からず、しまいには怒られて差別されたという内容。

 

ぶつけられた悪意に怒ったり、悲しくなるよりも、何を言っているのかわからずにいたリーダーのことばが初めてわかったことに「喜び」を感じてしまっていた。その「喜び」は、悔しいことに暖かくさえあった。

(悪意のことば、から引用)

 

すごい剣幕で怒られた時に限って口の形が読み取れてしまう経験があるけれど、齋藤さんはそれを見事に言葉に置き換えて表現ができている。さすが!と驚くのと同時に、この書き方はとてもいいなぁ、とまるで写真を眺めているような気持ちに。

 

そして、生まれてきた新しい命との出会いを通して「声」とは何かを綴っていた文章もまた、「ああ、この感覚はとても分かる」と共感を覚えました。

 

鼓動、体温、重み、匂い…視覚や聴覚に限らず、触覚や嗅覚で伝わってくるものも、やはり「声」として聴くべきものなのだという思いを新たにする。

(皮膚の記憶、から引用)

 

好きな人と抱擁し触れ合う時に感じる鼓動、体温、重み、匂いも同じであって、その人が持っているものに触れて初めて、言語を通した言葉によるコミュニケーションだけでは気付けなかった新しい発見がある。触れ合ったときの皮膚がそれを記憶し、それを「声」として、見えなかったものを、言葉として紡ぐ。

 

あまりにも素晴らしくて、時には共感し、時には嫉妬?し、一晩で読み終えてしまいました。とても良い本です。

手話が分からない人にも読みやすい内容なので、おすすめです(うぐぐ、私の言葉が拙くて申し訳ないです)。

 

 同時刊行された本があるということで、お知らせです。

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 

 

一歩踏み外したら誰でも同じ

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8月14日火曜日。最近ちょっと涼しくなってきたと思ったらまた暑くなってきました。

旅先で、「そういえば、猫さん見かけないですね」と聞いたら「昼間は本当に暑いから夕方まで待ちな」。どうりで夕方に出てきたわけだ。猫さん、こんばんは!

 

この日に撮った時間は、確か午後6時頃。でも、猫さんぐったり(撮る前、一瞬生きてるか?心配になって近づいたら、ちゃんと動いてました)。

 

今年の夏は本当に暑くて、冬が待ち遠しくなっています。冬になったら、雪積もるのを見て嫌だ!とわめきそう。でも、でも!本当に早く冬になってほしい気分(なんとわがままな!)。

 

雪国の冬といえば、県外生まれ育ちの身にとってはさすがに堪えます。もう何百回も吐いたこのセリフ、新潟の皆さん、ごめんなさい。

私が住んでいる街は山間部と比べたら全然大したことないって分かっているけれど、毎年「ああ〜雪のない地域に逃げたい」と思いますもん。で、太陽が出ているピカーンな日が少なくて、どんよりした曇りが続きます。

 

一方、冬は空気が冷たく澄んでいて、海の表情が夏と全然違って「沖縄の海とはえらい違うなぁ!」と写真におさめたくなります。雪と海。いいじゃないですか、この構図。

ちなみに新潟市からだと佐渡が見えます(夜、島の灯りが見える時も!)。佐渡からも見えるとか。

 

景色が同じ場所だとは思えないくらいガラッと変わるのが、雪国の魅力。

 

と、ここまで書いてて思ったことは「今年の冬は雪国の魅力を感じる余裕が無かったな」です。

 

実は6月あたりに体調に異変を感じていました。いや、正確には4月〜5月のあたりでおかしいなと感じていました。あんなに好きだった仕事が、嫌になったのです。もう仕事したくない!人に会いたくない!という気持ちが起きていました。

 

一方、この気持ちは単なるモチベーションの低下であって時間が解決してくれるから大丈夫、と軽く見ていました。当然のことながらスタッフの中には「大丈夫?休んだほうがいいのでは」と気づいた人もいましたが、それでも仕事をこなし、常に時間に追われる日々。

 

今年のお正月には「6月末まで予定が入ってるから7月以降に休もう」と思っていたので時間に追われる覚悟で乗り切るつもりでした。それもあってか、6月に入った頃には「ああ、もうダメかも」と弱気モードに。急に気分が沈んだり、小さなミスが立て続けに起きてしまったり、ぐっすり寝れなかったり。

 

このまま異変のサインを見逃すと本気で倒れるかも、ということでカウンセラーに連絡しました。かつて多忙を極めていた方から「僕は結果的に倒れてしまった。今は仕事のペースを落としている。君もそうならないように気をつけなさい」という助言が頭の片隅にあったので、カウンセリングを受けることに躊躇いはありませんでした。もともと、日頃から身近にカウンセラーがいる環境下にあったことが大きかったです。友人や知人の中に燃え尽き症候群になってしまった人がいることで、まさかとは思いつつ、話をしてみました。

 

 

結果的にしばらく休養を取ることになり、6月末の仕事が終わった時はホッとし、7月に入ってから休みました。最初はかなり戸惑いを覚えました。まず、自分の中にある「音」が急にピタッと無くなったのです。もともと、「音」は聞こえないけれど、感覚的に静寂の空間が。あんなに毎日、人に会っていたのに、急に一人になった静けさ。あんなに忙しく動いていたスマホが、急におとなしくなった静けさ。

 

 

組織を運営する立場としての孤独は感じていたけれど、物理的に独りになる状況は初めてだったので焦りの気持ちもありました。まだ数日しか経っていないのに、休んでいいのかって。予定のない休みの日の過ごし方がうまくできなくて、自分を休ませる方法を学んでこなかったなと反省。

 

そこからは、掃除したり、昼寝したり、映画を見たり、散歩したり。日常生活の何でもないような行動が、とても貴重な時間に思えて徐々に休養を受け入れられるようになりました。限られた時間の中で会ってくれる友人たちの存在も心の支えになり、今後の生き方を考える良い機会に。

 

予定のない休みの日があってもいいじゃない。適宜休みつつ、バリバリ動きながら人生を生きようって。仕事をしたくてうずうずしている、人に会いたくなっている。これが本来の健全な状態。この状態をキープできることが、今の自分の目標に。

 

幸い、理解のある職場と経済的な余裕があったことで休めました。働きやすさを追求する上で、組織を運営する立場としてこの経験は、必要な経験だったかもしれません。

 

数年前に働きやすい環境を整えることまで頭が回らなかった私を見切って去っていったスタッフの気持ちが痛いほど分かる今、自分にしかできないこと、周りができることをトータルで考え、スタッフたちが「一緒に働けて良かった!」と少しでも思えるように環境を作っていこうって。きっちり休めたかなんて分からないけれど、少しでもいつもと違った環境に身を置いたことは正解だったと思います。

 

今、苦しいなぁ。今、しんどい。

という思いは、ふた通り。

 

一つは、あくまでも目の前にあるものに対する思い。

もう一つは、自分の体に対する思い。

 

前者なら、もう少し本気になれば乗り切れるかもしれない。

でも後者なら、身体を蝕んでいる。休みを必要としている証。

 

カウンセラーに言われた言葉で「自分で気づけた人は少ない。自分の状態を無視し続けた結果、手遅れになった人の方が多いから」。少しでもおかしいな、と感じるこの直感を大事に。

 

一度きりの人生。楽しく人生を生きていきましょう。説得力はありませんが。

ろう者のコンプレックス

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8月13日月曜日。お盆休みに入った友人から「ねぇ、難聴者とろう者って何で壁作ってんの?」と質問が。思わず、「え?どういうこと?」と聞き返してみると、どうやら「難聴者とろう者ってお互いに関わりたがらない雰囲気がある」と見えたそう。今時、まだそういう話あるの?と思った私。

 

ちなみに友人は、耳が聞こえる人。「同じ聞こえない者同士なのに、見えない壁というか、何でだろ?」と前から不思議に思っていたとのこと。

 

誤解のないように書きますが、難聴者とろう者の区別は医学的、文化的、社会的な背景が絡んでいるので「Aは難聴者である」「Bはろう者である」と一概には決められません(聴力だけでは決められない)。あくまでも、事実を伝えたり、状況を分析する上での区別はありますが、もちろん個々の違いはあります。日本人という一括りをしても、背が高い人だったり、人とは違った趣味を持つ変わり者がいたりと個々の違いがあるのと同じで。

 

聴覚障害者の中には、難聴者、中途失聴者、ろう者という呼称があります。

友人が話していた難聴者というのは、中途失聴者も含めて音声言語(日本語)を話す聞こえない人であり、ろう者というのは、ほとんど耳が聞こえず手話を使う人、のことを指していました。

 

手話の世界にいると、しばしば難聴者とろう者の対立の話を耳にします。対立とはいっても、全てが敵対関係にあるわけではなく、あくまでも二つの立場があって双方の意見が出てくるのですが、残念なことに敵対意識を持つ人もいないわけではありません。

 

「難聴者は、ろう者の気持ちが分かっていない」

「ろう者は、難聴者の気持ちが分からない」

 

聞こえる立場から見れば、なぜ聞こえない者同士なのに対立するの?と思っても不思議ではありません。かといって、日本人全員が仲良しかといったらそうでもない。そういう話をすると「それは分かるけれどね、でもなぜ助け合わないの」と思うそうです。

 

私が勤めている施設には、聴覚障害者の利用者さんが通っています。ろう者が大半を占めますが、中途失聴者、難聴者の方もいます。

ここでいう、ろう者というのは、手話を中心にしたコミュニケーション方法を持つ人。

難聴者と中途失聴者は、手話が分からず、日頃の会話方法が音声言語ベースである人。

 

双方のコミュニケーション方法は、現在は手話、筆談、口話など様々です。スマホにある音声認識のアプリを活用している時もあります(UDトーク)。

 

当初、「難聴者とは関わりたくない」と話すろう者もいました。理由の一つが、ろう者が抱いている劣等感の大きさ(深さ)。

  • 自分よりも、聞こえている。
  • 自分よりも、綺麗な発声ができている(発音が分かりやすい)。
  • 自分よりも、聞こえる人との関わり方が上手。
  • 自分よりも、いろいろなことを知っている。
  • 自分よりも、文章(日本語)を上手に書けている。

 

 

まぁ、こんなにあったの?

と思うけれど、ろう者の中には「劣等感」という日本語を知らない人もいます。でも本人が話されている内容や難聴者に対する接し方を見ると、上記の言動が出てきています。無意識に「あなたは、私よりも頭がいいのね。だったら喋れるんでしょう」と話しているろう者もいます。

 

喋れる、ということについては、手話を使っているあなたも喋っているから同じことですよ、と私はいつも言い返していますが、ろう者にとって「喋る」は「日本語を声に出して話す」ということなんですね。

 

この劣等感は、あくまでもろう者自身が抱いているものであり、全員が必ずしもそうだとは限らないです。

 

反対に難聴者にとって、ろう者に対する劣等感はあるのか。劣等感という言葉にフィットするか分かりませんが、手話ができることに対する羨ましさ、というのを抱えている人もいます。

実際に本人から「あなた、手話できて良いわね」と言われた時は驚きました。

 

先述した、難聴者と関わりたくないと話していたろう者は、今はどうなったかというと、「話したいと思ったら話しているし、関われてよかった」とのこと。

劣等感はどこへいったのでしょうか。

 

関われてよかった、と思うまでの過程を振り返ってみると、第三者であるスタッフがろう者と難聴者の間に立ってコミュニケーション支援をするだけにとどまらず、ろう者に対して「難聴者というのは、完全に聞こえるわけではない」という基本的なことを説明したり、難聴者の置かれた環境に関する情報を提供したり。

 

また、難聴者からは手話を覚えたいということで、ろう者から教えてもらう関係性を構築できるように働きかけていました。ただ、今回は第三者が介入したことで、お互いが直接コミュニケーションを取れるところまで持っていけたので良かったけれど、どうしても本人の価値観に左右されるあたりは難しいところです。

昔いじめられたとか、そういう部分はどうしようもないです。

 

程度こその差はあれど、関わりを持つことはできるので、双方が必要としている限り関係性を構築できるための環境作りは大事なこと。それがどのくらい、関係者の間で理解されているかは未知数。残念なことに、手話通訳者の中には「難聴者は手話を覚えようとしていないから困る」と平気で話す人もいます。

 

手話は、本人が必要と思って初めて身につけられるもの。

ろう者は「耳が聞こえない」という生死に関わるものがあるから手話を使う。日本語も。

 

 

手話ができない難聴者はたまたま手話を必要としていない環境にいた、残存聴力があった、など様々な背景があります。その上で、本人が手話を覚えよう!と思ったら、もうあっという間に身についちゃいます(日本語対応手話と日本手話の違いはありますが、今回は割愛)。

 

ということで、要は関わりたいと思った時に関係性を構築できれば、ろう者でも難聴者でも助け合うことはできる、という結論を友人に伝えました。

 

「誰が聞こえないとか、誰が聞こえにくいとか意識しなくても、その場にいる全員が心地よく過ごせたら良いよね」という友人の一言。シンプルだけれど、私が仕事を通して目指しているコミュニティ作りはまさにそれなんだよなぁ。

 

ということで、私たちのティータイムはあっという間に夜を迎えました。

誰かと共有することの素晴らしさ

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8月11日土曜日。しばらく新潟を出ていました。観光地には行かず、カフェや食堂へ行ったり、美術館でゆっくり鑑賞したり、海で遊んだり。

 

日常生活で「ご飯を食べる」「買い物に出かける」が当たり前に行われている中、誰かと一緒にご飯を食べる、誰かと一緒に買い物に行くってことは、愛おしい時間。もちろん、気の合う人や気の置けない人であることが条件だけれど。

  

たしかに一人でいることは気楽だし、自由で楽しい。部屋が多少散らかっても文句を言われない(いや、お掃除しましょう)。気を使わなくてもいい、誰かにうるさく言われることもありません。 

その反面、目の前にあることを共有したい時に一人でいることが、一瞬寂しくなるもの。「こんなおいしいもの食べているのに」とか。SNSはそれを満たしてくれるツールなのですが、やはり生身の人間と共有することの楽しさにはかないません。

 

かといって毎日顔を合わせていたら自由さがなくなって、次第に窮屈…なんてこともあるので、要はバランスなのでしょう。既婚者の友人から「いいわね、独身で」と言われることもあれば、「結婚も悪くないわよ」とも。

結局どっちやねん、と思うけれど、結婚してもしなくても、一緒に同じ時を過ごすこと自体を幸せに感じられたらきっと、争い事も少なくなるし、ポジティブな雰囲気が増えるかも。

一朝一夕では身につかない質問力

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8月10日金曜日。やや否定的なタイトルに合わせて、暗めの写真を、というのは冗談。

なかなか会えない友人と日本酒を飲みながら語らいを終え、「じゃあまたね」と別れた後に撮った一枚。海の上にお月様が光っていました。

 

先日、同じ聴覚障害の20代の若者たちとご飯を食べに出かけました。

初対面の方から「聴覚障害者はコミュニケーション障害と言われているんですけど、どう思いますか」と質問されました。最近、仕事関係も含めて、聴者との付き合いが多かったので「自分はこう考えているんですけど、どう思いますか」という、当事者の質問は久しぶりでした。

 

20代の頃を思い出してみると、「私はこう考えているんですけど、どう思いますか」と教授や先輩たちに聞いていました。「自分の意見がないなら最初から質問するな、自分で考えてから聞いてこい」と投げ返されることもありました。でも、きちんと向き合って話してくれる人たちだったので疑問に思ったことは自分で調べて、考えてみるけれど、それでも聞いてみよう!ということで、数時間話し込んだり、朝から夜まで、同じ場所でずっと話して帰ったこともありました。

 

当時は、本当に怖いもの知らずでした。厚かましくも(?)質問しながら、話をしながら適切な言葉の選び方、物事の見方、判断をするための情報の集め方などを学んだように思います。そもそも、質問という言葉の対照に「答え」があるけれど、答えは一つではなかったし、逆に「私はそう考える。君はどうなの?」と聞かれて、うーんと考え込んだこともありました。

 

質問したい要点はまとまっていたけれど、でも適切な置き換えられなかったことが多かったように思います。 その度に、先輩たちからは「つまり、こういうことなのではないか」と話を整理し、論点を明確にした上で、話をしてくれました。この作業が、鬱陶しい、面倒臭いと思うことはあっても、結果的には自分のモヤモヤしたことが少しでもすっきりできたことに快感を覚えました。なんでいつまでも、そういうことについて話し込んでるの?と友人に呆れられたけど、この対話の積み重ねがあってこそ、言葉に対する感受性が育ったのかも。

 

先輩たちに質問しながら学びを深めたのは大学時代。当時は、聴覚障害を持つ学生が多く入学していた大学だったこともあり、手話を使って情報交換したり議論する一つのコミュニティが出来上がっていました。ほとんどの学生が入学後に手話を身につけていたにもかかわらず、建設的な話し合いができたのはもともと備わっている言語力(日本語力)が特段と高かったからかもしれません。当時は、私を除いてほとんどの学生がインテグレーション育ちだったので、自分の生き方にシビアな人ばかりでした。一生懸命付いていかないと置いていかれちゃうとプレッシャーを感じたほど。

 

先ほどの若者に「なぜ、そういう質問をしようと思ったの」と聞き返し、そこから私なりの解釈も含めて説明してみました。私の話を聞いて「いや、やっぱり違う」とあらためて本人なりに考えを深めることができたとしたら、嬉しいし、疑問に思って他者に聞くという行為は尊いこと。大学生からの質問はよく受けていたものの、同じ障害を持つ当事者からの質問があったことは、とても良い刺激に。

 

考えて、聞くことは対話の積み重ねがあってこそ、初めてできる。対話を楽しんでいきたいです。

 

日本三大花火を観に行かないなんて

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8月2日木曜日。新潟県では長岡花火が有名で、東京から日帰り見物客がいるほど賑やかだそうです。

 

だそうです。

今年も結局行けませんでした。

長岡花火の日にちは決まっているのに毎年、他の予定を入れてしまうからです、あとになって「あ!長岡花火あるんだった!」。

 

これを防ぐために来年の手帳に書けば良いのだけれど、一緒に行く人を先に決めた方が忘れなくて済むかもしれません。

 

自分だけの予定ならいつでも調整できるから、つい疎かになってしまうかも。でも一緒に行く人を決めたら調整するのは大変、ということで実行の可能性がより高くなる!

 

と都合のいいやり方かもしれませんが、そうしないとまた来年も他の予定を入れそうです。

 

今回は前々から訪れてみたかった八重山の離島へ。また後日。