うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

ろう者のコンプレックス

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8月13日月曜日。お盆休みに入った友人から「ねぇ、難聴者とろう者って何で壁作ってんの?」と質問が。思わず、「え?どういうこと?」と聞き返してみると、どうやら「難聴者とろう者ってお互いに関わりたがらない雰囲気がある」と見えたそう。今時、まだそういう話あるの?と思った私。

 

ちなみに友人は、耳が聞こえる人。「同じ聞こえない者同士なのに、見えない壁というか、何でだろ?」と前から不思議に思っていたとのこと。

 

誤解のないように書きますが、難聴者とろう者の区別は医学的、文化的、社会的な背景が絡んでいるので「Aは難聴者である」「Bはろう者である」と一概には決められません(聴力だけでは決められない)。あくまでも、事実を伝えたり、状況を分析する上での区別はありますが、もちろん個々の違いはあります。日本人という一括りをしても、背が高い人だったり、人とは違った趣味を持つ変わり者がいたりと個々の違いがあるのと同じで。

 

聴覚障害者の中には、難聴者、中途失聴者、ろう者という呼称があります。

友人が話していた難聴者というのは、中途失聴者も含めて音声言語(日本語)を話す聞こえない人であり、ろう者というのは、ほとんど耳が聞こえず手話を使う人、のことを指していました。

 

手話の世界にいると、しばしば難聴者とろう者の対立の話を耳にします。対立とはいっても、全てが敵対関係にあるわけではなく、あくまでも二つの立場があって双方の意見が出てくるのですが、残念なことに敵対意識を持つ人もいないわけではありません。

 

「難聴者は、ろう者の気持ちが分かっていない」

「ろう者は、難聴者の気持ちが分からない」

 

聞こえる立場から見れば、なぜ聞こえない者同士なのに対立するの?と思っても不思議ではありません。かといって、日本人全員が仲良しかといったらそうでもない。そういう話をすると「それは分かるけれどね、でもなぜ助け合わないの」と思うそうです。

 

私が勤めている施設には、聴覚障害者の利用者さんが通っています。ろう者が大半を占めますが、中途失聴者、難聴者の方もいます。

ここでいう、ろう者というのは、手話を中心にしたコミュニケーション方法を持つ人。

難聴者と中途失聴者は、手話が分からず、日頃の会話方法が音声言語ベースである人。

 

双方のコミュニケーション方法は、現在は手話、筆談、口話など様々です。スマホにある音声認識のアプリを活用している時もあります(UDトーク)。

 

当初、「難聴者とは関わりたくない」と話すろう者もいました。理由の一つが、ろう者が抱いている劣等感の大きさ(深さ)。

  • 自分よりも、聞こえている。
  • 自分よりも、綺麗な発声ができている(発音が分かりやすい)。
  • 自分よりも、聞こえる人との関わり方が上手。
  • 自分よりも、いろいろなことを知っている。
  • 自分よりも、文章(日本語)を上手に書けている。

 

 

まぁ、こんなにあったの?

と思うけれど、ろう者の中には「劣等感」という日本語を知らない人もいます。でも本人が話されている内容や難聴者に対する接し方を見ると、上記の言動が出てきています。無意識に「あなたは、私よりも頭がいいのね。だったら喋れるんでしょう」と話しているろう者もいます。

 

喋れる、ということについては、手話を使っているあなたも喋っているから同じことですよ、と私はいつも言い返していますが、ろう者にとって「喋る」は「日本語を声に出して話す」ということなんですね。

 

この劣等感は、あくまでもろう者自身が抱いているものであり、全員が必ずしもそうだとは限らないです。

 

反対に難聴者にとって、ろう者に対する劣等感はあるのか。劣等感という言葉にフィットするか分かりませんが、手話ができることに対する羨ましさ、というのを抱えている人もいます。

実際に本人から「あなた、手話できて良いわね」と言われた時は驚きました。

 

先述した、難聴者と関わりたくないと話していたろう者は、今はどうなったかというと、「話したいと思ったら話しているし、関われてよかった」とのこと。

劣等感はどこへいったのでしょうか。

 

関われてよかった、と思うまでの過程を振り返ってみると、第三者であるスタッフがろう者と難聴者の間に立ってコミュニケーション支援をするだけにとどまらず、ろう者に対して「難聴者というのは、完全に聞こえるわけではない」という基本的なことを説明したり、難聴者の置かれた環境に関する情報を提供したり。

 

また、難聴者からは手話を覚えたいということで、ろう者から教えてもらう関係性を構築できるように働きかけていました。ただ、今回は第三者が介入したことで、お互いが直接コミュニケーションを取れるところまで持っていけたので良かったけれど、どうしても本人の価値観に左右されるあたりは難しいところです。

昔いじめられたとか、そういう部分はどうしようもないです。

 

程度こその差はあれど、関わりを持つことはできるので、双方が必要としている限り関係性を構築できるための環境作りは大事なこと。それがどのくらい、関係者の間で理解されているかは未知数。残念なことに、手話通訳者の中には「難聴者は手話を覚えようとしていないから困る」と平気で話す人もいます。

 

手話は、本人が必要と思って初めて身につけられるもの。

ろう者は「耳が聞こえない」という生死に関わるものがあるから手話を使う。日本語も。

 

 

手話ができない難聴者はたまたま手話を必要としていない環境にいた、残存聴力があった、など様々な背景があります。その上で、本人が手話を覚えよう!と思ったら、もうあっという間に身についちゃいます(日本語対応手話と日本手話の違いはありますが、今回は割愛)。

 

ということで、要は関わりたいと思った時に関係性を構築できれば、ろう者でも難聴者でも助け合うことはできる、という結論を友人に伝えました。

 

「誰が聞こえないとか、誰が聞こえにくいとか意識しなくても、その場にいる全員が心地よく過ごせたら良いよね」という友人の一言。シンプルだけれど、私が仕事を通して目指しているコミュニティ作りはまさにそれなんだよなぁ。

 

ということで、私たちのティータイムはあっという間に夜を迎えました。

誰かと共有することの素晴らしさ

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8月11日土曜日。しばらく新潟を出ていました。観光地には行かず、カフェや食堂へ行ったり、美術館でゆっくり鑑賞したり、海で遊んだり。

 

日常生活で「ご飯を食べる」「買い物に出かける」が当たり前に行われている中、誰かと一緒にご飯を食べる、誰かと一緒に買い物に行くってことは、愛おしい時間。もちろん、気の合う人や気の置けない人であることが条件だけれど。

  

たしかに一人でいることは気楽だし、自由で楽しい。部屋が多少散らかっても文句を言われない(いや、お掃除しましょう)。気を使わなくてもいい、誰かにうるさく言われることもありません。 

その反面、目の前にあることを共有したい時に一人でいることが、一瞬寂しくなるもの。「こんなおいしいもの食べているのに」とか。SNSはそれを満たしてくれるツールなのですが、やはり生身の人間と共有することの楽しさにはかないません。

 

かといって毎日顔を合わせていたら自由さがなくなって、次第に窮屈…なんてこともあるので、要はバランスなのでしょう。既婚者の友人から「いいわね、独身で」と言われることもあれば、「結婚も悪くないわよ」とも。

結局どっちやねん、と思うけれど、結婚してもしなくても、一緒に同じ時を過ごすこと自体を幸せに感じられたらきっと、争い事も少なくなるし、ポジティブな雰囲気が増えるかも。

一朝一夕では身につかない質問力

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8月10日金曜日。やや否定的なタイトルに合わせて、暗めの写真を、というのは冗談。

なかなか会えない友人と日本酒を飲みながら語らいを終え、「じゃあまたね」と別れた後に撮った一枚。海の上にお月様が光っていました。

 

先日、同じ聴覚障害の20代の若者たちとご飯を食べに出かけました。

初対面の方から「聴覚障害者はコミュニケーション障害と言われているんですけど、どう思いますか」と質問されました。最近、仕事関係も含めて、聴者との付き合いが多かったので「自分はこう考えているんですけど、どう思いますか」という、当事者の質問は久しぶりでした。

 

20代の頃を思い出してみると、「私はこう考えているんですけど、どう思いますか」と教授や先輩たちに聞いていました。「自分の意見がないなら最初から質問するな、自分で考えてから聞いてこい」と投げ返されることもありました。でも、きちんと向き合って話してくれる人たちだったので疑問に思ったことは自分で調べて、考えてみるけれど、それでも聞いてみよう!ということで、数時間話し込んだり、朝から夜まで、同じ場所でずっと話して帰ったこともありました。

 

当時は、本当に怖いもの知らずでした。厚かましくも(?)質問しながら、話をしながら適切な言葉の選び方、物事の見方、判断をするための情報の集め方などを学んだように思います。そもそも、質問という言葉の対照に「答え」があるけれど、答えは一つではなかったし、逆に「私はそう考える。君はどうなの?」と聞かれて、うーんと考え込んだこともありました。

 

質問したい要点はまとまっていたけれど、でも適切な置き換えられなかったことが多かったように思います。 その度に、先輩たちからは「つまり、こういうことなのではないか」と話を整理し、論点を明確にした上で、話をしてくれました。この作業が、鬱陶しい、面倒臭いと思うことはあっても、結果的には自分のモヤモヤしたことが少しでもすっきりできたことに快感を覚えました。なんでいつまでも、そういうことについて話し込んでるの?と友人に呆れられたけど、この対話の積み重ねがあってこそ、言葉に対する感受性が育ったのかも。

 

先輩たちに質問しながら学びを深めたのは大学時代。当時は、聴覚障害を持つ学生が多く入学していた大学だったこともあり、手話を使って情報交換したり議論する一つのコミュニティが出来上がっていました。ほとんどの学生が入学後に手話を身につけていたにもかかわらず、建設的な話し合いができたのはもともと備わっている言語力(日本語力)が特段と高かったからかもしれません。当時は、私を除いてほとんどの学生がインテグレーション育ちだったので、自分の生き方にシビアな人ばかりでした。一生懸命付いていかないと置いていかれちゃうとプレッシャーを感じたほど。

 

先ほどの若者に「なぜ、そういう質問をしようと思ったの」と聞き返し、そこから私なりの解釈も含めて説明してみました。私の話を聞いて「いや、やっぱり違う」とあらためて本人なりに考えを深めることができたとしたら、嬉しいし、疑問に思って他者に聞くという行為は尊いこと。大学生からの質問はよく受けていたものの、同じ障害を持つ当事者からの質問があったことは、とても良い刺激に。

 

考えて、聞くことは対話の積み重ねがあってこそ、初めてできる。対話を楽しんでいきたいです。

 

日本三大花火を観に行かないなんて

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8月2日木曜日。新潟県では長岡花火が有名で、東京から日帰り見物客がいるほど賑やかだそうです。

 

だそうです。

今年も結局行けませんでした。

長岡花火の日にちは決まっているのに毎年、他の予定を入れてしまうからです、あとになって「あ!長岡花火あるんだった!」。

 

これを防ぐために来年の手帳に書けば良いのだけれど、一緒に行く人を先に決めた方が忘れなくて済むかもしれません。

 

自分だけの予定ならいつでも調整できるから、つい疎かになってしまうかも。でも一緒に行く人を決めたら調整するのは大変、ということで実行の可能性がより高くなる!

 

と都合のいいやり方かもしれませんが、そうしないとまた来年も他の予定を入れそうです。

 

今回は前々から訪れてみたかった八重山の離島へ。また後日。

夏の甲子園の思い出

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7月30日月曜日。台風で予定がキャンセルになり、時間ができたので地元の本屋さんへ。

いつもなら帰省しても仕事の対応をしていたけれど、今回は一休みということで久しぶりに甲子園関連の雑誌をチェック。

 

今年は第100回の記念大会。甲子園を目指して日々の練習を頑張っている球児たちの話を聞くだけでも「ひたむきになれるって、すごい!」と感じます。今回は、スタッフの息子さんが甲子園を目指していたのでドキドキしていました(残念ながら負けてしまいましたが、練習の様子を聞くだけでもう頭が下がります)。

 

20年前の第80回記念大会といえば、横浜高校の松坂選手が大活躍した年。そして、私が高校野球に釘付けになった年でもあります。

 

本屋さんでたまたま手に取った『熱闘甲子園』。このタイトルの番組は、甲子園で高校野球が開催されている期間内に毎晩放送されていたもので、生中継だけでは知り得なかった球児たちの想いに密着した内容になってて、毎晩欠かさずに見ていました。

 

20年前の当時は字幕がなくてテロップもそんなに多くなかったけれど長島三奈さんのチャーミングな笑顔、寄り添う姿に共感していました。

 

その翌年。

甲子園に行ってみたい!という思いで家族と出かけてみました。当時、高校一年生。まさに球児たちと同い年ということで勝手に親近感持って応援。冒頭に写ってる雑誌の上にある写真は第4試合が終了した後のもの。エース・香月選手の柳川が、初戦を制し、突然の雨の中で校歌を歌っている場面。

 

その写真が今回の帰省でたまたま出てきたので、一気に懐かしくなりました。

その次の年は友人と出かけて再び甲子園へ。結局3年間、毎年出かけていました(ダルビッシュ選手も見ました!)。

 

そして、毎年球児たちに応援の想いを届けたくてファンレターを書いて送っていました。今時SNSがあるのでそんなことをしなくてもいいけれど、同い年だったからこそ伝えたかった想いがあふれていて。

返事は全然期待していなかったけど、なんと!一人だけエースからお礼の一言が届いたのです。この時はあまりにも嬉しくて、舞い上がって。今までの人生でこんなに嬉しいことあったか?と思うくらい。

 

今思うと、マスコミにも取り上げられていたエースなのでファンレターもかなりの数だったはず。丁寧にお礼の返事を送る、という行為ができるってなかなかできないはず。

 

そんな思い出の、私にとっての甲子園。

炎天下の中で頑張るのは、本当に見ていて心配になります。でも、できる範囲で無理のないように頑張って楽しく野球ができるよう見守っていきたい。

 

今年はどれくらい試合を観れるか分かりませんが、一緒に応援しませんか。

 

日本語のメモ

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7月23日月曜日。各地で猛暑の記録が塗り替えられるという異常な状態になっていますが、体調崩されていませんか。

写真にある、熊さんは砂で作られたものですが、あまりの暑さにぐったり…という状態に(嘘です。たまたまそういうポーズでした)。

 

今日は覚えておきたい日本語に遭遇しました。

 

『薫陶(くんとう)を受ける』

 

意味は『人徳や品格のある人物から影響を受けて、人格が磨き上げられること』(コトバンクより引用)。

 

話し言葉というよりは書き言葉だと思いますが、「影響を受けた」という言葉よりズッシリと重みを感じませんか。

 

本好きの友人に聞いてみたら「それは前から知ってたよ」とあっさり。まぁ、そんなこともありますってことで。

 

みなさんの人生の中で、薫陶を受けたことはありますか。

目に見えないものに触れる

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7月17日火曜日。今の事業を始めてから「3連休中にどこかに行く」とは無縁の生活を送っていたけれど、前から予定していた鳥取への旅に出かけてきました。

 

広島、岡山にも近いので今回の災害でどうしようかと思いましたが、地方を訪ねることで経済的な支援が少しでもできたらと思って行ってみました(結局、飛行機からは被災地が見えず、何もできず。クラウドファンディングに寄付しました)。

 

鳥取県は、島根県の右側。ご当地Tシャツに「鳥取県は、島根県の右側です!」というのがあって売れているみたいです。一方、島根県の応援Tシャツは「左側です」と。

beewing.jp

 

鳥取県日本海に面しているので新潟と似た地域。でも、どうやって行くの?

新潟から鳥取までの直行便はないし、鉄道も繋がっているようでちょっと繋がってなさそうだし。ということで、新潟→東京→羽田空港米子空港鳥取→(災害のため、代行バスと鉄道を利用)新大阪→伊丹空港→新潟、というルートに。

 

飛行機、電車に乗る時間があったので本を読みながら過ごしました(これはいつものこと)。今回の旅でチョイスした一冊は、『万引き家族』。ま、万引き?

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】

 

 

タイトルからにして何かと話題を呼んだ映画。

第71回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞された映画。

 

gaga.ne.jp

是枝監督が自ら書き下ろした物語で、一冊の本になっていました。

個人的には、とても観たかったけど日本語字幕がつくのかどうか分からなく、映画館の空気があまり好きではなかったので、本を読んでみよう!と即購入。

 

後になって分かったのですが、この映画はUDCastの日本語字幕にも対応していました。映画館で見たい方は、何かしらの準備が必要みたいです。詳細はこちらを。

udcast.net

 

事前に映画の予告編を見たので、本の登場人物の顔を思い浮かべながら、本の中にあるストーリーを追ってみました。前半は、万引きという犯罪以外はごく普通の家族の姿が描かれ、後半はそれが脆くなり…。読んでいて、悲しくなるというか、「家族って何だろう」と考えさせられます。

血が繋がっているものが家族とはいえ、心身ともに健康的な生活を送れているかどうかという観点から考えると、家族のようで実は家族とは言い難い現実が所々、起きていると実感させられます。虐待、殺人事件が家族の間に行われていたというニュースも目新しくなくなってきました。

そもそも家族って何でしょう。コミュニケーションが円滑に行われて、その日に起こったことを共有しながら人生を共に歩んでいくというのが家族のあり方だとしたら、この『万引き家族』は、家族として機能できていました。

しかし、万引きは明らかに犯罪。

 

犯罪を犯した点だけで見ると、「この人は犯罪者」という視点になりますが、本人が置かれた背景を知ると、単なる犯罪者として見るにはちょっと違和感を覚えます。

人との繋がりを一つの絆として築いていった過程を辿ると、それこそ本当の家族の姿なのではないか、と思う場面がいくつもあって。犯罪者といえど。

例えば、虐待を受けた時の傷が、他人であるはずの人にも同じ傷があり、共に癒し、そして助け合う、支え合う関係に発展していく場面が出てきます。その時に本人が感じる気持ち、心を想像してみた時に、もうすでにその人は犯罪者としてではなく、一人の人間として捉えている。そうした私自身の行為に、私がどう受け止めて良いのかちょっと戸惑います。

 

人との繋がりって、私はこう思っていても、実は相手にとってはそうでなかったり。こういうのは、よくある話。もっとコミュニケーションを深めていけば分かり合えることもあるけれど、完全に分かり合える繋がりってなかなか無い。それに、当時はそうだったとしても、今になればまた違った感情で受け止められることもある。

人間、なんてわがままなんだろう。その日やその出来事、周りの関わり合う人によって、これまで自分が抱いていた感情が変わってしまうことも(だから、疑心暗鬼とか浮気とか、いつの時代にも起きうるのかもしれません)。

 

でも、どうせなら、人との繋がりを通して目に見えないものに触れた瞬間、何かしらの方法で相手と共有できたら、きっと相手も自分もお互いに生きやすくなるかもしれない。少しでも。

気持ち、想いを言葉にすることがいかに尊いことか。

 

万引き家族』という衝撃的なタイトルではあるけれど、人との繋がりについて考えてみたい、向き合ってみたい人には多分、きっと共感できます。

 

 

まさかそんなわけがない

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7月13日金曜日。ジェイソンの日だねって話したら、平成生まれの学生から「知らないっす」と言われました。昨日は、友人宅で子どもから「ポケモンはね〜」と話されて、「私、知らないっす」状態に。二日連続でジェネレーションギャップを感じました。

 

 

映画といえば、最近見たものが「X-FILES 2018」。Xファイル(1993年公開の海外ドラマ)が再び復活したもので、今回が最終シーズンになるかと話題に。

1993年に初めて公開され、2001年まで9シリーズ。

2016年に10シリーズ、そして今年2018年に11シリーズが公開されました。

www.foxjapan.com

 

11シリーズは、10話が収録されています。

 

X-ファイルなんて、所詮はSFというか、非現実的でしょ」という見方もあるけれど、今回のシリーズは結構、リアルな描き方。今の社会で起きていることを取り入れたストーリーなので、「まさかそんなわけがない」と思っていたことが実際に起きてしまいそうな内容。

 

例えば、第7話「フォロワー」。

レストランの予約から配車サービスの手配、自宅のセキュリティ、買い物まで、何もかもスマートフォンでタップひとつの現代社会。しかしデジタル機器は次第に暴走を始める。

amazonより)

 

私たちが何気なく使っているスマホ、パソコン、ドローン、ルンバなど、とっても便利なものが暴走してしまう。

 

デジタル機器が発達しすぎた映像を見ただけでゾッとしました。まさか、とは思っても、その可能性はゼロではない。まだ、ジェイソンの方がどこかで非現実的さがあって救われる思いがするほど。

 

第8話「親しき者」。

魔女伝説が残るコネティカット州の小さな町。公園で遊んでいた幼い男の子が、母親が目を離した隙にいなくなり、森で遺体で見つかった。警察は動物に襲われたと断定するが…。

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X-ファイルらしい雰囲気が一番分かるエピソードだけど、今の社会を反映しているシーンが一つ。「まさかそんなわけがない」という思い込みが暴走したもので、一つの情報だけを鵜呑みにし、特定の人だけが多数派に攻撃されてしまうという、ムラ社会と人間の負の部分がかなり分かりやすく描かれています。

 

何だか怖いストーリーばかりのように見えますが、意思の固いモルダー、理性的なスカリーでさえ、目の前に起きている事態に戸惑いを覚えていました。

 

今までのシリーズはどちらかというと、それでも解決に向けて立ち向かうぞ!と前に突き進む感じが強かったけれど、今回は戸惑いの色が強く、うろたえてしまったり諦めかけそうになったりと人間らしさが垣間見えて、とても共感しました。

また、二人の会話から励まされるものが多く、今回のシリーズは涙、涙。

 

 

「今まで選択してきたものが正しかったかどうか分からなくなってきた。でも、正しかったと信じたい(モルダー談)」。

 

 

 

 

ろう者はわがまま?

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7月11日水曜日。セブンイレブンの日。新潟駅の近くに、一風変わったセブンイレブンがあります。外見は全く同じですが、入り口が一瞬分かりにくく、本当に営業しているの?と目を引くものが。

gata21.jp

(写真が冬のものなので、見るだけで「わぁ〜涼しい!」と感じますw)

 

最近、アメリカから友人が一時帰国したので久しぶりに会いました。

英語とASL(アメリカ手話)を使った仕事をしているので、彼女と私の間ではアメリカ手話、日本手話、日本語、英語、と混じった会話に。私自身、アメリカ手話と英語はほんの少しだけできる(できない、と話したら怒られました)のですが、なかなか面白いです。

 

留学経験があり英語が堪能なスタッフも途中で加わって話をしてみると、ますます英語とASLの頻出度が高まり、ついていけなくなりました(ろう者同士が手話で話して、それを懸命に読み取る聴者のような立場)。

それはそれで楽しかったです。

 

 

今回、いくつかの話題の中で黒人の話も出てきました。初めてアメリカに行った時に黒人ばかりの集団があって怖かった、という話。私も初めてロサンゼルスで泊まったモーテルやコンビニで多くの黒人とすれ違って「怖い」と思ったことがあります。何かをされたり、睨まれたわけではないで、まさに「映画で見たイメージ」による完全な私の思い込みでした。

 

 

モーテルでは窓の向こうに有刺鉄線が張られていたり、浴場のドアに穴が空いていたり、オンボロなエアコンに壊された鍵、と日本では考えられない環境だったので余計に怯えていたのかも(でも、友人は気持ちよく寝てました。性格の違い?)。

 

 

この思い込みはステレオタイプと呼ばれるもので、「日本人は曖昧」という外国人からの見方もその一つ。 一括りにして◯◯人はこうだという見方。

 

 

映画『大統領の執事』に黒人が出てきますが、世代や環境の違いによって白人に対する見方が分かれるシーンがありました。白人の言うことを忠実に守った方が生きやすいという主張がある一方で、黒人がいつまでも言いなりになるのはおかしい、と反論するという場面は、他の映画にも見られます。

 

 

黒人が辿ってきた歴史は長く、どちらの主張が正しいかという次元ではなく、置かれた環境によっては自らの生き方、価値観が脅かされるものになるからこそ、アイデンティティの確立が明確にならざるを得ない(そうすることで自分を守る)ともいえるように思いました。

 

 

「白人の言いなりに」というのは、ろう者の中では「聴者(耳が聞こえる人)の言いなりに」と置き換えられます。そういった類の話は、私が生まれる年よりもずっと前から起きている話で、ろう者の高齢者の「聴者の言うことを聞け、と言われた」「ろう者は何をやっても無理と言われた」という昔話に見られます。

 

 

先ほどの黒人の話で、映画の中では「白人と仲良くする黒人」と「白人と敵対する黒人」の二つに分かれて描かれています(その方が映画のストーリーとしての分かりやすさがある)。これが、ろう者の間でも共通しています。「聴者と仲良くするろう者」と「聴者と敵対するろう者」。

 

でもこの構図は時代の変化によって、一時的に過激的だったことも含めて変わってきているように思います。インテグレーションの教育的な背景、ろう者の日本語の親和性が高まった環境も含めて、昔ほど目に見える差別が少なくなってきました(目に見える差別というのは、おし・つんぼと目の前で言われた、手話やると手を叩かれた、食事を別々にとらされたなど)。

 

 

でも、最近SNSやテレビでろう者の宿泊拒否、入場拒否が報じられました。このニュースは過去にもいくつかあるので「またか」という感じだけれど、差別という言葉で主張する当事者の声を見ると、時代は変わってきたように見えても双方の間では変わってきてない部分もあるのかな、とふと思いました。

 

 

「差別された」と感じるのはどうしてなのか。断られたという事実に対して感じたものなのか、それとも断られた後の対応の仕方に対して感じたものなのか。

 

 

その変わってきてない部分をどう捉えるかは、人にもよるし、ケースバイケースによります。「だから、ろう者はわがままなんだ」「障害者のくせに何を言うてる?」という意見がある中、「ろう者は一人で行動できる」「聞こえないけど結婚もしてるし、普通に暮らしとる」という前向きな意見が当事者の中から出てきています。

 

 

ろう者だって一人で旅できるし、スポーツも普通にできる。

 

 

それはとても良いことだし、そもそも障害というのは現代社会が作ったものであり、聞こえない=障害、というのは古い価値観。

 

ただ、今の私にとって、この前向きな発言になかなか積極的になりきれていません。福祉の仕事をしているからか、ろう者の置かれた現実があまりにも多様なので一括りにできない、というのが本音。「ろう者は一人で行動できる」というのは事実であって事実でない。

 

 

聴者は一人で行動できる、に置き換えてみると…。「いやいや、私なんか一人で旅できないもん」という聴者の友人がいます。そう考えると、ろう者の中にも一人で行動できる人がいれば、そうじゃない人もいる。

 

 

しかし、何かを発信していくためには必要なことであることを承知の上で「ろう者は弱い者ではない」と主張する。そうせざるを得ない社会のあり方を見る限り、目に見えない本当の差別が解消されるはいつなのだろう、と思います。

 

 

聴者と同じようにサービスを享受しようと思ったら断られた、という事実は事実。今に始まったことはでないものの、どうやったら改善できるのか、という部分でどこまでお互いが話し合ったのか見えてこないので、気になるところです。

 

発信する側に立つ以上、どういう方法なら良かったのか、こういう配慮があってとても助かったなど、具体的な事例がもっと発信できれば、ケースに応じた対応ができるようになるし、双方の話し合いがより深まるのではないかと。ろう者の中には、常に自分が聞こえないことを先方に伝えた上で「こうしてもらうとありがたい」と先回りして行動している人がいます。おそらく、そういうケースが目に見えてこない(情報が少ない)ので、サービスを提供する側も不安にならざるを得ないのかもしれません。

逆にいえば、ろう者との関わりがある聴者の方が「こうすればいいかな」と行動できるのは、ろう者の状況を日常的な経験から知っているというのが大きいかもしれません。

 

行きつけのお店やディーラーさんは、私が聞こえないことを知ってるので前もって必要なことは紙に書いたり、メールでも対応しています。そういう対応方法を知っているだけでも、知らないよりは大きいと。

 

単純に、障害者を毛嫌いする人と遭遇してしまったために起きたニュースだけのことかもしれませんが、いろいろ考えさせられた出来事。

 

 

ろう者とか障害者を一括りにすることはステレオタイプを助長するようなことにもなる一方、一括りにすることで分かりやすく現実を伝えられるのもあります。その上で慎重に言葉を選びながら対応できると、もっと優しい社会になれるのかも。

 

 

タイトルの答えは、わがままでもあり、わがままでもない(ああ、こんな終わり方で良いのかしら)。

 

一ヶ月間、時間があったら

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7月10日火曜日。「明日から一ヶ月間、お休みです」と言われたら?

前々から長期的な休暇が欲しいなぁと思っていたけど、いざそうなると、不思議なもの。

 

20代の頃なら、迷わず旅行に出かけていたかもしれない。でも今はそんな気持ちよりも「よかった!身の回りを整理するチャンス」とやっと取りかかれることが嬉しい(そんなに散らかっているわけじゃないけれど…)。

 

今まで「ああ、時間が足りない」と感じていた生活から、急に「おお、時間ができた」生活に変わったので、これからどう過ごしていくか自分自身を試しながらやってみます。

 

あんなに毎日、多くの人に会っていたのに、今日は特に誰かと会う予定がない。というのは何とも不思議な感じ。音は全然、聞こえないけれど、急に静かになった感じ。

 

以前、結婚して主婦になった友人から「なんか、社会から隔離された感じ」と話してたのが分かるような気がする。一つでも関わり合える場所があることがいかに大切かしみじみ感じます。

 

人によって社会の関わり方はそれぞれだし、同じ状況になっても隔離されてるとは全然感じない人もいます。そんな中で、自分という枠から一歩出て、誰かと関わり合うことは当たり前のようで実はとても貴重な時間。

当然、いろんな人がいるから良いことばかりではないけれど、だったら前向きに関われたらとも思う。

 

 

現場が回れてこそのお休み。これからどう予定を組み立てていくか。新たな価値観に気づけそうでわくわくしています。