うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

口が先か、耳が先か。

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5月7日月曜日。肩甲骨を鍛えるトレーニングに挑戦してみたら、うぐぐ…。

 

今日は手話のお話。手話を知らない方のために少し解説。

耳が聞こえないことを「ろう」と呼びます。「難聴」「耳が聞こえない」「耳が遠い」などの言い方はありますが、その中の一つが「ろう」。いわゆる「聾」です。

 

手話では、大体2パターンの表現があります。

【片手のみでの表現】

上品に手を振るような手の形(利き手)を耳に当てて、そのまま口をふさぐような形に持っていきます。

 

【両手での表現】

利き手を耳に当てたまま、非利き手は口をふさぐような形。

 

 

それがどうしたのか?というと…

最近ちょっとした「あれ?」という気づきがあって。

 

70代以上のろう者の手話を見ると、上記の片手の表現が逆になっていました。

先に、口をふさぐような形で表した後、耳の方へ移動していました。

特定の人だけと思っていたら、他の70代以上のろう者(戦中もしくは戦後すぐに生まれた世代)も同じ表現でした。

 

念のため、60代、50代…と世代ごとのろう者に表してもらったところ、またその逆でした。先に耳に当てて、次が口、でした。

 

それがどうしたのか?というと…

結局は、耳か口か、どっちが先かなんて、どうでもいいんですけどね。でも、それがただの偶然とは思えなくて。

 

戦中もしくは戦後すぐに生まれた世代にとっての教育は、どういう教育だったのか。

口話教育が主流の時代に生きた人たちは、「口で話せるようになること」を徹底的に教え込まれたからこそ、耳に手を当てつつ、口をふさぐということは二の次ということだったのか。

 

当然、本人たちに聞いても「ハァ?耳が先か、口が先か?んなの、知ったこっちゃないわい」。

 

まぁ、そういうことがありましたってことで、様々な世代の方と交流すると面白い発見がごろごろあります。

 

君が僕の息子について教えてくれたこと、を観て

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5月6日日曜日。連休も最終日になりました。合間に仕事しながらネットで映画を見たり読書したり。今日は職場に置いてあったDVDを借りて鑑賞。

 

日本の自閉症の若者とイギリス人作家の出会いから物語が始まり、各国に住む自閉症の家族の絆が描かれているドキュメンタリー。NHKで放送されたみたいです。

 

www.nhk.or.jp

 

日本の若者は東田直樹さん。自分の心の内を綴ったエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」を2007年に発行。

そのエッセイが、自身も自閉症の息子を持つイギリス人作家デイヴィッド・ミッチェル氏の目にとまった。

日本に滞在していたこともあるミッチェル氏は、東田さんの本を読んで、まるで息子が自分に語りかけているように感じた。(DVD解説より)

 

 

自閉症の若者は、東田直樹さん。定期購読しているビッグイシューで度々紹介され、エッセイを発行していることは知っていましたが、恥ずかしながらなかなか読む機会がなく…DVDのパッケージを見て「あ!これは見なきゃ」。

 

今回の映像で最も衝撃を受けたのは、東田さんがパソコンと手作りの文字盤を使って意思を伝え、今はどういう気持ちでいるのか、どんな時にどう思っているのかを丁寧に考えながら、紐解きながら表現していたこと。

 

私の身近にも自閉症の方がいます。自分の考えていること、思っていることを表現することが苦手で、周りがイラついてしまうのも分かっていました。どうして分からないの?どうしてああいう行動を起こすの?…と。

 

表現というのは、自分が思っている以上に本当はいろいろな方法があってもいいはずなのだけれど、声で発する言葉、手話で発する言葉だけに頼ってしまっています。今回のDVDは、ちょっとした仕草も実は非言語的なコミュニケーションになるという、当たり前のことに気づかされます。

 

国内にも、聴覚障害者の中には他の障害と併せ持っている人たちがいます。耳が聞こえないからなのか、他の障害が起因しているのか、時々分かりにくいことがあります。自閉症と重複している、ろう者もいます。仕事上、重複している方々と関わることがあり、「今はどういう気持ちなのだろう」と考えさせられることが少なくないので今回のDVDは一つのツールとして、学びを深めるために必要なものでした。

 

日本語字幕もついています。ちょうど、ネットで検索していたらご本人が書いているブログがありました。

higashida999.blog77.fc2.com

 

学びを深めるということは、その人が見ている世界に一歩近づけること。

決して理解し合えることはできないけれど、近づくことで、少しでもその人が何を考え、どう感じているのかを、まずは知る。

大学時代、ある難聴者から「あなたに、私の気持ちが分かるわけがない!」と突き放されて以来、今もこのスタンスで学んでいます。それでもまだまだ分からないことが多いので、これからも書き続けていくつもり。

 

 

セットアップが簡潔に完結

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5月5日土曜日。こどもの日。鴨川ならぬ加茂川(新潟県加茂市)では数多くの鯉のぼりが並んでいます。公共交通機関として使われているバスには日本国旗がついていました。今日も祝日ですね。

 

ところで、最近驚いたことを一つ。

職場で効率化を図るために最新のiPadを設定したのですが、技術の進化にただ驚くばかり。新しい機器を導入する際、セッティングは業者にお願いすることもありますが、iPadは業者に頼まなくてもできるので、自前で行いました。

 

スマホやパソコンを購入したことがある人は分かると思いますが、大体の機器は、初期設定の画面で、いくつかの手順を踏まない限り、タダの物になってしまいます。そんな当たり前の話なのですが、この初期設定がクセもので「え〜〜私、機械はすごく苦手なの」という人にとっては、大きなハードルなんですね。

 

説明書を読めば分かるけれど、iPadの箱に説明書ってありましたっけ?

 

Apple製品は視覚的に理解できることを基準として作られているので、そもそも説明書を見て操作をするということは想定されていないと思います。むしろ、説明書があることで、時間を奪われ、なおかつ難しい操作をさせられてしまっては…という人間の都合を見通した上で、生み出されたのがApple、と私は思います。

 

それくらい、初期設定といえば、結構時間がかかるという先入観があったのですが、見事に裏切られてしまいました。

今回のiPadの設定は数分で終わりました。コーヒーが冷めないうちに。

 

2017年モデルからのようですが、「自動セットアップ」という機能が追加されたんですね。

iphone-mania.jp

初期設定する際、手元にあるiPhoneとリンクして初期設定は終わり、です。あまりにも簡単すぎてちょっと大丈夫なのかしら、と思いましたが、パスコードの確認もあるようで。本当に便利になってきてビックリ。

 

Windowsや他の機器で初期設定がどれくらいかかるか分からないのですが、時間的に効率良く使えるものはこれからも普及していくのかもしれませんネ。

笹団子だけじゃない

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5月4日金曜日。祝日が続くと曜日の感覚がおかしくなりそう。「今日土曜日だったけ?」「いいえ、金曜日でござんす」という会話を何度繰り返したことか。

 

この写真、おむすびではないです、三角ちまき

友人からのいただきもの。ありがたや、ありがたや。食べ方を聞いてみると「え?知らんの?」と言われてしまいました。

 

一般的な食べ方はというと…笹を取って、きな粉につけて食べるだけ。なんともシンプル!

シンプルイズベスト。

 

どの家庭でも食べられるみたいですが、作れる人が減っているみたいです。手間がかかる分、何かと敬遠しやすいのかも。でも、美味しかったです。

 

今度、はちまき巻いて、ちまき作ってみるか〜

 

That's my bag.それは私の好きなことよ。

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5月3日木曜日。連休ラッシュピーク、とニュースが流れている中、読書タイムがいつもより多めに取れて嬉しいこの頃。

 

今回読んだ本は「同時通訳者のカバンの中」。タイトルからにして興味を持つ人は、通訳を経験している人か、もしくは文房具好きな人かも。今回、なぜこの本をチョイスしたのかというと…私にとって通訳は身近なものであり、仕事で通訳者と関わる機会があります。

 

著者は関谷英里子さん。以前に「同時通訳者の頭の中」を出版されていました。関谷さんは英語−日本語の通訳者で、一通訳者としての心構え(気持ちとかそういう部分ではなく、具体的な準備やトレーニング方法)を分かりやすく解説されています。

 

例えば、事前準備については…

まず内容の全体像を理解し、話し手の雰囲気を理解する、という方法で準備をすると、当日もそのスピーカーの雰囲気をつかみやすくなりますし、話の文脈が似ていればスピーカーが話す次の言葉を推測しながら通訳することができます。

 

英語と日本語が一対一で置き換えられないので、(中略)正解はひとつではない分、状況に応じて対応していけばよいのです。

わたしは、このスピーカーが日本語を話したらどのようになるだろうか、という感覚を研ぎ澄ませて言葉を選ぶようにしています。

 

手話通訳も同時通訳を行なっているので、上記のことは「言われなくても分かっている」範疇に入ると思います。私の知るプロの手話通訳者たちは、事前に必ず打ち合わせを行い、事前に情報を収集し、そして日本語と手話の選択を慎重に考えながら通訳しています。

 

ただ、手話通訳者の中には「このスピーカーが日本語を話したらどのようになるだろうか」という部分を、「このろう者が日本語を話したら…」に置き換えてみる。それが感覚的に理解できる人とそうでない人に分かれるかもしれません。

 

手話と日本語を一対一として捉えて通訳してしまう人もいます。

例えば、ろう者が「意味 / ない」と手話で表す場合、「意味がない」と訳すこともできますが、状況によっては「時間の無駄です」とか「そういうのって必要ないかも」という選択肢があります。

手話は、日本語の単語をそのまま手の形に置き換えたものではなく、顔の動きも含まれています。しかしながら、手話の世界では適切な指導を受けられる機会が数少ない地方もあり、通訳実践の場でなかなかフィードバックを得られないこともあります。

このため、ろう者の意図を汲み取ることができず、予想外の通訳実践が起きてしまうことがあります。

 

また、ろう者にとっての日本語は第二言語でもあり、書記日本語でもあります(生まれながらの母語は日本語のはずなのですが、耳から得られる日本語の量は、聴者より圧倒的に数少ない)。このため、日本語が持つ感情(聴者が受け止める部分)と微妙にズレてしまうことがあります。聴者も人によって語感が違うのですが、そういうズレとは別のところにあるような気がします。

 

通訳者は聴者が発する日本語の世界に住んでいるので、ろう者が発した時に「おそらくそういう意味だと思うけど、今はこの場にふさわしくない」と判断し、適切な日本語に訳すことが仕事。

人間が行う仕事なので無論100%訳すことは求めていない。何よりも大事なのはその場にいる聴者、難聴者、ろう者が「相手の言いたいことを、情報として理解する」という環境作りなのでは。

 

と、話がかなーり逸れてしまいました。今回の本は、今の通訳技術に満足できていない方にオススメの一冊。通訳を使うクライエント(ユーザー)、特に手話講師は読んだ方がいい一冊。

 

ところで、私のカバンの中には「耳かき」が入っています。耳が聞こえないのに意味がないって?

動画で見る「聞こえない世界」

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5月1日火曜日。ちょっと時間があったのでYouTubeで調べものしていたら、「聞こえない世界」が垣間見える動画を発見。

 

これは、ろう学校の一日の様子が分かる動画。

子ども同士の会話はもちろん、相手に話しかける時や遠くに座っている人に声をかける時の仕草に注目。聞こえない人なら「そんな当たり前のことをなんで描くの?」と思うくらい、日常生活では当たり前の仕草が出ています。また、ろう学校の寄宿舎の様子も。

youtu.be

 

次は、大人(?)の生活編。聞こえる人たちとの関わりも描かれています。

例えば、机の上に置いたスマホが鳴っているとき、隣の人から「うるさいよ」と指摘されて初めて気付く場面。他にも、聞こえる人から「あのう」と声をかけられているのに全然気づかない場面。

 

A Day Through a Deaf Person's Eyes

youtu.be

 

こちらは、ロシアの短編映画。手話は全然分からないけれど、ストーリーがなんとなく理解できる内容。ろう者の生活というよりは、人間関係のリアルさが描かれています。

ろう者ももちろん、人間。同じ障害を持つ者同士、仲が良いとは限らないし、良さそうな人もいればそうでない人も。そういった意味では、特別感はないものの、普遍的に描かれていること自体、国内ではあまり見られないんじゃないかな。

 

youtu.be

 

いずれも約10分〜15分なので、ちょっと一息や「なんか面白いものないかな〜」というときにぜひ。

 

左側だけしか弾いてなかった時代

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4月29日日曜日。今日立ち寄ったイタリアンレストランでピアノを見かけました(あいにく写真無し…)。

 

ピアノといえば、左側だけしか弾いてなかった時代があります。私の中に。

鍵盤の左側は、低い音が出ます。右側は、高い音が出ます。

 

それがどうしたのか?というと…

 

弾いたことがある人は分かると思いますが、左側は響きます。手に。

右側へ弾いていくにつれて、振動が少なくなってきて、やがては響かなくなります。左側に弾いていくと、再び振動が戻ります。

 

子どもの頃、祖父母宅にピアノがあり、左側に座ってしょっちゅう弾いてました。当然、周りから「ちょ、うるさいのでこっち側(右側)もね」と言われたものです。

 

私の場合、耳は全く聞こえませんが、補聴器をつけると「音は分かる程度」です。しかしながら、高い音は補聴器でもほとんど聞こえず。

右側の鍵盤は、ただのボタンのような感じで、本当に音が鳴っているのか分からず、子どもながらに不安になったのを覚えています。左側の鍵盤は、振動で手に響いているし、補聴器を通して音が聞こえていました。

 

手で感じ取れる振動。

補聴器を通して聞き取れる音の響き。

 

それを楽しんでいた幼少時代を思い出させてくれたイタリアンレストラン。

今日も良い一日でした。また明日からも、素敵な発見ができますように。

何かをやめる選択肢があるということ

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4月23日月曜日。
夏のように暑くなったと思ったら急に寒くなってきたりと、服の調節が難しいこの頃。

風邪をひいていませんか。

新入社員、新入生にとっては緊張感が少し解れてくる時期。

ある意味、一つの区切りでもあるこの4月、新しい生活にわくわくしたり、人生の岐路に立たされたり…といろいろな人がいます。

 

今までチャレンジしていなかったことを始めてみたり、新しいサークルや部活に入ってみたりと試みる人もいれば、何かをやめる人もいます。この「やめる」というのは、人によっては「本当はやめたいけど、なかなかねぇ…」といったように、なにかとハードルが高いものでもあります。

 

部活がしんどいからやめたいけど、せっかく入ったのだからもう少し頑張ってみよう。

仕事が思っていたのと違って大変、辞めたいけどもう少し我慢してみよう。

 

といった具合に。

時間が経つにつれて、いろいろなきっかけが舞い込んで「よし、やめる!」と決断できることもあれば、「やっぱりこのままがいい」と思いとどまったり。人生、常に選択の連続なのかもしれません。

 

「あれを食べたいけど、今日はこれにしようか」「晩御飯はこれを作ってみよう」と、いつも何かを決めて行動しているのが人間。決めるという行為の中に、無意識の習慣も含まれていますが、「続ける」「やめる」の選択肢は誰でも持っているもの。

 

たまに相談されることがありますが、「手話をやめようと思う」「手話通訳をやってきたけれど、もう嫌になったから手話をやめる」という声があります。手話を学んでいる聴者と接する機会がある私にとって、この言葉を聞くと少なからずショックを受けます。何がそうさせたのか、と話を聞いているうちに大体、原因は分かりますが。

でも、手話を学んでいる人にとって「続ける」「やめる」の選択肢があるのは当然のこと。無理してまで続けて自分の身体を壊してしまっては本末転倒。

 

私も英語の勉強をやめたり続けたりとコロコロ変わっているので人のことは言えません。

でも、私と手話で話をしている間に「手話をやめようと思うんだ」と相談されると、胸に刺さるものが。私との間に、手話を無くしたら…それは私とあなたとではお話ができないってこと?と複雑な心境に。

 

私自身、耳が聞こえないのでコミュニケーションの方法は「口で話す」「口を読み取る」「筆談する」以外に、手話も含まれています。手話を生きた言葉として使っているので、私の中で「もう手話は絶対使わない、手話をやめる」という選択肢は初めから無い。というか、そんな選択肢を持つというのは、自ら生きることを放棄することに近いようなもの。

 

でも聴者にとっては、手話をやめても困ることは少ない。仮にあったとしても、聞こえない人よりはダメージがそこまで大きくない理由は、声で話すこと、声を聞くことによって人と繋がる方法が残されているから。

聞こえない人にとっての手話は、聞こえる人にとっての声、と同じくらい、生きていくために必要なものの一つ。

だから、聞こえる人から「手話をやめる」と相談を受けた時はそういうお話をしています。その上で、決断したことは尊重しています。

 

もう少し、手話を学ぶ人にとって優しい世界であったなら…と時々願わずにはいられません。

 

そして、何かをやめる、ということは何かを始める、と同じくらいポジティブなものでありますように。

初めての環境に慣れるまで

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4月2日月曜日。しばらく更新できていなかった…その間に読んでみたのがこれ。日本財団様発行による冊子で、障害者支援施設の取り組みや障害を持つ当事者の視点に立ったコラムなどが掲載されています。

blog.canpan.info

 

ところで、「働く」といえば今日が入社式、仕事始めという方も多かったのでは。

私のところも新しい人材が入りました(もともと年度の途中で入るケースもあり、割と柔軟に対応している職場だと思います)。おめでとうございます。

 

めでたいはずなのですが、この「働く」について考えてみると…。同じ時期に入った同僚と比べたら、もっといろんな面で準備をしないといけないのが、障害を持つ人なのでは。

 

なんだか、この言い方だと「障害者はもっと働けというのか?」と誤解されてしまいそう。分かりやすく言うと「障害を持つ人は、常に何らかの準備をせざるを得ない」状況に置かれやすいのでは、ということです。

なんの準備かというと、気合いはもちろん、筆記用具やハンカチといった普遍的なものから入社する会社に関する資料までいろいろあるのですが、障害を持つ立場(会社の中で少数派)なら、これだけでは足りません。

 

耳が聞こえない立場の場合、あらかじめ周囲に「耳が聞こえません」ということを伝えないといけないので心構えはもちろん、どうやったら「耳が聞こえない」ことを伝えられるかを考えないといけなくなっちゃう。

声を出せばいいじゃない?と思っても、当の本人にしてみれば「声なんか出してもどうせ通じないから、紙に書いて説明しなきゃ」「メールでいいから何とか、耳が聞こえないってことを伝えなきゃ」と、障害について説明するための準備を要する。この時点で、同じ時期に入る同僚と比べて、相当な精神力を持ち合わせていないと長く勤まらないような気がします。

 

もちろん、職種や職場によってはわざわざ障害について伝えなくても、環境次第では「障害」が障害でなくなることも。

特に私の職場は、耳が聞こえる人がそういう立場に置かれやすい(普段は多数派なのに、少数派になっちゃう環境)ので、できる限り「日本語」も使いながら、音声に頼らないで文字に書いたり、メールで共有したりと行なっています。これを、合理的な配慮というらしいのですが、少なくとも私の場合は「一緒に働く以上、本人が分からないままではいけない。本人が分かってから初めて仕事が進むもの」と思っているので、当然のこと。それでもなかなかうまくいかない時ってありますが…。

 

もし、海外旅行や留学、外国人との交流がある経営者ならきっと、これに近い感覚で障害を持つ人と接することができるかも(中には、最初から自然体で誰とも関わりを持てる素晴らしい素質を持った経営者もいらっしゃいます)。

 

初めて入る環境に慣れるまでに要する時間は、千差万別。その上で、マイノリティの立場になる人はいつも少なからず何らかの準備をしている。

そして、この「準備」が何らかの形で報われることがあるよう、私も時々立ち止まって考えてみたいですね。

 

 

 

2011年3月11日に変わったこと

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3月11日日曜日。この写真は、2年前に訪れた宮城県・女川町で撮ったものです。

 

今日会った人たちとは「あれから7年なんだね」「当時はどう過ごしてたの」とあの日が話題に。SNSでも「あの日を忘れない」と各地で黙とうが行われていたり、あの日を振り返って今をどう生きているか紹介されていたり。

 

これまでにも大きな災害は起きていたけれど、災害が起こるたびに「忘れた頃にやってくるから本当に気をつけなきゃ」と思う。思っていたところでどうにもならないけど、自分のことはせめて、自分でなんとかできるようにしないといけないな、と。

 

自分のことができないからダメだという否定的なものではなく、防災の基本として「自助、共助、公助」があるように、自分が助からないとどうにもならないのは事実。

 

世の中には身体を動かすことが困難な人もいる。物理的に難しいことは、共助、公助で対応していく。そんな当たり前のこと、いざとなったら無理だって!と思うこともあるかも。

 

でも、少なくともあの日が日本国民にとっては大きな影響を受けた出来事であることは、メディアだけでなく周囲にいる人たちとの会話からでも十分、伝わってきます。

また、新潟の人たちの話を聞くと中越地震の話も出てきます。2004年10月に起きた地震

新潟県中越地震 - Wikipedia

 

当時、私は新潟に住んでいなかったのでテレビで見たことがある映像(避難所で生活している様子)だけしか想像できないのですが、相当な大きさだったようです。

それでも、やはり東北地方で起きた地震は衝撃的であり、新潟に避難してきた方々もいたことが今でも印象に残っている、というお話もありました。

 

当時の3月11日、新潟市も揺れました。

結構長い揺れだったので、さすがにおかしいと。そのあとはニュースで流れてきた津波の映像が、現実的には思えなくて。数日後の新潟駅では、大きな荷物を抱えてホームから出てくる人が次から次へと。いつも明るかったはずの駅が暗くなっていたり(計画停電の影響)。

コンビニやスーパーに行くと、パンやおにぎり、ペットボトルがほとんど無くなっていました。まさか、新潟市にもここまで影響を受けるとは。

 

いつでも避難できるように準備してはみたものの、余震が続く中で何かと落ち着かなった日々。津波の被害を受けた方々、住んでいる場所やコミュニティが壊滅され避難せざるを得なくなった方々の身を考えたら本当にいたたまれない気持ちに。

 

ただ、この日を境に、関わっていたプロジェクトが実施できなくなり、一から立て直すために奔走する1年になったのでした。新潟から東北地方は近いのに、震災地へボランティアに行くとか支援物資を送るといった具体的な行動に移すことができなく、今後のプロジェクトを推し進めることだけにしか集中していませんでした。

 

結果的にそのプロジェクトは今の仕事に繋がっているのですが、3月11日を振り返るたびに「もう少し、周りを見渡して自分にできることをやれたらよかったのでは?」と思わないわけにはいかなくて。

自分ができることって、はたから見ると本当に小さなことなんだ、と。

 

でも、ここ最近は、そういう気持ちよりも、今目の前にあることを一生懸命やることが私なりの復興への応援というか、そうすることが一市民としての生き方として大事なんじゃないかなと思うように。

その上で、余力があったらもう一度、東北地方に訪れてみようと思っています。

 

3月11日の出来事を背負って生きている方々、当時も今も具体的なアクションを起こせている方々に敬意を表すとともに、亡くなられた方々への冥福をお祈りしながら、今を生きていること、同じ時間を過ごしている人たちに感謝、です。

そして、一人でも多くの方が「ああ、幸せだなぁ」という気持ちになれますように。