うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

私はあなたを愛しています。

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1月28日日曜日。今日は諸々の用事を片付けたあと、打ち合わせ。

韓国語を学んでいる友人から「そうそう!今日、素敵な発見があったのよ!」と報告が。なんだろうと思ったら、1冊の本に韓国語と漫画のようなイラストが。

この本は、日常生活のささいな出来事から著者が感じ取ったり、考えたりしたものをまとめた本だとか。

 

しかし、韓国語が全然読めない私は、友人に翻訳してもらいました。

イラスト「私はあなたを愛しています」。

 

ん?愛しているって、どういうこと?

イラストに載ってる顔を見てみると、口が動いていない。でも手は動いてる。

これって、もしかして??

 

「そうなの、手話でやってるのよ。韓国ではこう表すの」。

なんと、イラストの人は「私 / あなたを / 愛してる」という順で表現。

 

その右に著者の考えがコラム風に書かれてて。韓国語ばかりの中で、所々、アンダーラインが引かれてる。きっとこれは、重要なキーワードに違いない。

 

しかし、私は全く読めないので翻訳してもらいました(おお、ありがたや〜)。

 

「私は手話を学びたい。

そして、言葉にすることが照れくさいことを手話で話せば照れくさくはないし、

何かもっと情感があると考える。

相手が話すときは、その人を見なくても内容がわかるけれど、

手話はその人を見てこそ、その人がどんな話をするのかが分かるという良い点もある。

いつもその人を見なければならないということ、それほどあたたかい理由が他にあるだろうか」。

 

おお、手話の良い面が書かれてる!こんなに嬉しいことはありません。

もちろん、日本語も英語もそれぞれ、言語の素晴らしさがあり、優劣をつけるつもりは毛頭ありません。

 

手話とは関係のない書籍に、たまたま手話が載っている!こういう発見は、他の本でも経験があるけれど、今回は韓国語の中に手話を見つけた、という。発見した友人の心の豊かさにも感動。

 

翻訳してくれる人が身近にいなかったら、きっと同じイラストを見ても「うん?なんか手を動かしてるなぁ」で終わっていたかもしれない。それに手話の魅力についてを知っているからこそ、翻訳の日本語を読んだだけであたたかい気持ちになれました。

(手話で話すときも、照れくさいときは照れくさいけれど)

 

「私はあなたを愛しています」。

 

韓国の文化では、恋人やパートナーに限らず、両親や親しい友人の間でも使われてるとか。これはちょっとカルチャーショックというか、「そ、そうなの!?」と新鮮な驚き。

だからか〜、前から韓国人がなんとなくフレンドリーだなと思ったのはそういう国民性、文化的な背景があったのかと、納得。

こういう発見は、本当に楽しいですね。

 

사랑합니다(サランハムニダ)」。

出版記念イベント「ろう者の祈り」in渋谷

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1月27日土曜日。東京・渋谷にて出版記念イベントを開催。

朝日新聞出版社の担当者、著者の中島さん、日本語教師鈴木隆子さん、そして私。

 

予想以上にいろいろな方々がお越しくださいました。

手話に全く縁のない方も何人かいらして、今回の「ろう者の祈り」を知り、手話に興味を持ったとのこと。本当にありがたいことです。

一般の人たちに知ってもらうことは、地道な努力が必要ですが、一人だけではできません。周りの応援、ご協力があって初めて一つの形になる。それを強く実感した日でもあります。

 

サイン会も行いましたが、長蛇の列で30分はかかったと思います。この時間が私にとっては一番良かったです。一人一人のお顔を見ながら、お話をさせていただきながら。
こういう方々が本を読んでくださっているのだなぁとか、関わりを持とうとしてくださっているのだなぁと嬉しくなりました。


そして、これからも引き続き、お互いが認め合える社会を目指して精進していこう!と新たな気持ちになりました。

 

ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

 

まちがえたっていいじゃないの

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「よかったら抹茶でもいかが〜?」。夕暮れの職場でこういうのが出てきました。

もちろん、器は職場にあるものを使ったので、お許しを。

数年前の研修旅行で、陶芸体験をした時の作品なので抹茶に似合わず。

 

ちょっと型にハマらず、ズレているものに対して、人間はいつからか、「なんだこれは」と引っかかるようになってしまったのでしょう。もちろん、全員がそうだとは限らないけれど、ちょっとした過ちに対して、twitterとかで猛烈に炎上しているところを見かけると、「うーん」と考えさせられます。

 

まぁ、いいじゃないの。

 

時々、私を取り巻く友人の中にはそういう一言を発する人がいます。

 

まぁ、いいんじゃないの。

 

何でそう簡単に片付けちゃうの!?と思ったこともあります。でも、やっぱり、時にはこの一言で救われることもあります。特に思いつめていたり、咎めてしまいたくなっている時。

 

 

もっとよりよく仕事をしたいのに、と相手に求めてしまうことがあるのでホントに気をつけなきゃ。

 

と、いつもこの一言でハッとします。そして、勝手ながら、これと何となーく似ているな、という本がありました。

注文をまちがえる料理店

注文をまちがえる料理店

 

 

かの有名な「注文の多い料理店」ではなく、「注文を【まちがえる】料理店」。

一体どういうこと?と思った方は、ぜひ手にとってみてください。

 

認知症のおじいさん、おばあさんがホールスタッフになって注文をとる料理店。

一大プロジェクトとはいえ、実現するまで並大抵の努力だけではできなかったと分かるくらい、実現するまでの過程についても書かれています。

日常生活にありふれているはずの「まちがえること」について、なぜそこまで咎めてしまうのだろう、とふと考えさせられました。

 

まぁ、いいじゃないの。の一言には、この続きがあるのかもしれません。

 

「それより、何が大事なのかを見つければいいじゃん」。

 

漫画の中の通訳者

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大雪に見舞われて、埋もれてしまいました。この前帰省した時、おもしろい漫画がありました。 

 バードというのは、鳥ではなくて、イザベラ・バードというイギリス人女性のこと。

ウィキペディアさん曰く、旅行家、写真家、探検家などいろいろな肩書きがあるという。実在していた人を題材にした漫画で、一晩で全巻(まだ続巻はあるみたい)読んでしまうくらい、惹きつけられました。

 

舞台は、明治時代。江戸時代から明治にかけて生活様式などが変わるのはもちろん、横浜から新潟を経て蝦夷(北海道)を目指す旅で、通訳の伊藤(イトー)と同行しながらいろいろな経験を書き留めていく、というストーリー。彼女の好奇心旺盛な部分にハラハラドキドキしながら一緒に旅を進める感じがして、楽しい。

 

そして、何よりも私が気になったのは通訳の伊藤。

彼も実在した人で、なんと!ウィキペディアさんも知っていました。

伊藤鶴吉 - Wikipedia

 

でも情報が少ないみたいで。

漫画では結構、かっこよく描かれています。明治時代の初めとはいえ、蝦夷までの道のりは未知で過酷だったにもかかわらず、旅を共にするということは想像を超えることもあったに違いない、そういう意味ではかなり興味深いです。

通訳だけに限らず、目の前にあるものの背景を知識として説明したり、外国人の存在を初めて見る国民に対して説明したりする場面も。

 

これって、手話通訳と似ていますね。

ろう者は外国人のように、日本の中ではマイノリティ(少数派)。世界的に見てもマイノリティ。

聴者にとって、私を見ると「むむ、どういう人なんだろう」と半ば(?)物珍しそうに見るので、「ああ、日本人ですよ」ではないけど、「私が通訳しますのでどうぞお話ししてください」と一言声をかけてから通訳を始める、ということもざら。

 

世間から見ると、通訳は「外国人」「聞こえない人」が使うものと思いがちだけれど、漫画の中での通訳を見ると、両者のためであって、もし通訳がなかったらお互いに「なんなんだ、この人」で終わっている。

通訳は、一方的ではなく、双方向のコミュニケーションをつなぐ潤滑油であることを多くの人たちが知れば知るほど、マイノリティももっと過ごしやすくなるかも。

それにしても、明治時代の通訳ってどんな感じだったのでしょう。この漫画を通して、想像してみるとますます興味深くなりますね。

 

 

行ったことのない国に思いを馳せてみる

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全国ニュースになった、新潟市の大雪。

 

新潟市ではないですが、三条市新潟市から約40km、電車で1時間20分くらい)で電車が立ち往生に。Twitterでいろいろな意見が出ていますが、あのあたりは夜だと真っ暗だと思うので本当に気の毒だったと思います。

 

きょうは比較的、穏やかな天候だったので散策。諸々の用事を済ませながらの町歩き、暑くなってきたのでカフェに立ち寄り。

知る人ぞ知る(?)新潟市本町の「Blue cafe」。数年前に手話レッスンのお客様が「そうそう、素敵なところあるので一緒に行きませんか〜」というお誘いを受けたのをきっかけに2、3回行ったことのあるカフェ。

入ってみると、本棚というよりは、本がとにかくいっぱい!

 今日はこれを読んでみました。

ここのカフェの良いところは、ソファがあって他のお客さんもゆったりと本、写真集を眺めていたり音楽を聴いていたり(このカフェ、ミュージックカフェでもあるそうですね)しているので、リラックスできる。

 

なぜ、きょうは村上さん?それはね、前から気になって読むか読まないか迷っていた本だったから。

 

村上春樹さんファンの方には申し訳ないけれど、私にとって「ノルウェイの森」は衝撃的な作品で、他の作品を読みきる自信がなくなってしまったから。だって、当時は高校生だったのだから(いや、関係ないか)。

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

 

 

これを読みきるのに3度、チャレンジしなければなりませんでした(敢えてですが、とても素晴らしい作品でした。人間の内面について深く洞察しているというか、触れることのできない部分を疑似体験したような感覚に)。

 

ラオスにいったい何があるというんですか」は、小説ではなく村上さん自身のエッセイ。ラオスは行ったことがないけど、ベトナムの近くなのでちょっと興味があって、でも村上さんだからなぁ、という風に、読みたいけど読まない、と悶々。

 

そして、今日。

ちょうどタイミングよく、目の前に出てきたので、手に取ってみました。

おお、ラオスだけでなく、アメリカ、フィンランドアイスランドなどの欧米の国も出ていました。しかも観光地ではなく、地元の情報に基づいて街を歩いてみたり、レストランに入って現地の食事を嗜んでみたりといった内容なので、いつの間にか私も一緒に旅しているような感じに。

村上さん、ありがとうございます。

 

 

雪国で快適に過ごすために工夫していること

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新潟もスタバが増えました。ここ数ヶ月で2ヶ所オープン。

この時期になると朝と夜がものすごく寒く、0℃近くに。氷点下にいくことも。北海道の極寒地に比べたら全然大したことないはずなんだけど、太平洋側育ちの身分では「ああ、またやってきたこの季節…」となります。

ウインタースポーツ好きの人なら「よっしゃ〜楽しむぞ!!」とテンションが高くなるのが羨ましいくらい。

 

新潟市は全然雪国じゃない!って言われるけれど、積もるときは積もっちゃいます。不思議なことに海の方だとあまり積もらないみたいですね。職場はあいにく、山に近くて、12月に積もった雪がまだ道端にあります。

 

太平洋側育ちにとって、新潟の冬は「骨まで冷たくなる寒さ」だと感じています。骨が冷えていては怪我の元になるので、どうにか温まらなくては!と思って、人に聞いては試してみています。

 

最近試したのがアームウォーマー。新潟県五泉市で有名な五泉ニット。

item.rakuten.co.jp

 

今、これをつけてパソコンで書いてますが、手がポカポカしてます。

あったかいですね。

 

次にここ数年間使っているものが「湯たんぽ」。

 スノーピークのものを使っているけれど、生産中止になったのか、取り扱っていないようです。下記の写真のようなもの。

ミニ湯たんぽ 袋付 S-9397

ミニ湯たんぽ 袋付 S-9397

 

 

寝る前の布団に入れておくとポカポカ。

他にもインナーウエアなど、いろいろ試していますが、町歩きなら十分でも、雪国となるとなかなか厳しい。

東京へ出張となったとき、いつも困るのが服装。かなりたくさん着込んでみたら、東京だと暑かったり。

 

そんな感じで、自分らしく冬の乗り越え方を模索しているところです。

 

「ろう者の祈り」が刊行されました。

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ツイッターFacebookでお知らせしていましたが、こちらにはまだアップしていませんでした。

 

「祈りってなんだか宗教みたい」と思われがちですが、決してその類ではなく、ろう者が聴者とともに働いて社会生活を送る上での実態について描かれています。著者は、耳が聞こえる人で手話とは無縁の世界にいらっしゃったのですが、数年前の出会いをきっかけに手話を学び始めました。

 

ろう者という言葉に違和感を持つ難聴者もいらっしゃいますが、この本はあくまでも「手話を使う耳が聞こえない人」であり、日本語の壁についても取り上げています。

 

「これだから、聞こえない人は大変なんですよ」というメッセージではなく、あくまでも音声言語が中心になっている社会の中で、どのように生きているか、どのように過ごしているかを知ることにより、お互いが寄り添って生きていく必要性について語られています。

 

「障害を持っているから仕方ない」「聞こえないから日本語なんて難しい」「聴者は誰も分かってくれない」とネガティブな発言をしてきた人とたくさん会っていますが、一方でポジティブに生きているろう者もたくさんいます。

聴者との関わりの中で楽しみを見つけて生きている。聴者とかろう者とか区別せずに、対等な関係を築いて生きている。

両者の違いは何か。簡単には語れないほど、生活環境が様々であること、本人と関わる聴者にも様々な背景があります。

 

それでも、ろう者にとっては、どこへ行っても必ず出会う聴者に対して「関わりができたらいいなぁ」と一度は思っています。どこへ行っても、どこで過ごしても、耳が聞こえる人には必ず出会いますから。

 

人肌が恋しくなるこの冬に、ぜひ手に取ってみていただけると嬉しいです。

 

ろう者の祈り 心の声に気づいてほしい

ろう者の祈り 心の声に気づいてほしい

 

 

一緒に登場している日本語教師・鈴木隆子氏(テンダー教室)

 

次に停まるのはどこ?

 

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昨日の続き。

新幹線に乗ったあと、デッキに立ちっぱなしだった私。

 

右も左も、後ろも人、人、人。

 

ほとんどの人はスマホで漫画、ゲーム、LINEやってて。

当の私はというと、かろうじて右手が使えたのでもっぱらLINEしてました。「ああ〜ここから出たいよう」なんてメッセージ送れるはずもなく、仕事上の連絡から大切な人たちとの連絡のやり取りで、あっという間に東京に着きました。

 

でも途中で、どの駅に停まるのか少し気になっていました。いつもなら、席から見える電光掲示板で『次の駅は◯◯です』と確認できるのですが、今回は席ではなく、デッキ。

 

デッキから見える窓は小さく、駅名まで確認できるか微妙。いつもお世話になってる上越新幹線なら、だいたい町の雰囲気で『次は大宮かな』『次は越後湯沢ね』と判断できるのですが、今回は東海道新幹線

 

10年くらいご無沙汰しているので、窓の外を見ても今、神奈川なのか?まだ静岡なのか?分かりづらいです。

デッキから電光掲示板は見えるはずもなく、周りもスマホに首ったけ。はてさて困ったもんじゃ〜

 

結局は、降りる駅までの間の駅名を全部覚えていたので、ことなきを得た、のですが、見知らぬ土地だったら「あのう、次はどこですかな?」と聞いていたかも。

 

情報が少しでも遮断されると、何だかそわそわしますね。

 

 

帰省ラッシュで出てくる120%

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新年あけましておめでとうございます。去年、ブログで年末の挨拶ができませんでしたが、今年もよろしくお願いいたします。

 

今年のお正月は、珍しく予定がなく寝正月に。数ヶ月ぶりにテレビを楽しみました(テレビのない生活をしていると、視覚的な情報がとても新鮮に映るのか、価値のある番組は釘付けに)。

ここ数年、お正月は旅行に出かけていましたが、今回のように家でゆっくりするのも案外、いい感じがしました。しかし、一つだけ問題が…。

 

帰省先は愛知県なので、一旦東京駅まで行かないといけないルートになっています。

愛知といえば名古屋。名古屋駅〜東京駅は東海道新幹線が通っていて、「のぞみ」「ひかり」「こだま」の3本が走っています。

東京駅は始発なので、時間に合わせて自由席でも確実に座れます。ところが、名古屋駅から東京駅に向かうとなると、京都や大阪、そして福岡からの乗客がすでに乗っているため、なかなか座れないことも。

 

ましてや帰省ラッシュとなると、さすがに自由席はアウト。

ニュースで放送されている「帰省ラッシュピーク!乗車率120%」といった感じのテロップがあるのですが、この数字が120とか150とかはともかく、100%超えているってことは混雑しているということですね。

 

ちなみに乗車率って?という方は、下記のリンクが参考になるかもしれません。

cancam.jp

 

今回は、名古屋駅から東京駅に向かう新幹線で苦戦。新幹線が目の前に停まっているにもかかわらず、席の間の通路からデッキまで人、人…。全然乗れる余裕がないので、数本見送った後、思い切ってデッキに入りました。案の定、東京駅に着くまで立ちっぱなし。

帰省ラッシュを甘く見ていました。最初から指定席を取ればいいのでは、という結論になるのですが、今回は予定が変わることも想定されていたので自由席のままにしていました。

仮に指定席が取れたとしても、通路側に人、人…となると、指定された席に行くまでにストレスが溜まりそう。そんなわけで、帰省する時期が重なると本当に大変。

毎回帰省されている方は本当にお疲れ様です。

 

次回の帰省どうしたら良いのものか、考えるきっかけになって良かったです。帰省ラッシュ、お疲れ様でした。

ちょっとした会話から考えてみたこと

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「今日はとっても寒いですわね」「そうですね」

「明日は晴れるみたいですよ」「そうだといいですよね」

「お久しぶりです、しばらくお会いしていませんでしたね」「そうですね、いつぶりでしょうかね」

 

こういう会話を、当たり障りのない会話、といいます。あたりさわり。

あくまでも、私のケースですが、聴者との関わりで無意識にやっていたことの一つが、上記の会話で、いつもここから入って「ところで、本題なんだけど〜」というふうに話を展開していくことが多いです。

 

ろう者を相手にすると、上記のような会話はするものの、本題に入るまでの時間が何となく短くなっていたり、省略されていたり(したり)。もちろん、ろう者全員というわけではなく、「まぁ、久しぶり!元気だった?もうね、近くにスタバができてて道が混みやすくなっての〜」という感じで話すこともあります(むむ、オバさん?)。

 

「ろう者は言い方がいつもストレート」と、手話関係者の間ではよく言われています。

 

ストレートなんだから分かりやすいでしょう、とシンプルに考えたらいいのだけれど、どうしても不愉快になってしまうこともあります。私も、ストレートに言うことはありますが、相手が嫌になるような言葉はできるだけ投げないようにしています(それでも分からず屋がいるので、時にはストレートに、時には変化球を、といった感じで投げながら反応を見ています)。

 

なぜストレートなのか。

手話という言語の特性も関係あるかもしれませんが、視覚的に情報を得る立場にいる者同士ならではの「情報交換」が大きいかもしれません。

聴者は、視覚的だけでなく、聴覚的な情報も得られる。なので、情報を伝え合うことに関してはあまり敏感ではないかもしれません(人によりけり)。

 

ろう者は、耳が聞こえない、聞こえづらいため、どうしても情報に偏りが出てしまう。そんな時、他者からの情報提供があると自らの解釈について修正したり分析することができる。それも、同じコミュニティ内で、早い段階であればあるほど、ホットな情報を自ら取り入れることができます。

 

逆に言えば、修正したり書き加える作業が日ごろできていなかった場合、どうしてもストレートな表現になってしまいがちなのでは。

ろう者の中には、読書が好きだったり友達との関わりを持ちながら自らを磨いたりとする人もいます。一方で、聴者との関わり方に不安を持ちながら避けてきている人もいます。

 

当たり障りのない会話をすること自体、ろう者は耳に入ってこないため、世間話があまり上手にできない人も少なくありません。世の中、もう少し視覚的な情報が入るように整備されていたら、おそらく少しは「あの人に伝えてみようかな」という気持ちが起きるのでは。

でも、当たり障りのない会話はそもそも必要なのかどうか。クッションの役割はあるものの、本当に必要としない場面も全くないとは言い切れない。

 

でも、全く当たり障りのない会話が皆無だと、何となく違和感が。

終わりが見えない内容になってしまいました。

 

またこの続きを考えてみるとして、明日は大雪が降るそうです。気をつけていきましょう。