うすいの気まぐれな日記

手話、聴覚障害、マイノリティなどなど

メールの方が「お互い様」

仕事で「すみません、ちょっとお話ししたいのですが」と電話が時々あります。

スタッフが「うすいさーん!電話ですって」と受話器を差し出してきます。

 

あのう、わたしゃ耳聞こえへんで(実際に話すときは関西弁ではない)。

 

スタッフは当然、私が耳が聞こえないことは知っている。

知っているけれど、時々忘れてしまうそうです。受話器から一方的に話そうと思えばできますが、相手が聞き取れるかどうか。

ろう者にとって「電話は未知の世界」。

 

そもそも、電話はよほどのことがない限り、双方向のコミュニケーションツールになっています。しかし、私はこれが使えない。

その代わりにメールという手段で、相手先もメールに慣れていただいています。双方向コミュニケーションができること自体はとても素晴らしいし、意義のあること。

 

10年くらい前と比較してみると、メールを送る、メールを受けるという行為が少しずつ知られているのは、まさにスマホのおかげ。

メールを送り合うことで、お互いに文字として残せるので電話よりもずっと便利。そして何よりも、お互いのため。

 

 

 

 

人前で話すということ

今週は人前でお話しする機会がいくつかありました。

 

今日は航空関係の専門学校の授業。いつもは他の講師が出向いています。

 

手話を教える以外に、聞こえない立場で困るかな?と考えられることについて聞いてみました。

障害があるからできない、というイメージを払拭したい一方、現実的にどんなバリアがあるのかを知っておくこともまた必要なこと。

 

まだ20代に入っていない学生さんばかりなので、外国人や障害者が空港内で困ることは何かについて切り出してみました。考えたこともなかったのか、はたまた伝える術が思いつかなかったのか、少し戸惑いが見られました。

 

でも「手話が通じない」という回答があったので、おそらく私という聞こえない当事者を見てそう答えたのかもしれません。

 

想像してもいなかったことを考えさせながら進めることが、講師の役割。いつの日か、「そういえば、あの時に話していたな」と関連づけられた時に、目の前にいる人の役に立てられたら。

人前で話すことはあまり得意ではないので、日々研鑽あるのみ。こうして、講演や授業の機会を作ってくださる先生方に感謝です。

 

高速道路で行く理由

新潟市内にはバイパスがあります。新潟市南西から北東まで全長37kmくらい。

初めて新潟に来たとき「あれ?今、高速道路走っている?」と錯覚してしまうくらい、高速道路のような道です。通行量が多く、無料区間になっています。しかも、信号がない。

 

新潟市内のバイパス網 - Wikipedia

 

県外から来た人同士で「バイパス、怖いよねぇ」と話題にのぼるくらい、初めての人にとってはちょっとドキドキします。夜になると、ガランとしている分、飛ばし放題ではないけれど、かなりスピードを出して走る車がなんと多いことか。

私もそのうち慣れてきて、危うくスピード出し過ぎてしまうことがあります。信号がないだけでなく、二車線以上なのでついつい・・・。

 

バイパスといえば、「距離が長い」の他に、「事故が多い」。

私も何度か「うわぁ、あぶな!」とヒヤリした瞬間が。割り込んでくる車のスピードが速いのです。

事故が起きてしまうと、もう渋滞が大変。ほんとに気をつけましょう、です。

 

そんなバイパスですが、それでも高速道路を使うときがあります。朝と夕方は必ず渋滞しやすいので、たったの数十kmでも有料高速道路を使います。新潟市周辺の高速道路、いつもがらがら(渋滞になったのを見たことがない)です。時間がもったいないので、スイスイ行ける道はありがたや、ありがたや。

距離的には300円くらい。コーヒー1杯飲んだ、と思って時々、走っています。

 

バイパスについても取り上げられていました。

matome.naver.jp

 

明日からも安全運転でいきましょう。

あの音、意外と大きいかも

今日もお世話になりました。歯医者さん。

歯医者さんといえば、「あの音が嫌だから行きたくない」という話も聞きます。エアタービンというそうですね、素早く高回転するアレです。

 

どれくらいの音がするのか想像できません。補聴器外していると全く聞こえないです。

口の中に入れられた瞬間から「ぎゅるるる〜〜〜〜」みたいな振動を感じます。あれが、耳の中にも入ってくる感じなのかなと思うと、確かに気持ちいいとは思えないかも。

 

音の大きさについては、デシベル(db)が一般的に知られています。

聞こえる人にとって聞き慣れていないかもしれませんが、小学生の頃から「あなたのデシベルは○○dbですよ」と診断されていました。何気に身近に感じています。

 

デシベル - Wikipedia

 

数値が大きくなればなるほど、音が大きくなります。

一般的に聴者は60dbくらいがちょうどいいみたいです(個人差はある)。となると、私の聴力は130dbに近いのでほぼ2倍の数値に。

 

でもこの数字は必ずしも2倍ではなく、実際はもっと大きな数値。それが聞こえない、判別できないということは、聴者にとってみたら「Wow!信じられない!」でしょうか。

 

90dbは犬の鳴き声に値するそうです。目の前の犬が「わんわん!」「うぉお!」「ガルルル〜」となっても、私の耳には入らず、犬が口パクしているのか?と思ってしまいます。聞こえないということは、聞こえて当たり前に思っていた生活音が遮断されてしまうこと。

 

日頃から、声や音を出すときは気をつけているけれど「想像の範囲でしか」気をつけられない。

もし気に障ることがあれば教えて欲しいと、周囲にもっと話していかないといけないかもしれません。

 

それにしてもあの音、意外と大きそうに見えるエアタービン。

歯医者さん、歯科衛生士さんの苦労というか、本当に大変な仕事だなぁと頭が下がります。次回に向けて歯磨き、歯磨き。

小さな判断の積み重ね

何食べたい?という問いかけに、「なんでも良いよ」。

どれが良いと思う?と聞かれて、「どれでも良いよ」。

 

 

なんて優柔不断!!とカチンときた方は、判断力がついています、たぶん。

 

気配りのつもりで、謙虚のつもりで答えたとしても、相手に頭を使わせている時点で

もう少し違った答え方があるんじゃない?と思った方、判断力が間違いなく身についています。

 

「今はそんなにお腹すいてるわけではないけど、君が一番食べたいもので良いよ」

「個人的にはこれが良いかもしれないけど、君はどう思う?」

 

こういう答え方ができる人は、きっと日頃の生活の中で小さな判断を積み重ねている。

今日はこれをやってみよう、今度あれを試してみよう、という風に判断してアクションを起こしている。判断材料を少しでも揃えておくことで、決めるスピードも増している。

だから、相手がアクションを起こせるように、常に手助けができている。

一緒に行動するとき、相手が負担にならないよう、なおかつお互いに気持ちよく前に進める気配りができる人は、きっと仕事もできる。

 

かつて、判断力をつけたくてレストランのメニューを10秒以内に決める!というアクションを起こしてみたら当然失敗もあって。そりゃあ、こっちが良いと思ってたけどあっちの方が良かったわ、なんて思ったこともしょっちゅうありました。

 

でも、なんでもないような小さな判断の積み重ねがあると「じゃあ、こうすれば良いかな」と瞬時に判断できるようになるものですね。

 

(ミスしてしまったら一旦戻れば良いのじゃ〜)

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トップアスリートの姿

今日たまたま、カヌーで銅メダル取った羽根田卓也さんがテレビ出演。

武井壮さんをはじめ、アスリート達が出演している番組で、カヌー競技がどういうものなのかについてオリンピックの映像を解説していました。

恥ずかしながら、カヌー競技のルールは全く知らなくて。あらためて羽根田さんの強さ、努力家であることに驚きました。

出身地が同じ愛知県で、しかも実家の隣の豊田市、ということで勝手に親近感湧いてきました。

 

銅メダルを取った当時の報道で「スロバキアで日本人ただ一人だけ修行に行ったとはすごい!」とだけインパクト強くて、カヌー競技のルールよりもなぜ一人だけ?というところに興味がありました。でも、この後に仕事が忙しくなったのもあり、テレビも見れないままだったので、今日は嬉しくて見入ってしまいました。

 

トップアスリートの験担ぎというか、イチロー選手のように毎日カレーを食べるといったルーティンについて、羽根田さんは「特にない。臨機応変で対応していかないとこの競技ではやっていけない。川の流れはいつも変わるから。ルーティンワークができなかったときの恐怖を感じているから」といった趣旨のことを話されていて、思わず「すごい!」。

臨機応変は、私の好きな言葉の一つ。今の職場も変化がよくあるので、エキサティングに感じられるようになっているのかも。

 

ルーティンワークがダメというわけではなく、自らのことをよく分析しているからこそ、そういう選択をしたということ。歳が近いだけであって、今回のことでさらに印象強くなりました。目が離せない選手の一人です。

 

 

チケットホルダーは便利

用事あって名古屋へ。

名鉄電車に乗ろうとホームで待っていると、撮り鉄が数名。私が乗ろうとしていたのは、特急車両。学生時代に通学でよくお世話になっていた電車とはいえ、少々古い感じの車両だったはず。

なぜ今更?と不思議に思っていたら、ホームに入ってくる車両がこれでした。

 

名鉄車両博物館:1700系 - 電車のご利用案内 | 名古屋鉄道

 

なるほど、新しくなったのね。

分かる人は分かると思いますが、ホームに入ってきた瞬間「あ、前と違う!」。

デザインがなんとなく違っていました。電車にはそんなに詳しくないですが「さっきの撮り鉄さんは新車両が珍しいから撮っていたのかしら」と(勝手に)納得。

 

荷物も多かったので、今回は特別席に座ることにしました。距離に関わらず一律360円。ここまでは前の車両と変わらないのですが、新たに「チケットホルダー」というものがつきました。

写真撮っていないのですが、席に座ると目の前に「チケットホルダー」があり、特別席のチケットをそこに挟んでおくもの。成田空港への特急車両にもあったような気がしますが、これはとても便利。

 

車掌さんが確認しにくるのを待たなくても、ホルダーに挟んでおくだけで、こちらは窓側の風景を楽しんだり、パソコン入力に夢中になったりと落ち着けます。それに、居眠りしても起こされることはないです(かつて東海道新幹線に乗っていた時、指定席の確認のため起こされた経験あり)。

 

今の時代に合った工夫といったところでしょうか。便利でよかったです。

締めのラーメン

金曜日の夜、この日は朝から目が回るくらい忙しかった。そして、こういうときに限って怪我してしまうことも(私ではなく他のスタッフ)。

 

小さな怪我で大したことなかったけれど、こういうことが次から次へと重なる。「ああ、ついてない」。

 

そして、一日の最後に締めのラーメン食べたスタッフが満面の笑みで「ああ!美味しかったぞ!」。

 

こういう一日の終わりがあると、「ついてなかったな」というイライラもどこかへさよなら〜。

 

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(帰国したスタッフのお土産。ありがとうございます。) 

 

普通の会社、普通の学校

「普通の会社に入ればいいのに」

「フツーの会社に入ればいいのに」

 

事情があって現在仕事をしていないろう者に対して、他のろう者が言った言葉。

 

「普通の会社」というのは、あくまでも一般企業のことを指し、会社の規模に関わらず「聞こえる人が働いている会社」を指しています。「普通の学校」という言い方もあります。聾学校と比較し、聴者が通っている学校を「普通の学校」とフツーにろう者の間では使っています。

 

そもそも、「普通」とは何なのか。

なぜ、聞こえることがスタンダードになっているのか。

聾学校は「普通じゃない人」が通っている場所のことを指しているのか。

ほんとに全然意味わかんない!と思っていました。

 

以前、「普通って何?」と聞いたら目の前にいたろう者は答えられませんでした。

何気なく使っている言葉にもう少し敏感になろうよ。

 

「普通の会社」に入っていないろう者はレールから外れて、かわいそうな人に見えるのか。

私の職場は、事情があって働きたくても働けなかったり、働くことを諦めてしまったり人たちが通っているところ。自分のできることを見つけて小さな成功体験の積み重ねができるよう、共に走りながら時には教えたり、時にはちょっと離れて見守ったりしています。

 

そういう人たちに再会した同級生や先輩、後輩たちが「ちゃんとできるのなら、普通の会社に入ればいいのに。まだ入れてないの?」という言葉を投げかける。励ましのつもりかもしれないけれど、本人のペースがあること、本人なりに目の前のことを頑張っているところを見向きもせず、「普通の会社」ということだけに目を向けている。

 

確かに一般企業に入って、給与をもらってそれなりに生活ができていればいい。でも結果的に挫折してしまったり、運悪くいじめられてしまったりした人がいることも事実。

本人の努力不足も関係しているけれど、半分は本人だけの力では変えられないものがある。それが「環境」というもの。そういう要因を無視して、いかにも「普通の会社に入れた方が勝ち組」という目線で話すろう者がいることはとても残念。

 

言われた側がもっと言い返せられるように(喧嘩を買ってもいいけれど、冷静に、「私はこういう価値観を持っている」と説明できるようになったら嬉しい)、私自身ももっと究めていかないといけない。

久しぶりに、ちょっと悔しい思いをしました。

 

ベン・ハーとモノクロ映画

60代〜70代の高齢者たちとお話をする機会があり、今日は映画の話になりました。

映画といえば、手話の表し方が異なっていました。

 

今の手話だと、スクリーンに映し出すというイメージで右手を斜め上に向けながら上げます(もしくは、「テレビ」という単語と似たような動きで表します)。

 

高齢の方々たちが使っていた手話は、金曜ロードショーのおじさんになりきって、手を回すイメージ。

おじさんって誰?という方は、動画を見ていただけると分かるかもしれません。

(文面で手話の解説をするって難しいですね)

youtu.be

 

高齢の方々に、印象に残っている映画を聞いてみると「ベン・ハー」と答えていました。

ベン・ハー (1959年の映画) - Wikipedia

 

私にとって「4時間の超大作」「ビデオ2本組」というイメージでしかなかった名作がなぜ印象に残っているのか。

 

「字幕がついたのもあるけれどカラーの映画としてすごくかっこよかったし、楽しかった」とのこと。力強い迫力が伝わる作品だったそうです。

 

次に、全員が口を揃えて出てきた映画は「名もなく貧しく美しく」。

名もなく貧しく美しく - Wikipedia

 

モノクロ映画だったとはいえ、ろう者が初めて映画として取り上げられた作品(演じているのは聴者ですが)。

ろう者にとって、恥ずかしくも嬉しくもあった作品だったと懐かしんでいました。今でもビデオテープで保管している方も。

 

世の中に初めて、ろう者の生活がスクリーンで上映され「いやいや、うちはそこまで困ってない!」という声もあった中で、ろう者の存在にスポットが当てられるきっかけになった本作(恥ずかしながら、私はまだ観る機会に恵まれていない)。

 

アカデミー賞を取った「愛は静けさの中に」も、タイトルを話しただけで皆さん、よく覚えていらっしゃいました。

愛は静けさの中に - Wikipedia

 

高齢の方々が異口同音で「映画はとっても良い!」。

視覚的に楽しめるものであり、日本語字幕がなくてもそれなりに想像しながら見ていたせいか、手話の表し方がとても豊かで、臨場感を覚える感覚になります。

まるで私が、映画を見ているかのように、あらすじを説明していた高齢の方々の手話、とても生き生きしていました。

 

人生の教科書でもある映画の素晴らしさを再確認。